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'''日本のボクシング'''(にほんのボクシング)の本格的な始まりは、[[渡辺勇次郎]]が「日本拳闘倶楽部」を開設した1921年とされるが、この競技が最初に伝わったのは英国で[[クイーンズベリー・ルール]]が制定される以前の1854年であった<ref>{{Cite web|url=http://jpba.gr.jp/history/origin/origin_02.html|title=ボクシングの伝来と協会の歴史 – 第二章 ペリー提督によって日本に伝来|year=2008|publisher=[[日本プロボクシング協会]]|accessdate=2012年5月1日}}</ref>。この項目では、日本のボクシングの歴史を中心に概説する。
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{| class="toccolours" align="right" style="margin:1em auto; clear:both; font-size:90%; text-align:left"
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!colspan="2" style="background:#cccccc; text-align:center"|オリンピックのボクシング競技における<br />日本のメダリスト一覧
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| style="text-align:center; vertical-align:top; background:#cc9966; white-space:nowrap;"|ローマオリンピック(1960年)
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| 田辺清([[フライ級]])
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| style="text-align:center; vertical-align:top; background:gold; white-space:nowrap;"|東京オリンピック(1964年)
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| 桜井孝雄([[バンタム級]])
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| style="text-align:center; vertical-align:top; background:#cc9966; white-space:nowrap;"|メキシコシティオリンピック(1968年)
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| 森岡栄治(バンタム級)
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| 清水聡(バンタム級)
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| 村田諒太([[ミドル級]])
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| colspan="2" style="text-align:center; vertical-align:top; background:#cccccc; white-space:nowrap;"|'''北京オリンピック(2008年)の日本代表選手'''
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[[ライトウェルター級]]・川内将嗣(シード)<br />
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[[フェザー級]]・清水聡(シード)<br />
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ミドル級・村田諒太(シード)<br />
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[[ウェルター級]]・鈴木康弘<br />
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バンタム級・清水聡<br />
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フライ級・須佐勝明<br />
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[[ファイル:エクセル・ロンドンの日本国旗.jpg|285px]]<br /><small>ロンドンオリンピック(2012年)で[[ウェルター級]]1回戦が行われた日、<br />エクセル・ロンドンに掲げられた日本国旗。ウェルター級は1928年に<br />日本人が初めて五輪のボクシング競技に出場した時の階級の一つだ。</small>
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'''日本のオリンピックボクシング競技'''(にほんのオリンピックボクシングきょうぎ)は、1928年の[[アムステルダムオリンピック]]に始まり、この大会には[[ウェルター級]]の臼田金太郎と[[バンタム級]]の[[岡本不二]]が出場した<ref>『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 40</ref>。監督は「日本ボクシングの父」と言われる渡辺勇次郎で、臼田はベスト8に進出した<ref>『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、p.67</ref>
  
== 歴史 ==
 
=== 黎明以前 ===
 
[[1854年]]2月([[嘉永]]7年1月)の[[マシュー・ペリー]]の[[黒船来航#嘉永7年来航|2度目の日本来航]]を記録した1956年の『ペリー日本遠征記』({{Lang|en|''Narrative of the expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan''}}) に、同年2月26日に横浜で行われたペリー艦隊の水兵であるアメリカ人ボクサー1名、[[プロレスラー|レスラー]]2名と相撲の[[大関]]・[[阿武松 (相撲)|小柳常吉]]による3対1の他流試合の様子が記述されている<ref>[http://ebook.lib.hku.hk/CTWE/B36599566/ ''Narrative of the expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan'', 1856.]</ref>。これが日本におけるボクシングに関する最古の記録となっており、この時、日本に始めてボクシングが紹介された(同じく1854年に[[田崎草雲]]とボクシング技術を使うアメリカ人水兵の喧嘩の記録が残されているが、あくまで試合ではなく喧嘩である)。この他、[[1879年]]([[明治]]12年)に[[天覧相撲]]で[[鞆ノ平武右衛門]]に欧米人ボクサーが挑戦した記録もある。これらの他流試合が明治後期から戦後にかけて流行した外国人ボクサー(そのほとんどが力自慢の水兵)と柔道家による他流試合興行「柔拳試合」を生み、また、ボクシング技術を学ぶ者を増やしていった。柔拳試合に興味を持った[[嘉納治五郎]]の甥の嘉納健治は、[[1909年]](明治42年)に神戸市の自宅に「国際柔拳倶楽部」を設立、日本に立ち寄る外国人船員からボクシングの技術を学んだ。この国際柔拳倶楽部がのちに日本選手権大会を開催する「大日本拳闘会」(大日拳)となる。
 
  
これより以前、[[1887年]](明治20年)5月には、プロレスラーになるため3年間渡米していた元力士の浜田庄吉がボクシング技術を習得し、18人のボクサーとレスラーを伴って帰国。見世物として全国を回った。事実上、この浜田が日本最初のボクサーであった。また、「西洋大角力」と銘打ったこの見世物は、内容的には柔拳試合のような他流試合や事前に打ち合わせをしてある試合ばかりで、日本最初のプロレス興行とされているが、ボクシングの試合も行われており、日本最初のボクシング興行とも言える。[[1896年]](明治29年)には、アメリカ帰りの元柔道家・齋藤虎之助が、友人の[[ジェームス北條]]とともに横浜市に日本最初のボクシングジムである「メリケン練習場」を開設。しかしこれは入門者が定着せず間もなく閉鎖されている。
+
== メダリスト誕生以降 ==
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1960年、[[ローマオリンピック]]のフライ級で[[田辺清]]が銅メダルを獲得し、日本ボクシング初のオリンピックメダリストとなったが、不運な判定により決勝進出を阻まれた<ref>『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 75</ref><ref>『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、p. 230</ref>。
  
また、[[大正]]期に流行したアメリカ映画や新聞記事などでボクシングが紹介されており、一般庶民にも西洋にはボクシングというスポーツがあるという認識が広まっていった。
+
1964年、[[桜井孝雄]]が東京オリンピックのボクシング競技で日本初となる金メダルを獲得<ref>『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 118</ref>。
  
=== 黎明期 ===
+
1968年の[[メキシコシティオリンピック]][[森岡栄治]]が銅メダルを獲得している<ref>[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2012/07/24/___split___44/index2.php 【ボクシング】注目はミドル級・村田諒太。44年ぶりの五輪メダルなるか?] web Sportiva 2012年07月24日 p. 2</ref>。
[[1921年]](大正10年)1月、[[サンフランシスコ]]でプロボクサーとして活躍していた[[渡辺勇次郎]]が帰国し、同年12月25日に東京・[[目黒区]]に「日本拳闘倶楽部」(日倶)を開設。これが日本の本格的なボクシング競技の幕開けとされる。日倶は本格的[[ボクシングジム]]として多くのボクサーを育成。練習生の中から後の[[帝拳プロモーション|帝国拳闘会(帝拳)]]創設者・[[荻野貞行]]など日本ボクシング繁栄の礎となった人物や拳聖・[[ピストン堀口]]などのスター選手を輩出している。また、[[1922年]](大正11年)5月7日には[[靖国神社]]境内の相撲場にて「日米拳闘大試合」を主催。以後、翌年の[[関東大震災]]まで継続的に開催し、それまで見世物でしかなかったボクシング興行を本格的なスポーツとして定着させた。
+
  
[[1923年]](大正12年)2月23日、日倶の師範代であった[[臼田金太郎]]が、日倶後援のもと東京・上野の輪王寺の境内で学生拳闘試合を開催した。これが日本初のアマチュアボクシングの試合である。
+
2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるボクシング競技|ロンドンオリンピック]]ではバンタム級代表の[[清水聡 (ボクサー)|清水聡]]が銅メダルを獲得<ref group="映像">[http://www.youtube.com/watch?v=F_xnoNqXtPM Boxing Men's Bantam (56kg) Semifinals - Great Britain v Japan Replay - London 2012 Olympic Games] IOC(国際オリンピック委員会)の公式YouTubeチャンネル 2012年8月10日 {{En icon}}</ref><ref group="映像">[http://www.youtube.com/watch?v=aTl8NIBZNVM Boxing Men's Bantam (56kg) Finals Bout - Great Britain GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights (1:29)] IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月12日 {{En icon}}</ref>。これは日本にとって44年ぶりのメダルとなり<ref name="tokyo-np0815">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2012081502000229.html 誇り、かみしめ メダリスト快挙報告] 東京新聞 2012年8月15日</ref>、さらに村田諒太は48年ぶりの金メダルをミドル級で獲得した<ref name="tokyo-np0815" /><ref group="映像">[http://www.youtube.com/watch?v=h29uO1J78uo Boxing Men's Middle (75kg) - Gold Medal Final - Brazil v Japan Full Replay - London 2012 Olympics] IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月11日 {{En icon}}</ref><ref group="映像">[http://www.youtube.com/watch?v=NbubzW06SCQ Boxing Men's Middle (75kg) Finals Bout - Japan GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights] IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月12日 {{En icon}}</ref>。フライ級の[[須佐勝明]]、ウェルター級の[[鈴木康弘 (ボクサー)|鈴木康弘]]は途中で敗退したものの、清水・須佐・鈴木が敗れた相手はいずれもこの大会で金メダリストとなった選手だった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012081200040 村田、48年ぶり金=1点差の接戦制す-ボクシング〔五輪・ボクシング〕] 時事通信社 2012年8月12日</ref><ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2012/08/blog-post_173.html 金村田と銅清水が帰国会見] ボクシングニュース「Box-on!」 2012年8月16日</ref>。日本ボクシング連盟の山根明は2011年の会長就任以来、日本アマチュアボクシングの国際化、プロ・アマチュア交流などの改革に着手していたが、この大会で日本が躍進した背景には、この改革やコーチ陣の貢献があった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/13/kiji/K20120813003893881.html 初の1大会複数メダル呼んだプロとの再交流と“開国”] スポーツニッポン 2012年8月13日</ref>。産業能率大学スポーツマネジメント研究所が行った意識調査で男子ボクシングは、大会後に脚光を浴びた「ブレーク度」の競技部門で1位を獲得し、「びっくり度」の同部門では3位に選ばれた<ref>[http://news.mynavi.jp/news/2012/08/23/155/index.html ロンドン五輪の選手と競技に関する調査、感動度1位は福原愛選手に] マイナビニュース 2012年8月22日</ref>。
  
[[1924年]](大正13年)4月26日、東京の[[日比谷公園]]音楽堂で日倶主催による初のタイトルマッチ「第一回日本軽体重級拳闘選手権試合」が開催され、日本王者が誕生した。
+
===AIBAとAPB===
 +
2016年のリオデジャネイロオリンピックに向けては、AIBAプロボクシング (APB) からの五輪出場枠の比重が高く、オフォーを受けた選手たちはこれへの参加を半ば強いられている。
  
[[1925年]](大正14年)には複数の大学に「拳闘部」が創設されると、靖国神社境内の相撲場にて「第一回学生選手権」を開催された。この大会の成功を受けて、同年5月、渡辺勇次郎を理事長として「[[日本アマチュアボクシング連盟|全日本アマチュア拳闘連盟]]」が発足、11月に連盟主催による「第一回アマチュア選手権」が開催された。
+
五輪を含むアマチュアの試合と同様に後述の10階級で実施され、各階級に世界王者は1名のみ。五輪前年度の各階級ランキングで上位2位までにつけた選手に五輪出場権が与えられる。2011年の世界選手権では銀メダリストとなった村田諒太も五輪出場権を得られたが、2015年大会では優勝者にしか出場権が与えられない可能性がある。このため、日本ボクシング連盟も参加国への追随を決め、2013年2月にAPB対策委員会を設置した<ref>{{Cite news|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20130203-OHT1T00240.htm|title=AIBA、独自プロ大会への対策委員会設立|date=2013年2月4日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2013年2月4日}}</ref>。
  
[[1927年]]6月5日、大日拳主催の「第一回日本選手権大会」が開催され、11月3日にはボクシング競技が第4回[[明治神宮大会]]に参加した。
+
ロンドン五輪スーパーヘビー級銅メダリストのマゴメドラサル・メジドフは、「多くの優秀なアマチュア選手がプロへの転向に消極的なのは、従来のプロボクシングでは後戻りができなくなることがわかっているからだ」と話し、同大会ヘビー級銀メダリストのクレメンテ・ルッソは、「AIBAのアマチュアでの試合のように、選手たちが各国を代表して戦うことができる」と、それぞれAPBの利点を挙げている<ref group="映像">[http://www.youtube.com/watch?v=5TaHPu_Nd6o AIBA Professional Boxing (APB)] AIBA Proの公式YouTubeチャンネル 2012年12月23日 該当時間: 2:03, 2:37 2013年2月4日閲覧</ref>。
  
1931年7月、拳闘ファンが急増した。スター選手の月収は1,000円以上(教員の初任給が15円、米10キロ1円20銭、ざるそば4銭)で、帝国・大日本・日本・東洋など拳闘クラブ(ボクシングジム)も10を超え、税務署が財源として目をつけるほどであった<ref>『昭和・平成 家庭史年表 1926〜2000 増補』 [[河出書房新社]] 1997年12月発行(2001年4月増補改訂 ISBN 4-309-22370-2) 下川耿史 家庭総合研究会 編</ref>。
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約440万円の契約金、約30万円の月給の他にファイトマネーが支払われるが、選手によっては参加が極めて困難、不可能な場合もある。例えば、これまでの五輪代表選手で自衛隊体育学校の川内 将嗣・清水聡・鈴木康弘ら有力選手には、自衛官との両立は不可能であり、清水は自体校を離れてミキハウスへに入社することになった。また、ヘッドギア非着用など、五輪とは異なるルールで好成績を収めなければならない<ref>[http://web.archive.org/web/20121106234150/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20121107-OHT1T00028.htm 村田の全日本社会人選手権出場に“待った”…世界協会が出場資格に異議] スポーツ報知 2012年11月7日(2012年11月6日時点のアーカイブ)</ref>。
 
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=== 1960年代以降 ===
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ボクシングが国民的スポーツであった1960年代の初め、フライ級に原田政彦(のちの[[ファイティング原田]])、[[海老原博幸]]、[[青木勝利]]という3人のホープが現れた。努力型のラッシャー原田、スマートなカミソリパンチャー海老原、天才肌のメガトンパンチャー青木とそれぞれ個性の異なる3人は「フライ級三羽烏」と呼ばれ大いに人気を博し、期待通りに原田と海老原は世界王者に(原田はバンタム級も制し2階級制覇)、青木はバンタム級で東洋王者となり、ボクシング界に限らず日本スポーツ界に一時代を築いた。この人気が「日本ボクシング黄金時代」への先鞭をつけることとなる。
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1970年12月11日から1971年7月28日までの時期は、以下の日本人男子5人が同時にプロボクシングの世界王座を保持し、「日本ボクシングの黄金時代」と呼ばれた。広義には大場政夫が死去する1973年1月頃までを指すこともある。
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*[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ジュニア・ライト級チャンピオン[[小林弘]]
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*[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ジュニア・ライト級チャンピオン[[沼田義明]]
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*WBA世界フェザー級チャンピオン[[西城正三]]
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*WBC世界フェザー級チャンピオン[[柴田国明]]
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*WBA世界フライ級チャンピオン[[大場政夫]]
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彼ら5人は、実力・人気・一般への知名度・ファイトマネー・観客動員・テレビ視聴率など、いずれにおいても一流であった。この間、一階級違いの現役王者同士であった小林と西城は、ノンタイトル戦ながら直接対決をしファンを大いに喜ばせた。
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このころのボクシング界は注目も人気もカネも集中し、世界王者にならずとも、日本王者になると家が建つとすら言われた。現在では考えられないことである。その裏付けとして、民放各テレビ局が競うように[[ボクシング中継]]を行い、地上波の[[ゴールデンタイム]]で毎日、ボクシング試合が放映された。
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上述の5人の王者が1971年以降王座を失ったりした一方で、[[輪島功一]]のような新たな世界王者も登場し、日本でのボクシング人気は続いた。しかし、1980年代になると日本のプロボクシングは低迷し、以下の時期には「日本のジムに所属する選手に、現世界王者が皆無」という状態であった。
+
*1981年5月12日-1981年11月6日 - [[三原正]]が日本に世界王座を取り戻す
+
*1986年3月30日-1986年7月23日 - [[浜田剛史]]が取り戻す
+
*1988年11月13日-1990年2月6日 (日本の世界挑戦21連敗)- [[大橋秀行]]が取り戻す
+
*1991年6月14日-1991年9月18日 - [[辰吉丈一郎]]が取り戻す
+
しかし1980年代後半には、[[ピューマ渡久地]]、[[川島郭志]]、[[鬼塚勝也]]という3人のホープが現れた。高校時代にアマチュアボクシングでライバルとして鎬を削り、すでに注目の的となっていた3人は、期待を込めて昭和の三羽烏になぞらえ「平成の三羽烏」と呼ばれ、[[辰吉丈一郎]]とともにボクシング人気復活の立役者となった。特に鬼塚はそれまでの無骨なイメージのボクサーにはなかった洒落た出で立ちと振る舞いで一般女性をファンとして取り込み、大いに注目を浴びた。後に川島と鬼塚は[[ジュニアバンタム級]]で世界王者に、渡久地はフライ級で日本王者となっている。敗戦や負傷によるブランクで一時期低迷した川島を除き、辰吉を加えて「平成の三羽烏」とする場合もあるが、本来は1988年度新人王トーナメントに出場した渡久地、川島、鬼塚の3人を指している。
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1988年11月13日から1990年2月6日は、1年3か月に渡って世界王者不在の状態となり新王者の誕生が切望されていたが、バブル期にあった日本の経済力を背景に世界戦が濫発され、挑戦者が世界戦で次々に敗退し「世界挑戦21連続失敗」という記録を作る結果となった。競技人気低迷に危機感をもった[[日本プロボクシング協会|全日本ボクシング協会]]は、1990年1月に世界挑戦資格に「指名試合をクリアした日本王者」との条件を加えている。
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2006年1月29日以来、日本のジムに所属する男子選手の中に、常時5〜6人の世界王者が含まれるようになる。また、2008年に[[日本ボクシングコミッション]]自身が女子の試合を認定し始めると、たちどころに3〜4人の女子選手が世界王者となり、すなわち日本プロボクシングは常時10名近くの現役世界王者を持ち続けて現在に至る。テレビ視聴率こそ1970年代に劣らないが([[内藤大助]]×[[亀田興毅]]戦の視聴率は43.1%。ボクシング歴代2位)、ボクシング人気の低迷は続いている。
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==== 現在の階級 ====
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* ライトフライ級(49kg級)
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* フライ級(52kg級)
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* バンタム級(56kg級)
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* ライト級(60kg級)
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* ライトウェルター級(64kg級)
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* ウェルター級(69kg級)
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* ミドル級(75kg級)
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* ライトヘビー級(81kg級)
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* ヘビー級(91kg級)
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* スーパーヘビー級(91kg超級)
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== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
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=== 出典 ===
 
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{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
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* 『ボクシング百年』[[郡司信夫]] [[時事通信社]] 1966年(1976年改訂再版)- [[#黎明以前]]および[[#黎明期]]で使用
+
== 映像資料 ==
* 『ボクシング見聞記』下田辰雄 [[ベースボール・マガジン社]] 1982年 - [[#黎明以前]]および[[#黎明期]]で使用
+
<references group="映像"/>
 
+
{{jawp|日本のボクシング}}
+
  
{{デフォルトソート:にほんのほくしんく}}
+
== 外部リンク ==
[[Category:日本のボクシング|*]]
+
* [http://jabf-kizuna.com/ 日本アマチュアボクシング連盟の公式ウェブサイト]
 +
* [http://www.olympic.org/ IOC(国際オリンピック委員会)公式ウェブサイト] {{En icon}}
 +
* [http://www.joc.or.jp/ JOC(日本オリンピック委員会)公式ウェブサイト]
  
[[en:Boxing in Japan]]
+
{{デフォルトソート:にほんのおりんひつくほくしんくきようき}}
 +
[[カテゴリ:日本のボクシング| ]]

2014年4月13日 (日) 19:19時点における最新版

オリンピックのボクシング競技における
日本のメダリスト一覧
ローマオリンピック(1960年) 田辺清(フライ級
東京オリンピック(1964年) 桜井孝雄(バンタム級
メキシコシティオリンピック(1968年) 森岡栄治(バンタム級)
ロンドンオリンピック(2012年) 清水聡(バンタム級)
ロンドンオリンピック(2012年) 村田諒太(ミドル級
北京オリンピック(2008年)の日本代表選手

ライトウェルター級・川内将嗣(シード)
フェザー級・清水聡(シード)

ロンドンオリンピック(2012年)の日本代表選手

ミドル級・村田諒太(シード)
ウェルター級・鈴木康弘
バンタム級・清水聡
フライ級・須佐勝明
エクセル・ロンドンの日本国旗.jpg
ロンドンオリンピック(2012年)でウェルター級1回戦が行われた日、
エクセル・ロンドンに掲げられた日本国旗。ウェルター級は1928年に
日本人が初めて五輪のボクシング競技に出場した時の階級の一つだ。

日本のオリンピックボクシング競技(にほんのオリンピックボクシングきょうぎ)は、1928年のアムステルダムオリンピックに始まり、この大会にはウェルター級の臼田金太郎とバンタム級岡本不二が出場した[1]。監督は「日本ボクシングの父」と言われる渡辺勇次郎で、臼田はベスト8に進出した[2]


メダリスト誕生以降[編集]

1960年、ローマオリンピックのフライ級で田辺清が銅メダルを獲得し、日本ボクシング初のオリンピックメダリストとなったが、不運な判定により決勝進出を阻まれた[3][4]

1964年、桜井孝雄が東京オリンピックのボクシング競技で日本初となる金メダルを獲得[5]

1968年のメキシコシティオリンピック森岡栄治が銅メダルを獲得している[6]

2012年のロンドンオリンピックではバンタム級代表の清水聡が銅メダルを獲得[映像 1][映像 2]。これは日本にとって44年ぶりのメダルとなり[7]、さらに村田諒太は48年ぶりの金メダルをミドル級で獲得した[7][映像 3][映像 4]。フライ級の須佐勝明、ウェルター級の鈴木康弘は途中で敗退したものの、清水・須佐・鈴木が敗れた相手はいずれもこの大会で金メダリストとなった選手だった[8][9]。日本ボクシング連盟の山根明は2011年の会長就任以来、日本アマチュアボクシングの国際化、プロ・アマチュア交流などの改革に着手していたが、この大会で日本が躍進した背景には、この改革やコーチ陣の貢献があった[10]。産業能率大学スポーツマネジメント研究所が行った意識調査で男子ボクシングは、大会後に脚光を浴びた「ブレーク度」の競技部門で1位を獲得し、「びっくり度」の同部門では3位に選ばれた[11]

AIBAとAPB[編集]

2016年のリオデジャネイロオリンピックに向けては、AIBAプロボクシング (APB) からの五輪出場枠の比重が高く、オフォーを受けた選手たちはこれへの参加を半ば強いられている。

五輪を含むアマチュアの試合と同様に後述の10階級で実施され、各階級に世界王者は1名のみ。五輪前年度の各階級ランキングで上位2位までにつけた選手に五輪出場権が与えられる。2011年の世界選手権では銀メダリストとなった村田諒太も五輪出場権を得られたが、2015年大会では優勝者にしか出場権が与えられない可能性がある。このため、日本ボクシング連盟も参加国への追随を決め、2013年2月にAPB対策委員会を設置した[12]

ロンドン五輪スーパーヘビー級銅メダリストのマゴメドラサル・メジドフは、「多くの優秀なアマチュア選手がプロへの転向に消極的なのは、従来のプロボクシングでは後戻りができなくなることがわかっているからだ」と話し、同大会ヘビー級銀メダリストのクレメンテ・ルッソは、「AIBAのアマチュアでの試合のように、選手たちが各国を代表して戦うことができる」と、それぞれAPBの利点を挙げている[映像 5]

約440万円の契約金、約30万円の月給の他にファイトマネーが支払われるが、選手によっては参加が極めて困難、不可能な場合もある。例えば、これまでの五輪代表選手で自衛隊体育学校の川内 将嗣・清水聡・鈴木康弘ら有力選手には、自衛官との両立は不可能であり、清水は自体校を離れてミキハウスへに入社することになった。また、ヘッドギア非着用など、五輪とは異なるルールで好成績を収めなければならない[13]

現在の階級[編集]

  • ライトフライ級(49kg級)
  • フライ級(52kg級)
  • バンタム級(56kg級)
  • ライト級(60kg級)
  • ライトウェルター級(64kg級)
  • ウェルター級(69kg級)
  • ミドル級(75kg級)
  • ライトヘビー級(81kg級)
  • ヘビー級(91kg級)
  • スーパーヘビー級(91kg超級)

映像資料[編集]

  1. Boxing Men's Bantam (56kg) Semifinals - Great Britain v Japan Replay - London 2012 Olympic Games IOC(国際オリンピック委員会)の公式YouTubeチャンネル 2012年8月10日 (英語)
  2. Boxing Men's Bantam (56kg) Finals Bout - Great Britain GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights (1:29) IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月12日 (英語)
  3. Boxing Men's Middle (75kg) - Gold Medal Final - Brazil v Japan Full Replay - London 2012 Olympics IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月11日 (英語)
  4. Boxing Men's Middle (75kg) Finals Bout - Japan GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights IOCの公式YouTubeチャンネル 2012年8月12日 (英語)
  5. AIBA Professional Boxing (APB) AIBA Proの公式YouTubeチャンネル 2012年12月23日 該当時間: 2:03, 2:37 2013年2月4日閲覧

外部リンク[編集]

  • 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 40
  • 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、p.67
  • 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 75
  • 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、p. 230
  • 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ボクシング・マガジン編集部、ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 118
  • 【ボクシング】注目はミドル級・村田諒太。44年ぶりの五輪メダルなるか? web Sportiva 2012年07月24日 p. 2
  • 7.0 7.1 誇り、かみしめ メダリスト快挙報告 東京新聞 2012年8月15日
  • 村田、48年ぶり金=1点差の接戦制す-ボクシング〔五輪・ボクシング〕 時事通信社 2012年8月12日
  • 金村田と銅清水が帰国会見 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年8月16日
  • 初の1大会複数メダル呼んだプロとの再交流と“開国” スポーツニッポン 2012年8月13日
  • ロンドン五輪の選手と競技に関する調査、感動度1位は福原愛選手に マイナビニュース 2012年8月22日
  • (2013年2月4日) AIBA、独自プロ大会への対策委員会設立 スポーツ報知 [ arch. ] 2013年2月4日
  • 村田の全日本社会人選手権出場に“待った”…世界協会が出場資格に異議 スポーツ報知 2012年11月7日(2012年11月6日時点のアーカイブ)