鄭明析

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鄭 明析(チョン・ミョンソク、Jeung Myung Seok、1945年2月17日 - )は、韓国の宗教家。宗教団体「摂理」の教祖

概略

鄭明析の子供の頃は家計が苦しかったようで、兄の鄭インスク牧師(Jeung In Suk、河南中央聖潔教会担任)によれば、 明析の上の二人の兄は 高校を出たが、明析は小学校教育しか受けていないそうである。

鄭明析は若い頃、ベトナム戦争に二度、従軍した経験を持つ。実兄の話によれば、それまでは普通だった弟がこのベトナム戦争から帰った後からおかしくなったと言う。どのように変わったかは語りたくないと口を閉ざした。

30歳過ぎに帰郷、「統一教会」(統一協会)に入信し、統一教会系の政治団体、国際勝共連合の講師となるが、素行に問題ありとして除名になったという。(ただし、日本の統一教会は講師になった事実そのものを否定している。)

1980年2月頃(但し「摂理」では1978年6月1日設立と主張している)にソウルキリスト教プロテスタント新興宗教団体「愛天教会」を立ち上げる。同教会は後に「ジーザス・モーニングスター」(Jesus Morning Star、JMS。「JMS」は教祖のイニシャルでもある)ないし「モーニングスター」(MS)などと改名を繰り返し、韓国本国では「国際クリスチャン連合」という名称で登録しており、現在は「基督教福音宣教会」(CGM)と呼ばれている。日本においては、「摂理」ないし「摂理教会」と名乗っている。

韓国のみならず、台湾香港中国日本マレーシアイタリアアメリカなど、世界中に推計1万5000人の信者を擁しているとされる。また国際手配後も信者は増えているという。

来歴

  • 1945年
    • 2月17日 第二次世界大戦末期で、まだ日本の統治下にあった朝鮮忠清南道(チュンチョンナムド)の 錦山郡(クムサングン) 珍山面(チンサンミョン) 月明洞(ウォルミョンドン)で、6男1女の三男として生まれる。
  • 1951年6歳にしてを求めたという。
  • 1955年小学校4年のときに、葬式を出している家で、遺体を洗って埋葬するのを目の当たりにして、人生の虚無を悟ったという。
  • 1966年(21歳)
  • 1969年(24歳)
    • 9月 軍役を終え、故郷で過す。
  • 年代不詳
    • ソウルへ上京し,当時 聖潔教団(ホーリネス教会)の宣教会総務であった兄の鄭Insuk牧師のいる聖潔教会に 通い始める。
    • 故郷に戻り、路傍伝道で全国を周る。故郷の近隣の論山市(ノンサンシ)にある大屯山(テドゥンサン)観光ガイドをする傍ら観光客らに伝道していた。羅雲夢(ナ・ウンムン) 長老の 龍門山(ヨンムンサン)祈梼院と 三角山(サムガッサン)祈祷院などに通い 南韓山城(ナマンサンソン)での 70日 祈祷を 通じて 霊界を悟ったという。
  • 1975年(30歳)
    • 錦山(クムサン)の「統一教会」(統一協会) 入教し、勝共連合で講師を務めたと言われるが、「統一教会」(統一協会)側は「講師にはなっていない」と否定している。後に鄭明析は イエス・キリストが「統一教会」(統一協会)を偵察しなさいと命じたと入信の目的を語ったというが、河Mosukという女性信者に惹かれて入ったという見方もある。
  • 1977年(32歳)
    • 統一教会」(統一協会)を除名される。「統一教会」(統一協会)広報部によれば、教団の指導に従わないなど、問題があるので除名にしたという。
  • 1979年(34歳)
    • 韓国での文鮮明の指導者への修練会に参加。
  • 1980年(35歳)
    • 「MS運動」を開始。
    • 2月 ソウル 西大門区(ソデムング)南加佐洞(ナムガジャドン)に「愛天教会」を創設。当時は執事をしており、説教はしなかったという。
    • 11月 公式的伝道活動に入る。
  • 1982年(37歳)
    • 「MS宣教会」を設立。
  • 1983年(36歳)
  • 1985年(38歳)
    • 「ウェスレー神学院」を開設。
    • 日本に宣教師を送り、関東の大学生を中心に伝道し始める。
  • 1990年代中盤(45歳)
    • 自らの弟3人を、「随行員」、「秘書」、「運転手」として教団に引き入れる。
  • 1998年(53歳)
    • 10月 父、鄭Palsungが他界。
  • 1999年(54歳)


外部リンク