源氏物語

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土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。
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土佐光起筆『源氏物語画帖』より「朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。

源氏物語(げんじものがたり)は平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。

目次

題名[編集]

現在では一般に『源氏物語』と呼ばれているこの物語が作られた当時の題名が何であったのかは明らかではない。古写本には題名の記されていないものも多く、また、記されている場合であっても内容はさまざまである。『源氏物語』の古写本の場合、冊子の標題には「源氏物語」ないしそれに相当する物語全体の標題が記されている場合よりも、それぞれの帖名が記されていることが少なくない。古い時代の写本や注釈書などの文献に記されている名称は大きく以下の系統に分かれる。

  • 「源氏の物語」、「光源氏の物語」、「光る源氏の物語」、「光源氏」、「源氏」、「源氏の君」などとする系統。
  • 「紫の物語」、「紫のゆかりの物語」などとする系統。

これらはいずれも源氏(光源氏)または紫の上という主人公の名前をそのまま物語の題名としたものであって、物語の固有の名称であるとはいいがたいことや、もし、作者が命名した題名があるのなら、このようにさまざまな題名が生まれるとは考えにくいため、これらの題名は作者が命名した題名ではない可能性が高いと考えられている[1]

紫式部日記』、『更級日記』、『水鏡』などこの物語の成立時期に近い主要な文献に「源氏の物語」とあることなどから、物語の成立当初からこの名前で呼ばれていたと考えられているが、作者を「紫式部」と呼ぶことが『源氏物語』(=『紫の物語』)の作者であることに由来するならば、その通称のもとになった「紫の物語」や「紫のゆかりの物語」という名称はかなり早い時期から存在したとみられることなどから、源氏を主人公とした名称よりも古いとする見解もある。なお、「紫の物語」といった呼び方をする場合には現在の源氏物語54帖全体を指しているのではなく、「若紫」を始めとする紫の上が登場する巻々(いわゆる「紫の上物語」)のみを指しているとする説もある。

なお、『河海抄』などの古伝承には「源氏の物語」と呼ばれる物語が複数存在し、その中で最も優れているのが「光源氏の物語」であるとするものがあるが、現在、「源氏物語」と呼ばれている物語以外の「源氏の物語」の存在を確認することはできない。そのため、池田亀鑑などはこの伝承を「とりあげるに足りない奇怪な説」に過ぎないとして事実ではないとしている[2][3]が、和辻哲郎は、「現在の源氏物語には読者が現在知られていない光源氏についての何らかの周知の物語が存在することを前提として初めて理解できる部分が存在する」として、「これはいきなり斥くべき説ではなかろうと思う」と述べている[4]

なお、このほかに、「源語(げんご)」、「紫文(しぶん)」、「紫史(しし)」などという漢語風の名称で呼ばれていることもあるが、漢籍の影響を受けたものであり、それほど古いものはないと考えられており、池田によれば、その使用は江戸時代をさかのぼらないとされる[5][6]

概要[編集]

紫式部により著され(詳細は#作者を参照)、通常54帖よりなるとされる[7][8](詳細は#巻数を参照)、写本・版本により多少の違いはあるものの、おおむね100万文字に及ぶ[9]長篇で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と呼ばれ[10][11]日本文学史上最高の傑作とされる。

ただし、しばしば喧伝されている「世界最古の長篇小説」という評価は、2009年現在でも、源氏物語千年紀委員会による「源氏物語千年紀事業の基本理念」において源氏物語を「世界最古の長編小説」としているなど[12]一般的な評価であるとはいえるものの、中村真一郎の説の、アプレイウスの『黄金の驢馬』や、ペトロニウスの『サチュリコン』に続く「古代世界最後の(そして最高の)長篇小説」とする主張[13]もあり、学者の間でも論争がある。20世紀に入って、英訳、仏訳などにより欧米社会にも紹介され、『失われた時を求めて』など20世紀文学との類似から高く評価されるようになった。

物語は母系制が色濃い平安朝中期を舞台にして、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏が、数多の恋愛遍歴を繰り広げながら人臣最高の栄誉を極め(第1部)、晩年に差し掛かって愛情生活の破綻による無常を覚えるさままでを描く(第2部)。さらに、老年の光源氏をとりまく子女の恋愛模様や(同じく第2部)、あるいは源氏死後の孫たちの恋(第3部)がつづられ、長篇恋愛小説として間然とするところのない首尾を整えている。

文学史では平安時代に書かれた物語は『源氏物語』の前か後かで「前期物語」と「後期物語」とに分けられ[14]、あるいはこの源氏物語一作のみを「前期物語」及び「後期物語」と並べて「中期物語」として区分している[15]。後続して作られた王朝物語の大半は『源氏物語』の影響を受けており、後に、「源氏、狭衣」として二大物語と称されるようになった『狭衣物語』などはその人物設定や筋立てに多くの類似点が見受けられる。また、文学に限らず、絵巻(『源氏物語絵巻』など)・香道など、他分野の文化にも影響を与えた。

構成[編集]

『源氏物語』は長大な物語であるため、通常はいくつかの部分に分けて取り扱われている。

二部構成説、三部構成説[編集]

白造紙』、『紫明抄』あるいは『花鳥余情』といった古い時代の文献には、宇治十帖の巻数を「宇治一」、「宇治二」というようにそれ以外の巻とは別立てで数えているものがあり、このころ、すでにこの部分をその他の部分とはわけて取り扱う考え方が存在したと見られる。

その後、『源氏物語』全体を光源氏を主人公にしている「幻」(「雲隠」)までの『光源氏物語』とそれ以降の『宇治大将物語』(または『薫大将物語』)の2つにわけて、「前編」、「後編」(または「正編」(「本編」とも)、「続編」)と呼ぶことは古くから行われてきた。

与謝野晶子は、それまでと同様に『源氏物語』全体を2つにわけたが、光源氏の成功・栄達を描くことが中心の陽の性格を持った「桐壺」から「藤裏葉」までを前半とし、源氏やその子孫たちの苦悩を描くことが中心の陰の性格を持った「若菜」から「夢浮橋」までを後半とする二分法を提唱した[16]

その後の何人かの学者はこのはこの2つの二分法をともに評価し、玉上琢弥は第一部を「桐壺」から「藤裏葉」までの前半部と、「若菜」から「幻」までの後半部にわけ、池田亀鑑は、この2つを組み合わせて『源氏物語』を「桐壺」から「藤裏葉」までの第一部、「若菜」から「幻」までの第二部、「匂兵部卿」から「夢浮橋」までの第三部の3つに分ける三部構成説を唱えた。この三部構成説はその後広く受け入れられるようになった。

このうち、第一部は武田宗俊によって成立論(いわゆる玉鬘系後記挿入説)と絡めて「紫の上系」の諸巻と「玉鬘系」の諸巻に分けることが唱えられた。この区分は、武田の成立論に賛同する者はもちろん、成立論自体には賛同しない論者にもしばしば受け入れられて使われている[17]

また、第三部は、「匂兵部卿」から「竹河」までのいわゆる匂宮三帖と、「橋姫」から「夢浮橋」までの宇治十帖にわけられることが多い。

上記にもすでに一部出ているが、これらとは別に連続したいくつかの巻々をまとめて

  • 帚木、空蝉、夕顔の三帖を帚木三帖
  • 玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸、藤袴、真木柱の十帖を玉鬘十帖
  • 匂兵部卿、紅梅、竹河の三帖を匂宮三帖
  • 橋姫、椎本、総角、早蕨、宿木、東屋、浮舟、蜻蛉、手習、夢浮橋の十帖を宇治十帖

といった呼び方をすることもよく行われている。

また、巻々単位とは限らないが、「紫上物語」、「明石物語」、「玉鬘物語」、「浮舟物語」など、特定の主要登場人物が活躍する部分をまとめて「○○物語」と呼ぶことがある。

四部構成説[編集]

三部構成説に対して、以下のような四部構成説も唱えられている。論者によって区切る場所や各部分の名称がさまざまに異なっている[18]

提唱者 第一部 第二部 第三部 第四部
藤岡作太郎 正編前紀</br>桐壺から朝顔 正編中紀</br>少女から藤裏葉 正編後紀</br>若菜から竹河 続編</br>橋姫から夢浮橋
久松潜一</br>実方清 第一期</br>桐壺から明石 第二期</br>澪標から藤裏葉 第三期</br>若菜から幻 第四期</br>匂宮から夢浮橋
重松信弘 正編青年期</br>桐壺から明石 正編中年期</br>澪標から藤裏葉 正編晩年期</br>若菜から竹河 続編</br>匂宮から夢浮橋
森岡常夫 第一期</br>桐壺から朝顔 第二期</br>少女から藤裏葉 第三期</br>若菜から幻 第四期</br>匂宮から夢浮橋

各帖の名前[編集]

読み 年立 備考
 1 桐壺 きりつぼ 源氏誕生-12歳 a系
 2 帚木 ははきぎ 源氏17歳夏 b系
 3 空蝉 うつせみ 源氏17歳夏 帚木の並びの巻、b系
 4 夕顔 ゆうがお 源氏17歳秋-冬 帚木の並びの巻、b系
 5 若紫 わかむらさき 源氏18歳 a系
 6 末摘花 すえつむはな 源氏18歳春-19歳春 若紫の並びの巻、b系
 7 紅葉賀 もみじのが 源氏18歳秋-19歳秋 a系
 8 花宴 はなのえん 源氏20歳春 a系
 9 あおい 源氏22歳-23歳春 a系
10 賢木 さかき 源氏23歳秋-25歳夏 a系
11 花散里 はなちるさと 源氏25歳夏 a系
12 須磨 すま 源氏26歳春-27歳春 a系
13 明石 あかし 源氏27歳春-28歳秋 a系
14 澪標 みおつくし 源氏28歳冬-29歳 a系
15 蓬生 よもぎう 源氏28歳-29歳 澪標の並びの巻、b系
16 関屋 せきや 源氏29歳秋 澪標の並びの巻、b系
17 絵合 えあわせ 源氏31歳春 a系
18 松風 まつかぜ 源氏31歳秋 a系
19 薄雲 うすぐも 源氏31歳冬-32歳秋 a系
20 朝顔(槿) あさがお 源氏32歳秋-冬 a系
21 少女 おとめ 源氏33歳-35歳 a系
22 玉鬘 たまかずら 源氏35歳 以下玉鬘十帖、b系
23 初音 はつね 源氏36歳正月 玉鬘の並びの巻、b系
24 胡蝶 こちょう 源氏36歳春-夏 玉鬘の並びの巻、b系
25 ほたる 源氏36歳夏 玉鬘の並びの巻、b系
26 常夏 とこなつ 源氏36歳夏 玉鬘の並びの巻、b系
27 篝火 かがりび 源氏36歳秋 玉鬘の並びの巻、b系
28 野分 のわき 源氏36歳秋 玉鬘の並びの巻、b系
29 行幸 みゆき 源氏36歳冬-37歳春 玉鬘の並びの巻、b系
30 藤袴 ふじばかま 源氏37歳秋 玉鬘の並びの巻、b系
31 真木柱 まきばしら 源氏37歳冬-38歳冬 以上玉鬘十帖、玉鬘の並びの巻、b系
32 梅枝 うめがえ 源氏39歳春 a系
33 藤裏葉 ふじのうらば 源氏39歳春-冬 a系、以上第一部
34 34 若菜 わかな -じょう 源氏39歳冬-41歳春  
35 -げ 源氏41歳春-47歳冬 若菜上の並びの巻
35 36 柏木 かしわぎ 源氏48歳正月-秋  
36 37 横笛 よこぶえ 源氏49歳  
37 38 鈴虫 すずむし 源氏50歳夏-秋 横笛の並びの巻
38 39 夕霧 ゆうぎり 源氏50歳秋-冬  
39 40 御法 みのり 源氏51歳  
40 41 まぼろし 源氏52歳の一年間  
41 雲隠 くもがくれ 本文なし。光源氏の死を暗示。以上第二部
42 匂宮
匂兵部卿
におう(の)みや
におうひょうぶきょう
14歳-20歳  
43 紅梅 こうばい 薫24歳春 匂宮の並びの巻
44 竹河 たけかわ 薫14,5歳-23歳 匂宮の並びの巻
45 橋姫 はしひめ 薫20歳-22歳 以下宇治十帖
46 椎本 しいがもと 薫23歳春-24歳夏  
47 総角 あげまき 薫24歳秋-冬  
48 早蕨 さわらび 薫25歳春  
49 宿木 やどりぎ 薫25歳春-26歳夏  
50 東屋 あずまや 薫26歳秋  
51 浮舟 うきふね 薫27歳春  
52 蜻蛉 かげろう 薫27歳  
53 手習 てならい 薫27歳-28歳夏  
54 夢浮橋 ゆめのうきはし 薫28歳 以上宇治十帖。以上第三部

以上の54帖の現在伝わる巻名は、紫式部自身がつけたとする説と、後世の人々がつけたとする説が存在する。作者自身が付けたのかどうかについて、直接肯定ないし否定する証拠はみつかっていない。現在伝わる巻名にはさまざまな異名や異表記が存在することから、もし、作者が定めた巻名があるのならこのようなさまざまな呼び方は生じないだろうから、現在伝わる巻名は後世になって付けられたものであろうとする見解がある一方で、本文中(手習の巻)に現れる「夕霧」(より正確には「夕霧の御息所」)という表記が、「夕霧」という巻名に基づくとみられるとする理由により、少なくとも、夕霧を初めとするいくつかの巻名は作者自身が名付けたものであろうとする見解もある。

源氏物語の巻名は、後世になって、巻名歌の題材にされたり、源氏香投扇興の点数などに使われたり、また、女官や遊女が好んで名乗ったりした(源氏名)。

巻名の表記[編集]

実際の古写本や古注釈での巻名の表記には次のようなものがある。

  • 仮名書きされているもの
  • 部分的に漢字表記になっているもの
    • 「はゝき木(陽明文庫本)」箒木、「すゑつむ花(陽明文庫本)」末摘花、「もみちの賀(源氏釈)」紅葉賀、「花のゑん(源氏釈)」花宴、「絵あはせ(源氏釈)」絵合、「とこ夏(奥入)」常夏、「うき舟(奥入)」浮舟、「あつま屋(源氏釈)」東屋
  • 当て字を使用しているもの
    • 「陬麻(奥入)」、「陬磨(原中最秘抄)」須磨、「未通女(奥入)」、「乙通女(河海抄)」乙女
  • 異表記と見られるもの
    • 「賢木」と「榊」、「朝顔」と「槿」、「乙女」と「少女」、「匂兵部卿」と「匂宮」、「寄生」と「宿木」

それ以外に、「桐壺」に対する「壺前栽」、「賢木」に対する「松が浦島」、「明石」に対する「浦伝」、「少女」に対する「日影」といった大きく異なる異名を持つものもある。

巻名の由来[編集]

現在一般的に源氏物語の巻名の由来は次のようにいくつかに分けて考えられている[19]。これは室町時代の注釈書『花鳥余情』に始まり行くつぃかの修正を受けながらも現在でも主流とされている考え方ではあるが疑問も唱えられている[20]

その巻の中で使用されている言葉に由来するもの。
「桐壺」、「関屋」、「野分」、「梅枝」、「藤裏葉」、「匂宮」、「紅梅」、「手習」など。
その巻に中の和歌の文句に由来するもの。
「帚木」、「空蝉」、「若紫」、「葵」、「花散里」、「澪標」、「松風」、「薄雲」、「玉鬘」、「行幸」、「横笛」、「夕霧」、「御法」、「幻」、「橋姫」、「椎本」、「宿木」、「浮舟」など。
その巻の中に使用され、和歌の題材にもなっているもの。
「夕顔」、「末摘花」、「賢木」、「須磨」、「明石」、「蓬生」、「松風」、「朝顔」、「少女」、「初音」、「胡蝶」、「蛍」、「常夏」、「篝火」、「藤袴」、「若菜」、「柏木」、「鈴虫」、「竹河」、「総角」、「早蕨」、「東屋」、「蜻蛉」
他の巻に見える言葉に由来するもの。
「紅葉賀」
巻の中の語句を転用したもの。
「花宴」
巻の中で描かれている出来事に由来するもの。
「絵合」
巻の主題とおぼしき語句を用いたもの。
「夢浮橋」
本文そのものが存在しないもの。
「雲隠」

成立・生成・作者に関する諸説[編集]

現在では3部構成説(第1部:「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖、第2部:「若菜上」から「幻」までの8帖、第3部:「匂宮」から「夢浮橋」までの13帖)が定説となっているが、古来より、その成立、生成、作者、原形態に関してはさまざまな議論がなされてきた。以下に、特に重要であろうと思われるものを掲げる。

作者[編集]

通説[編集]

一条天皇中宮藤原彰子藤原道長の娘)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である[21]。物語中に作者が誰とは書かれていないが、以下の文から作者は紫式部だろうといわれている。

  • 『紫式部日記』(写本の題名は全て『紫日記』)中に自作の根拠とされる次の3つの記述
    • 藤原公任の 源氏の物語の若紫 という呼びかけ。
    • 一条天皇の源氏の物語の作者は日本紀をよく読んでいるという述懐により日本紀の御局と呼ばれたこと。
    • 藤原道長が源氏の物語の前で好色の歌を日記作者に詠んだこと。
  • 尊卑分脈の註記
  • 後世の源氏物語註釈書
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なお、紫式部ひとりが書いたとする説の中にも以下の考え方がある。

  • 短期間に一気に書き上げられたとする考え方
  • 長期間にわたって書き継がれてきたとする考え方。この場合はその間の紫式部の環境の変化(結婚、出産、夫との死別、出仕など)が作品に反映しているとするものが多い。

異説[編集]

光源氏のモデルとされる源高明自身が作者という説がある。

推理作家の藤本泉はの小説[22]をはじめとして『源氏物語』多数作者説をとっていた。その中の著作[23]で桐壺など「原 源氏物語」を源高明とその一族が書いたと仮定していたが、続く著作[24]において源高明説が弱いことを認めており、また、同著で他の複数作者の推定を行なっている。さらにはその後の自費出版の書籍で、各地の公立図書館に寄贈されている本[25][26]において『源氏物語』だけでなく、『土佐日記』から始まって『蜻蛉日記』、『枕草子』、『和泉式部日記』、『更級日記』、『讃岐典侍日記』、『方丈記』、『健寿御前日記』、『弁内侍日記』、『十六夜日記』、『中務内侍日記』、『問はず語り』、『徒然草』、『竹むきが記』から『奥の細道』にいたる多くの日本の古典が従来作者であるとされてきた著名な人物の手による作品ではなく、無名の多数の男性作者の手になるものであるとしている。なお、多数作者説の根拠の一部は以下のとおり。

  • 藤原道長を始めとする当時の何人もの人物がもてはやしたとされる作品であるにも関わらず、当事者の記録とされている『紫式部日記』(原題『紫日記』)(藤本泉はこの『紫日記』も紫式部の作ではないとしている)を除くと、当時、数多く存在した公的な記録や日記などの私的な記録に一切記述がない。
  • 現実とは逆に、常に藤原氏が敗れ、源氏が政争や恋愛に最終的に勝利する話になっており、藤原氏の一員である紫式部が書いたとするのは不自然である。
    詳細は#藤原氏と源氏を参照
  • 作中で描かれている妊娠や出産に関する話の中には、女性(特に、子供を産んだ経験のある女性)が書いたとするにはあり得ない矛盾がいくつも存在する。
  • 女性の手による作品のはずなのに、作中に婦人語と呼べるものがまったくみられない。
  • 源氏物語の中において描かれている時代が紫式部の時代より数十年前の時代と考えられる。
  • 紫式部の呼び名の元になった父親(式部大丞の地位に就いていた)を思わせる「藤式部丞」なる者が、帚木の帖の雨夜の品定めのシーンにおいて最も愚かな内容の話をする役割を演じており、紫式部が書いたとするには不自然である。

一部別作者説[編集]

『源氏物語』の大部分が紫式部の作品であるとしても、一部に別人の手が加わっているのではないかとする説は古くから存在する。

古注の一条兼良の『花鳥余情』に引用された『宇治大納言物語』には、『源氏物語』は紫式部の父である藤原為時が大筋を書き、娘の紫式部に細かいところを書かせたとする伝承が記録されている。また、『河海抄』には藤原行成が書いた『源氏物語』の写本に藤原道長が書き加えたとする伝承が記録されている。一条兼良の『花鳥余情』、一条冬良の『世諺問答』などには宇治十帖が紫式部の作ではなくその娘である大弐三位の作であるとする伝承が記録されている。これらの伝承に何らかの事実の反映を見る説も多いものの、池田亀鑑はこれらの親子で書き継いだとする説は、『漢書』について前半を班彪が書き、残りを子の班固が書き上げたという故事にちなんだもので、事実とは何の関係もないとの見解を示している[27]

近代に入ってからも、さまざまな形で「源氏物語の一部分は紫式部の作ではない」とする理論が唱えられてきた。

与謝野晶子は筆致の違いなどから「若菜」以降の全巻が大弐三位の作であるとした[28]。 和辻哲郎は、「大部分の作者である紫式部と誰かの加筆」といった形ではなく、「一つの流派を想定するべきではないか」としている[29]

第二次世界大戦後になって、登場人物の官位の矛盾などから、武田宗俊らによる「竹河」の巻別作者説といったものも現れた[30]

これらのさまざまな別作者論に対して、ジェンダー論の立場から、『源氏物語』は紫式部ひとりで全て書き上げたのではなく別人の手が加わっているとする考え方は、すべて「紫式部ひとりであれほどのものを書き上げられたはずはない」とする女性蔑視の考え方に基づくものであるとするとして、「ジェンダーの立場から激しく糾弾されなければならない」とする見解も出現した[31]

阿部秋生は、『伊勢物語』、『竹取物語』、『平中物語』、『宇津保物語』、『落窪物語』、『住吉物語』など当時存在した多くの物語の加筆状況を調べた上で、『そもそも、当時の「物語」はひとりの作者が作り上げたものがそのまま後世に伝えられるというのはむしろ例外であり、ほとんどの場合は別人の手が加わった形のものが伝えられており、何らかの形で別人の手が加わって後世に伝わっていくのが物語のとって当たり前の姿である』として、「源氏物語だけがそうでないとする根拠は存在しない」との見解を示した[32]

また、文体、助詞・助動詞など単語の使い方について統計学的手法による分析・研究が進められている[33]

執筆期間・執筆時期[編集]

源氏物語が紫式部によって「いつ頃」・「どのくらいの期間かけて」執筆されたのかについて、いつ起筆されたのか、あるいはいつ完成したのかといった、その全体を直接明らかにするような史料は存在しない。紫式部日記には、寛弘5年(1008年)に源氏物語と思われる物語の冊子作りが行われたとの記述があり、そのころには源氏物語のそれなりの部分が完成していたと考えられる。安藤為章は、『紫家七論』(元禄16年(1703年)成立)において、「源氏物語は紫式部が寡婦となってから出仕するまでの三・四年の間に大部分が書き上げられた」とする見解を示したが、、これはさまざまな状況と符合することもあって有力な説になった。しかし、その後、これほどに長い物語を書き上げるためには当然長い期間が必要であると考えられるだけでなく、前半部分の諸巻と後半部分の諸巻との間に明らかな筆致の違いが存在することを考えると、執筆期間はある程度の長期にわたると考えるべきであるとする説が強く唱えられるようになってきた。

しかし、そのような説がある一方で、かならずしも長編の物語であるから長い執筆期間が必要であるとはいえず、数百人にも及ぶ登場人物が織りなす長編物語が矛盾無く描かれているのは短期間に一気に書き上げられたからであると考えるべきであるとする説もある[34]

執筆動機[編集]

なぜ、紫式部はこれほどの長編を書き上げるに至ったのかという点についても、直接明らかにした資料は存在せず、古くからさまざまに論じられている。古注には、

  • 村上天皇の皇女選子内親王から新しい物語を所望されて書き始めたとする『無名草子』に記されている説
  • 源高明の左遷を悲しんで書き始めたとする『河海抄』に記されている説

などがある。近代以降にも、

  • 作家としての文才や創作意欲を満たすため
  • 寡婦としての寂しさや無聊を慰めるため
  • 式部の父がその文才で官位を得たように式部が女房になるため

といったさまざまな説が唱えられている[35]

巻数[編集]

通説[編集]

現在、『源氏物語』は通常54帖であるとされている。ただし、巻名が伝わる中でも「雲隠」は題のみで本文が伝存しない。そのため、この54帖とする数え方にも以下の2つの数え方がある。

  • 巻名のみの「雲隠」を含め「若菜」を上下に分けずに54帖とする。中世以前によく行われたとされる。
  • 「雲隠」を除き、「若菜」を上下に分けて54帖とする。中世以後に有力になった。

また、鎌倉時代以前には、『源氏物語』は「雲隠」を含む37巻と「並び」18巻とに分けられており、並びの巻を含めない37巻という数え方が存在し、さらに、宇治十帖全体を一巻に数えて全体を28巻とする数え方をされることもあった。37巻とする数え方は仏体37尊になぞらえたもので、28巻とする数え方は法華経28品になぞらえたものであると考えられている。これらはいずれも数え方が異なるだけであって、その範囲が現在の『源氏物語』と異なるわけではない。

ただし、それらとは別に、現在、存在しない巻を含めるなどによって別の巻数を示す資料も存在する。

失われた巻々[編集]

かつて、『源氏物語』には、現在の『源氏物語』には存在しないいくつかの「失われた巻々」が存在したとする説がある。そもそも、『源氏物語』が最初から54帖であったかどうかというそのこと自体がはっきりしない。

現行の本文では、

  • 光源氏と藤壺が最初に関係した場面
  • 六条御息所との馴れ初め
  • 朝顔の斎院が初めて登場する場面

に相当する部分が存在せず、位置的には「桐壺」と「帚木」の間にこれらの内容があってしかるべきであるとされる(現に、この脱落を補うための帖が後世の学者によって幾作か書かれている)。藤原定家の記した「奥入」にはこの位置に「輝く日の宮(かがやくひのみや)」という帖がかつてはあったとする説が紹介されており、池田亀鑑や丸谷才一のようにこの説を支持する人も多い。つまり、「輝く日の宮」については、

  • もともとそのような帖はなく作者は1-3のような描写をあえて省略した
  • 「輝く日の宮」は存在したがある時期から失われた
  • 一度は「輝く日の宮」が書かれたが、ある時期に作者の意向もしくは作者の近辺にいた人物と作者の協議によって削除された(丸谷才一は藤原道長の示唆によるものとする)

の3説があることになる。なお、「輝く日の宮」は「桐壺」の巻の別名であるとする説もある。

それ以外にも、古注の一つ『白造紙』に、「サクヒト」、「サムシロ」、「スモリ」といった巻名が、また、藤原為氏の書写と伝えられる源氏物語古系図に、「法の師」、「巣守」、「桜人」、「ひわりこ」といった巻名がみえるなど、古注や古系図の中にはしばしば現在みられない巻名や人名がみえるため、「輝く日の宮」のような失われた巻が他にもあるとする説がある。当時の人々はこのような外伝的な巻々まで含めたものまでを源氏物語として扱っていたとみられるため、このような形の源氏物語を「源氏物語の類」といった形で把握する説もある。この他、『更級日記』では『源氏物語』の巻数を「五十余巻(よかん)」としているが、これが54巻を意味しているのかどうかについても議論がある。

2009年11月には「巣守帖」と思われる写本の一部が中央大学教授の池田和臣によって発見されたと報道されており、今後の研究が待たれる[36]

源氏物語60巻説[編集]

無名草子』や『今鏡』、『源氏一品経』、『光源氏物語本事』のように、古い時代の資料に『源氏物語』を60巻であるとする文献がいくつか存在する。一般的には、この60巻という数字は仏教経典天台60巻になぞらえた抽象的な巻数であると考えられているが、この推測はあくまで「60巻という数字が事実でなかった場合、なぜ(あるいはどこから)60巻という数字が出てきたのか」の説明に過ぎず、60巻という数字が事実でないという根拠が存在するわけではない。

この「『源氏物語』が全部で60巻からなる」という伝承は、「源氏物語は実は60帖からなり、一般に流布している54帖の他に秘伝として伝えられ、許された者のみが読むことが出来る6帖が存在する」といった形で一部の古注釈に伝えられた。源氏物語の注釈書においても、一般的な注釈を記した「水原抄」に対して秘伝を記した「原中最秘抄」が別に存在するなど、この時代にはこのようなことはよくあることであったため、「源氏物語本文そのものに付いてもそのようなことがあったのだろう」と考えられたらしく、秘伝としての源氏物語60巻説は広く普及することになり、後に、多くの影響を与えた。例えば、『源氏物語』の代表的な補作である「雲隠六帖」が6巻からなるのも、もとからあった54帖にこの6帖を加えて全60巻になるようにするためだと考えられており、江戸時代の代表的な『源氏物語』の刊本をみても、

  • 絵入源氏物語』は『源氏物語』本文54冊に、「源氏目案」3冊、「引歌」1冊、「系図」1冊、「山路露」1冊を加えて
  • 『源氏物語湖月抄』は「若菜」上下と「雲隠」を共に数に入れた源氏物語本文55冊に「系図」、「年立」などからなる「首巻」5冊を加えて

いずれも全60冊になる形で出版されている。

並びの巻[編集]

『源氏物語』には並びの巻と呼ばれる巻が存在する。『源氏物語』は鎌倉時代以前には「雲隠」を含む37巻と「並び」18巻とに分けられていた(なお、並びがあるものは、他に、『宇津保物語』、『浜松中納言物語』がある)。このことに対して、「奥入」と鎌倉時代の文献『弘安源氏論議』において、その理由が不審である旨が記されている。帖によっては登場人物に差異があり、話のつながりに違和感を覚える箇所があるため、ある一定の帖を抜き取ると話がつながるという説がある。その説によれば、紫式部が作ったのが37巻の部分で、残りの部分は後世に仏教色を強めるため、読者の嗜好の変化に合わせるために書き加えられたものだとしている。

並びの巻に関する寺本直彦の説[編集]

『源氏物語』の巻名の異名は次の通りであるが、

  1. 桐壺 - 壺前栽
  2. 賢木 - 松が浦島
  3. 明石 - 浦伝
  4. 少女 - 日影
  5. 若菜(上‐箱鳥、下‐諸鬘、上下‐諸鬘)
  6. 匂宮 - 薫中将
  7. 橋姫 - 優婆塞
  8. 宿木 - 貌鳥
  9. 東屋 - 狭蓆
  10. 夢浮橋 - 法の師

寺本は8で「貌鳥」を並の巻の名とする諸書の記述に注目し、「貌鳥」は現在の「宿木」巻の後半ないし末尾であったことを明らかにし、5「若菜」に対する「諸鬘」なども同様であったと推論した。 その他に、1、10もそれぞれ、「桐壺」が「桐壺」と「壺前栽」、「夢浮橋」が「夢浮橋」と「法の師」に二分されていたことを示すもので、また、『奥入』の「空蝉」巻で、

一説には、二(イ巻第二)かヽやく日の宮このまきなし(イこのまきもとよりなし)。ならひの一はヽ木ヽうつせみはおくにこめたり(イこのまきにこもる)。

という記述についても、「輝く日の宮」が別個にあるのではなく、それは現在の「桐壺」巻の第3段である藤壺物語を指し、「輝く日の宮」を「桐壺」巻から分離し第2巻とし、これを本の巻とし、「空蝉」巻を包含した形の「帚木」巻と「夕顔」巻とをそれぞれ並一・並二として扱う意味であると理解しようとした。 寺本は、結論として、並とは本の巻とひとそろい、ひとまとめになることを示し、巻々をわけ、また、合わせる組織・構成に関係づけた[37][38]

巻々の執筆・成立順序[編集]

『源氏物語』の巻々が執筆された順序については「桐壺」から始まる現在読まれている順序で書かれたとするのが一般的な考えであるが、かならずしもそうではないとする見方も古くからさまざまな形で存在する。

古注の『源氏物語のおこり』や『河海抄』などには、『源氏物語』が、現在、冒頭に置かれている「桐壺」の巻から書き始められたのではなく、石山寺で「須磨」の巻から起筆されたとする伝承が記録されている。ただし、これらの伝承は「紫式部が源高明の死を悼んで『源氏物語』を書き始めた」とするどう考えても歴史的事実に合わない説話や、紫式部が菩薩の化身であるといった中世的な神秘的伝承と関連づけて伝えられることも多かったため、古くからこれを否定する言説も多く、近世以降の『源氏物語』研究においては『源氏物語』の成立や構成を考えるための手がかりとされることはなかった。

与謝野晶子は、『源氏物語』は「帚木」巻から起筆され、「桐壺」巻は後になって書き加えられたのであろうとする説を、『源氏物語』の全体を二分して後半の始まりである「若菜」巻以降を紫式部の作品ではなくその娘である大弐三位の作品であろうとする見解とともに唱えた[39]

和辻哲郎は、「帚木」巻の冒頭部の記述についての分析などから、「とにかく現存の源氏物語が桐壺より初めて現在の順序のままに序を追うて書かれたものではないことだけは明らかだと思う」と結論付けた[40]

阿部秋生は「桐壺」巻から「初音」巻までについて、

  • まず、「若紫」、「紅葉賀」、「花宴」、「葵」、「賢木」、「花散里」、「須磨」の各巻が先に書かれ、
  • その後、「帚木」、「空蝉」、「夕顔」、「末摘花」が書かれた後に、「須磨」以後の巻が執筆され、
  • 「乙女」巻を書いた前後に「桐壺」巻が執筆された

とする説を発表したが[41]、玉上琢弥が部分的に賛同した以外は大きな影響を与えることはなかった[42]。この他に、「桐壺」巻を後からの書き加えであるとする説には、藤田徳太郎の説[43]、「桐壺」巻のほか「帚木」巻も後から書き加えたとする佐佐木信綱の説[44]がある。

武田宗俊の第一部二系統説[編集]

武田宗俊は阿部秋生の仮説を『源氏物語』第一部全体に広げ、第一部の巻々を紫上系・玉鬘系の2つの系統に分類し、

  • 紫上系の巻だけをつなげても矛盾のない物語を構成し、おとぎ話的な「めでたしめでたし」で終わる物語になっている。武田はこれを『「原」源氏物語』であるとしている。
  • 紫上系の巻で起こった出来事は玉鬘系の巻に反映しているが、逆に、玉鬘系の巻で起こった出来事は紫上系の巻に反映しない。
  • 玉鬘系の巻はしばしば紫上系の巻と時間的に重なる描写がある。
  • 源氏物語第一部の登場人物は、紫上系の登場人物と玉鬘系の登場人物に明確に分けることができ、紫上系の登場人物は、紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するのに対して、玉鬘系の登場人物は玉鬘系の巻にしか登場しない。
  • 光源氏や紫上といった両系に登場する主要人物の呼称が紫上系の巻と玉鬘系の巻で異なる。
  • 紫上系の巻で光源氏と関係を持つのは紫の上・藤壺・六条御息所といった身分の高い「上の品」の女性達であり、玉鬘系の巻で光源氏と関係を持つのは空蝉・夕顔・玉鬘といった上の品より身分の低い「中の品」の女性達であるというように明確にわかれている。
  • 桐壺巻と帚木巻、夕顔巻と若紫巻など紫上系の巻から玉鬘系の巻に切り替わる部分や、逆に、玉鬘系の巻から紫上系の巻に切り替わる部分の描写に不自然な点が多い。
  • 紫上系の巻の文体や筆致等は素朴であり、玉鬘系の巻の描写は深みがある。これは後で書かれた玉鬘系の方がより作者の精神的成長を反映しているためであると考えると説明がつく。

といったさまざまな理由から、『源氏物語』第一部はまず紫上系の巻が執筆され、玉鬘系の巻はその後に、一括して挿入されたものであるとした[45]

武田説以後の諸説[編集]

風巻景次郎は、現在の『源氏物語』には存在しない「輝く日の宮の巻」と「桜人の巻」の存在を想定し、それによって武田説に存在した「並びの巻」と「玉鬘系」の「ずれ」を解消し、「並びの巻が玉鬘系そのものであり、後記挿入されたものである」とした[46]

丸谷才一大野晋との対談で、この説をさらに深め(1)b系は、空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘を中心に源氏の恋の失敗を描いた帖であることが共通していること、(2)筆がa系よりもこなれており、叙述に深みがあることなどの点から、a系第一部の評価が高くなったのちに、今度は御伽噺の主人公のように完璧な光源氏(実際にa系の源氏はそう描かれている)の人間味を描くために書かれたのがb系ではないかと述べている。また、b系には、後に、「雨夜の品定め」と呼ばれる女性論や、「日本紀などはただかたそばぞかし」と源氏に語らせた物語論もあり、大変興味深いものとなっている[47][48]

斎藤正昭は、玉鬘系の巻々のうち玉鬘十帖などは紫の上系の巻々より後に書かれたが、帚木三帖は逆に紫の上系の巻々より前に書かれたとした[49][50]。玉鬘系の巻々がいくつかに分割して挿入されたとする説には、この他に、伊藤博による帚木三帖と末摘花を葵帖着筆前の挿入、蓬生及び関屋を少女巻執筆後の後記挿入とする説[51]などがある。

この他にも、武田説が出てからは、さまざまな論点から武田説と同様に、『源氏物語』が現行の巻の並び通りに執筆・成立されたのではないとする学説が続出した[52][53][54]

武田説批判[編集]

武田説については、このように大きな影響力を持ち、多くの賛同者を得た一方で激しい批判も数多く受けた。批判を行った点は論者によってさまざまに異なるが、その主なものを挙げる。

  • 源氏物語には「本伝」と呼ぶべき部分と「外伝」と呼ぶべき部分が存在することは確かであるが、それはあくまで構想論上の問題として考えるべきものではあっても成立論の問題として考えるべきではないとするもの[55]
  • 武田説は近代的な合理主義を前提として議論を進めているが、そのような合理主義が源氏物語が成立した当時に通用するとは限らないとするもの[56]
  • 「葵」巻の中に末摘花のことを指しているとされる一節があるなど、玉鬘系の人物が紫上系の巻に現れるといった点などの武田説の主張の根拠の事実認識に誤りがあるとするもの[57][58][59]
  • 「玉鬘系の主要人物が紫上系に登場しないこと」などは構想論上の要請に基づくものとして説明できるとするもの[60]
  • 根拠に描写がこなれているとか不自然であるとかいった主観的なものについては学問的に検証できるものではなく、武田論文においても具体的な検証は何も行われていないとするもの。
  • 『源氏物語』がどのような経過で成立したのかを根拠付ける外部資料は少なくとも今のところ存在せず、また、『更級日記』などの記述をみても、成立してほどない時期から、『源氏物語』は今のような五十四帖全てが完成した形で読まれてきたと考えられることから、例え『源氏物語』の成立過程がどのようなものであるにせよ、『源氏物語』の研究・鑑賞は五十四帖全てが完成した形での『源氏物語』に対して行われるべきである。また、『源氏物語』に、一見すると欠落している部分が存在するようにみえるのは、武田説が主張するような複雑な成立の経緯が存在するために起きた現象なのではなく、物語の中に、意図的に「描かれていない部分」を設けることによって、すべてを具体的に描くより豊かな世界を構成しようとする構想上の理由が原因であるとするもの[61]
  • 成立論と構想論が明確に区別されず、混じり合って議論されていることを批判するもの[62]
  • 紫上系と玉鬘系の間に質的な違いが存在することを認めつつも、そこから何らの証拠もないままで成立論に向かうのは「気ままな空想」に過ぎないとするもの[63]

その他の説[編集]

原『源氏物語』短編説
原『源氏物語』は、「若紫」、「蛍」程度の短編であるとの説。和辻哲郎による。
後挿入説
一部の帖があとから挿入されたという説。「桐壺」1帖(室町時代の『源氏物語聞書』、与謝野晶子の説)、「帚木」・「空蝉」・「夕顔」3帖(風巻景次郎の説)など。
池田亀鑑の説
『源氏物語』は長編的な性格を持った巻々と短編的な性格を持った巻々から構成されており、長編的な性格を持った巻々は今並べられている順序で執筆されたと考えられるが、短編的性格を持った巻々は長編的な性格を持った巻々が一区切りついたところで、またはそれらと並行して書かれ、長編的な性格を持った巻々の間に後から挿入されたと考えられる[64]

第3部と宇治十帖[編集]

「匂宮」巻以降は、源氏の亡き後、光源氏・頭中将の子孫たちのその後を記す。特に、最後の10帖は「宇治十帖」と呼ばれ[65][8]宇治を舞台に、薫の君匂宮の2人の男君と宇治の三姉妹の恋愛模様を主軸にした仏教思想の漂う内容となっている。

第3部および宇治十帖については他作説が多い。主なものを整理すると以下のとおりとなる。

  • 匂宮」、「紅梅」、「竹河」は宇治十帖とともに後人の作を補入したものであるとの小林栄子による説。
  • 宇治十帖は大弐三位(紫式部の娘賢子)の作であるとする説。一条兼良の『花鳥余情』、一条冬良の『世諺問答』などによる。また、与謝野晶子は「若菜」以降の全巻が大弐三位の作であるとした。
  • 別人の作説 - 安本美典 文部省(現文部科学省)の統計数理研究所(「雲隠」までと宇治十帖の名詞助動詞の使用頻度が明らかに異なるという研究結果による)[66]

なお、通説では、第3部はおそらく式部の作(第2部執筆以降かなり長期間の休止を置いたためか、用語や雰囲気が相当に異なっているが、それをもって必ずしも他人の作とまでいうことはできない)というものである。また、研究者の間では、通説においても、「紅梅」、「竹河」はおそらく別人の作であるとされる(「竹河」については武田宗俊、与謝野晶子の説でもある)。

主要テーマ(主題)の諸説[編集]

「源氏物語の主題が何であるのか」については古くからさまざまに論じられてきたが、『源氏物語』全体を一言でいい表すような「主題」については、「もののあはれ」論がその位置に最も近いとはいえるものの、未だに広く承認された決定的な見解は存在しない。古注釈の時代には「天台60巻になぞらえた」とか「一心三観の理を述べた」といった仏教的観点から説明を試みたものや、『春秋』、『荘子』、『史記』といったさまざまな中国の古典籍に由来を求めた儒教的、道教的な説明も多くあり、当時としては主流にある見解といえた。『源氏物語』自体の中に儒教や仏教の思想が影響していることは事実としても、当時の解釈はそれらを教化の手段として用いるためという傾向が強く、物語そのものから出た解釈とはいいがたいこともあって、後述の「もののあはれ」論の登場以後は衰えることになった。

これに対し、本居宣長は、『源氏物語玉の小櫛』 において、『源氏物語』を「外来の理論」である儒教や仏教に頼って解釈するべきではなく、『源氏物語』そのものから導き出されるべきであるとし、その成果として、「もののあはれ」論を主張した。この理論は源氏物語全体を一言でいい表すような「主題」として最も広く受け入れられることになった[67]。その後、明治時代に入ってから藤岡作太郎による「源氏物語の本旨は夫人の評論にある」といった理論が現れた[68]

明治時代以後、坪内逍遥によって『小説神髄』が著されるなどして西洋の文学理論が導入されるに伴い、さまざまな試みがなされ、中には、部分的にはそれなりの成果を上げたものもあったものの、

  • そもそも、『源氏物語』に西洋の文学理論でいうところの「テーマ」が存在するのか。
  • 『源氏物語』に対して西洋の文学理論を適用すること、およびそれに基づく分析手法を用いた結果導き出された「テーマ」に意味があるのか

といった前提が問い直されていることも多く、それぞれがそれぞれの関心に基づいて論じているという状況であり、『源氏物語』全体を一言で表すような主題を求める努力は続けられており、三谷邦明による反万世一系論や、鈴木日出男による源氏物語虚構論[69]などのような一定の評価を受けた業績も現れてはいるものの、一方で、『源氏物語』には西洋の文学理論でいうところの「テーマ」は存在しないとする見解も存在する[70]など広く合意された結論が出たとはいえない状況である[71][72][73][74][75]。『源氏物語』の、それぞれの部分についての研究がより精緻になるにしたがって、『源氏物語』全体に一貫した主題をみつけることは困難になり、「読者それぞれに主題と考えるものが存在することになる」という状況になる[76]。平成10年(1998年)から平成11年(1999年)にかけて風間書房から出版された『源氏物語研究集成』では、全15巻のうち冒頭の2巻を「源氏物語の主題」にあて、計17編の論文を収録しているが、『源氏物語』全体の主題について直接論じたものはなく、すべて特定の巻または「○○物語」といった形でまとまって扱われることの多い、関連を持った一群の巻々についての主題を論じたものばかりである[77][78]

藤原氏と源氏[編集]

『源氏物語』は、なぜ藤原氏全盛の時代(作者の紫式部も藤原氏で、その上『尊卑分脈』注に「紫式部是也(中略)御堂関白道長妾」とあるなど藤原道長の愛人とされる)に、かつて藤原一族が安和の変で失脚させた源氏朱雀天皇以降、皇后に源氏がなったことはなく、常に藤原北家からの皇后である)を主人公にし、源氏が恋愛に常に勝ち、源氏の帝位継承をテーマとして描いた(王朝物語の全てが源氏が勝利する(例えば『狭衣物語』の狭衣中将)ことを含む)のか。初めてこの問いかけを行った藤岡作太郎は、「源氏物語の本旨は、夫人の評論にある」とした論の中で、政治向きに無知・無関心な女性だからこそこのような反藤原氏的な作品を書くことができたし、周囲からもそのことを問題にはされなかったのだとしたが、池田亀鑑は、逆に、藤原氏の全盛時代という現実世界の中で生きながらも高邁な精神を持ち続けた作者紫式部が理想を追い求めた世界観の表れがこの『源氏物語』という作品であるとしている[79]。この問題を取り上げた中には、

  • 『源氏物語』を著したのは藤原氏の紫式部ではなく多数の作者らであるとする、推理作家である藤本泉の説
    詳細は#異説を参照
  • 恨みをはらんで失脚していった源氏の怨霊を静めるためであるという『逆説の日本史』などで論じた井沢元彦の説[80]

といった説も存在する。もっとも、このような見解については『源氏物語』成立の背景に以下のような理由を挙げている大野晋の見解のように、氏族として藤原氏と源氏が対立しているとはいえず、仮に、そのようなものがあったとしても個人的な対立関係の範疇を超えないとして、問いかけの前提の認識に問題があるとする見方もある[81]

  • この物語の作者である紫式部は、父藤原為時が源師房の父具平親王と親しく、一時期、家司をつとめていたこともあるとみられるなど藤原氏の中でも源氏と近い立場にあること。
  • 藤原道長はその甥藤原伊周との対立など藤原氏一族の内部での激しい権力闘争を行う一方、以下のように源氏一族とは縁戚関係の構築に積極的であり、源氏との対立関係にあるとはいいがたいこと。
    • 藤原道長の正妻が源倫子である(道長はその他にも源明子も妻にしている)。
    • 道長の息子藤原頼通の正室隆姫女王の弟であった源師房が、頼通・隆姫夫妻の猶子(『小右記』には「異姓の養子」と表記)になり、道長の娘藤原尊子の夫となることにより道長の婿ともなり、藤原摂関家と最も密接な関係を築き上げたことにより太政大臣にまでなり、源氏長者の地位に就き、唯一の公家源氏である村上源氏の祖となった。

また、より積極的に、上記のような事実関係を前提にして、「『源氏物語』は紫式部が父の藤原為時とともに具平親王の元にいた時期に書き始められた」とする見解もある[82][83]

本文[編集]

概要[編集]

写本については池田亀鑑の説では以下の3種類に分けられるとされる。ただし、その後もこの分類について妥当か研究されている。

青表紙本系
藤原定家が校合したもの。その表紙が青かったことからこう呼ばれる。定家の直筆『定家本』4帖を含む。一般的には最も紫式部の書いたものに近いとされている。主な写本として明融本大島本三条西家本池田本などがある。
河内本系
大監物 源光行親行の親子が校合したもの。彼ら2人とも河内守を経験したことがあることからこう呼ばれる。表題は『光源氏』となっているものも多い。
別本
「青表紙本系」および「河内本系」のどちらでもないもの。特定の系統を示すものではない。一般には「青表紙本系」と「河内本系」が混合し崩れた本文であると考えられているが、藤原定家らによって整理される以前の形態を残すものも同じく別本の名でよばれている。

ただし、流通しているものは混合している。

近世以前に印刷されたものはほとんど仏典に限られ、そうでないものは写本によって流通していた。また、筆写の際に文の追加・改訂が行われ、書き間違い、錯簡も多く、鎌倉時代には21種の版があったとされる。そこで、藤原定家がそれらを原典に近い形に戻そうとして整理したものが「青表紙本」系の写本である。ただし、その写本も定家自筆のものは4帖しか現存せず、それ以降も異本が増え、室町時代には百数十種類にも及んだ。

なお、16世紀末に活字印刷技法が日本に伝えられ、のち、慶長年間になってはじめて『源氏物語』の古活字版(大字10行本)が刊行された。現在、竜門文庫、実践女子大学図書館、国立国会図書館にその所蔵が知られている。

参考

本文の伝承の始まり[編集]

紫式部の書いた『源氏物語』の原本は現存していない。また、『紫式部日記』の記述によれば、紫式部の書いた原本をもとに当時の能書家によって清書された本があるはずであるが、これらもまた現存するものはない。『紫式部日記』の記述によると、そもそも、作者の自筆の原本の段階で草稿本、清書本など複数の系統の本が存在し、作者の手元にあった草稿本が道長の手によって勝手に持ち出されるといった意図しないケースを含めてそれぞれが外部に流出するなど、『源氏物語』の本文は当初から非常に複雑な伝幡経路をたどっていたことが分かる。確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は現在のところ一つもみつかっておらず、この時期の写本を元に作成されたとみられる写本も非常に数が限られている。このため、現在ある諸写本を調べていけば何らかの一つの本文にたどり着くのかどうかさえ議論に決着がつかない状態である。そのため、現在では紫式部が書いた原本の復元はほぼ不可能であると考えられている。

なお、平安時代末期に成立したとみられる『源氏物語絵巻』には、絵に添えられた詞書として、『源氏物語』の本文とみられるものが記されており、その中には、現在知られている『源氏物語』の本文と大筋で同じながら、現在発見されているどの写本にもみられない本文が含まれている。この本文は現在確認されている限りで最も古い時代に記された『源氏物語』の本文ということになるが、「絵巻の詞書」というその性質上、もともとの本文の要約である可能性などもあるため、本来の『源氏物語』本文をどの程度忠実に写し取っているのか解らないとして本文研究の資料としては使用できないとされている。

『源氏物語』は完成直後から広く普及し多くの写本が作られたとみられる。しかしながら、鎌倉時代以降の『源氏物語』が古典として重要な教養の源泉であるとされた以後の時代に作成された写本は、証本となしうる信頼できる写本を元に注意深く写しとって、きちんと校合などもした上で完成させることが一般的であったが、それ以前、平安時代には『源氏物語』などの物語は広く普及し多くの写本が作られており、その中には従一位麗子本などの身分の高い人物が自ら作ったとみられる写本もあったのであるが、物語という作品の位置付けが「絵空事」、「女子供の手慰み」といったものであり、勅撰集など公的な位置付けを持った歌集はもちろん、そうでない私的な歌集などと比べても極めて低いものであった。そのため、当時は筆写の際にかなり自由に文の追加・改訂が行われるのがむしろ一般的であったとみられる。この際、作者の紫式部が受領階級の娘であり妻であったという当時の身分・階級制度の中では高いとはいえない地位にあったことも、本文を忠実に写し取り伝えていこうとする動機を欠く要因になったとする意見も学者の中には多い。

また、『更級日記』の中の、作者(菅原孝標女)が『源氏物語』の一部分だけを読む機会があって最初からすべてを読みたいと願ったという記述にみられるように、『源氏物語』のような大部の書物は常に全体がセットになって流通しているというわけではなかったとみられる。写本による流通が主であった時代には、大部の書物は全体の中から自分が残したい、あるいは人に読ませたいと考えた部分だけを書き写すといった形で流通することも少なくなかったと考えられる。このようないくつかの現象の結果として、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてのころには多くの『源氏物語』の写本が存在しているものの、家々が持つ写本ごとにその内容が違っており、どれが元の形であったのか分からないという状況になっていた。

「青表紙本」と「河内本」の成立[編集]

『源氏物語』が単なる「女子供の手慰み」という位置づけから、『古今和歌集』などと並んで重要な教養(歌作り)の源泉として古典・聖典化していった平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、『源氏物語』の本文について2つの大きな動きが起こった。一つは藤原定家によるもので、その成果が「青表紙本」系本文であり、もう一つが河内学派によるものでその成果が「河内本」系の本文である。これ以後20世紀末ころから「別本」系本文の再評価が始まるまでの長い間、『源氏物語』の本文についてはこの2つの本文をめぐって動くことになる。

この両者の作業はいずれも乱れた状況にあった『源氏物語』の本文を正そうとするものであったが、その結果は若干異なったものとなった。現在ある「青表紙本」と「河内本」の本文を比べると、「青表紙本」の方をみると、意味が通らない多くの箇所で「河内本」をみると意味が通るような本文になっていることが多い。これは、「河内本」が意味の通りにくい本文に積極的に手を加えて意味が通るようにする方針で校訂されたのに対して、「青表紙本」では意味の通らない本文も可能な限りそのまま残すという方針で校訂されたためであるからだと考えられている。このことは、藤原定家と源光行らが共にほぼ同じ資料を前にして、当時の本文の状況を、「さまざまに異なった本文が存在し、その中のどれが正しいのかわからない」と認識していたにもかかわらず、定家は「その疑問を解決することはできなかった」という意味のことを述べ、源光行は「さまざまな調査の結果疑問をすっきりと解決することができた」という意味のことを述べるという正反対の結論に達していることともよく対応していると考えられてきた。ただし、定家の作り上げた「青表紙本」系統の本文が本当に元の本文に手を加えていないかどうかについては、近年になって、定家の『土佐日記』など他の古典の写本作成に対する態度を詳細に調査することによって、ある場合には積極的に本文に手を加えることもあるということが明らかになってきたために再検討の必要が唱えられている。

室町時代・江戸時代[編集]

この2系統の本文のうち、鎌倉時代には「河内本」が圧倒的に優勢な状況であり、今川了俊などは「青表紙本は絶えてしまった」と述べていたほどであった。その最も大きな原因は、話の筋や登場人物の心情を理解するためにはそれ自体として意味のくみとれなかったり、前後の記述に矛盾のある(ようにみえる)箇所を含んでいる「青表紙本」よりも、そのような矛盾を含んでいない(ようにみえる)「河内本」のほうが使いやすかったりしたからであると考えられている。それでも、室町時代半ばごろから藤原定家の流れを汲む三条西家の活動により、古い時代の本文により忠実だとされる「青表紙本」が優勢になり、逆に、「河内本」の方が消えてしまったかのような状況になった。ただし、三条西家系統の「青表紙本」は純粋な「青表紙本」と比べると「河内本」などからの混入がみられる本文であった。

その後、江戸時代に入ると版本による『源氏物語』の刊行が始まり、裕福な庶民にまで広く『源氏物語』が行き渡るようになってきた。「絵入源氏物語」、「首書源氏物語」、「源氏物語湖月抄」といった版本の本文は、当時、最も有力であった広い意味での「青表紙本」系統の三条西家系統の本文に、さらに、「河内本」や「別本」からの混入がみられる本文であった。写本や版本によって本文が異なることはこの時代すでに知られており、本居宣長などもその点についての指摘を行ったこともあるが本格的な本文研究に進むことはなかった。この時代、良質な写本の多くは大名や公家、神社仏閣などに秘蔵されており、どこがどのような写本を所蔵しているのかということすらほとんどの場合明らかではなかったため、複数の写本を実際に手にとって具体的に比較することは事実上不可能であった。

明治時代以後[編集]

明治時代に入ると活字による印刷本文の発行が始まった。当初は江戸時代に発行された刊本をそのまま活字化するだけであったが、次第に、より古い、より原本に近いと考えられる本文を求めるようになり、「首書源氏物語」の本文と「源氏物語湖月抄」の本文とではどちらが優れているのかといった議論を経て、1914年(大正3年)に「首書源氏物語」を底本にした校訂本である『源氏物語』が有朋堂文庫から出版され、広く普及した。やがて、明治末年ころから学問的な本文研究の努力が本格的に始まった。多くの学者の努力によって、「大島本」などの「青表紙」系統の写本や、当時はすでに失われてしまったと考えられていた「河内本」系統の写本など多くの古写本が発見され、学問的な比較作業が行われた。その結果は池田亀鑑により『校異源氏物語』および『源氏物語大成 校異編』に結実した。

池田は集められた多くの写本を「青表紙本系」と「河内本系」の2つに分け、それに属さない写本を「別本」として1つにまとめ、3種類の系統に分けた。古注の中などで言及されており、言葉だけは広く知られていた「青表紙本」と呼ばれる写本のグループと、「河内本」と呼ばれる写本のグループが本当に存在することはこの時代になって初めて明らかになったということができる。この3分類法はいろいろな別の分野での研究結果とも一致すると考えられたこともあって、説得力のある見解として広く受け入れられるようになった。ただし、池田は、それぞれの写本をどの分類に入れるかを決めるに当たっては、それぞれの写本の奥書(その写本がどのような写本からいつ誰によってどのように写されたのかといったことを記してある部分)の内容など、それぞれの写本の外形的なものを重視した。

しかし、このような歴史的経緯や写本を外形的な特徴に基づいて分類することが、本文そのものの内容の分類として正しい、妥当なものであるのかどうか、そもそも、「青表紙本」や「河内本」が成立したのは事実であるとしても、本文の系統としてそのような区分を立てることが妥当なのかどうかについての検討をすることもなかった点には注意を払う必要がある。

このように、その後の研究によって、この3分類法はいろいろと問題点も指摘されるようになってはいるが、現時点でも一応は有効なものとされている。

これらの3分類を見直すべきだとする見解としては、阿部秋生による「奥書に基づいて写本を青表紙本、河内本などと分類することが妥当なのかどうかは、本文そのものを比較しそういう本文群が存在することが明らかになった後で初めていえることであって、その手続きを経ることなく奥書に基づいて写本を分類することは、本文そのものを比較するための作業の前段階の仮の作業以上の意味を持ち得ない」、あるいは、「もし、青表紙本がそれ以前に存在したどれか一つの本文を忠実に伝えたのであれば、河内本が新しく作られた混成本文であるのに対し、青表紙本とは別本の中の一つであり、源氏物語の本文系統は、青表紙本・河内本・別本の3分類で考えるべきではなく、別本と河内本の2分類で考えるべきである」といったものがある[84]

実際の写本[編集]

古い時代に作られ現在まで伝わっている実際の写本は、できあがった写本が完成当時の姿をそのまま伝えられていることは少なく、一部が欠けてしまったり、その欠けた部分を補うために別の写本と組み合わせたり、別系統の本文を持った写本と校合されたりしていることも少なくない。また、このような状態の写本を元にしてそのまま写した写本を作成したために、最初に完成した時点ですでに巻ごとに異なった系統の本文になったとみられる写本も存在する。

例えば、「青表紙本」系統の写本の中で最も良質な本文であるとされ、現在、多くの校訂本の底本に採用されている飛鳥井雅康筆の「大島本」の場合でも、「浮舟」を欠いた53帖しか現存しておらず、「初音」帖は他の部分と同じ飛鳥井雅康の筆でありながら、本文自体は「青表紙本」系統の本文ではなく、「別本」系統の本文であり、「桐壺」と「夢浮橋」は後世の別人の筆である。また、ほぼ全巻にわたって数多くの補筆や訂正の跡がみられるが、その内容は「河内本」系統の写本に基づくとみられるものが多い。

校訂本[編集]

まず、本文校訂のみに特化して校異を掲げた文献をあげる。この他に、主要な写本については個別に翻刻したものが出版されている。

  • 校異源氏物語』(全4巻)池田亀鑑(中央公論社、1942年)
  • 源氏物語大成』(校異編)池田亀鑑(中央公論社、1953年-1956年)
  • 『河内本源氏物語校異集成』加藤洋介編(風間書房、2001年)ISBN 4-7599-1260-6
  • 源氏物語別本集成』(全15巻)伊井春樹他源氏物語別本集成刊行会(おうふう、1989年3月~2002年10月)
  • 『源氏物語別本集成 続』(全15巻の予定)伊井春樹他源氏物語別本集成刊行会(おうふう、2005年~)

注釈が付いたものとしては次のようなものが出版されている。多くは校訂本も兼ねており、現代語訳と対照になっているものもある。また、注釈などの内容を簡略化した軽装版や文庫版が同じ出版社から出ているものもある。これらはすべて青表紙本系の写本を底本にしており、中でも、三条西家本を底本にしている(旧)日本古典文学大系本(およびその軽装版である岩波文庫版)を除き基本的に大島本を底本にしている。

  • 『源氏物語』日本古典全書(全7巻)池田亀鑑著(朝日新聞社、1946年~1955年)
  • 『源氏物語』日本古典文学大系(全5巻)山岸徳平(岩波書店、1958年~1963年)
  • 『源氏物語評釈』(全12巻別巻2巻)玉上琢弥(角川書店、1964年~1969年)
  • 『源氏物語』日本古典文学全集(全6巻)阿部秋生他(小学館、1970年~1976年)
  • 『源氏物語』新潮日本古典集成(全8巻)石田穣二他(新潮社、1976年~1980年)
  • 『源氏物語』完訳日本の古典(全10巻)阿部秋生他(小学館、1983年~1988年)
  • 『源氏物語』新日本古典文学大系(全5巻)室伏信助他(岩波書店、1993年~1997年)
  • 『源氏物語』新編日本古典文学全集(全6巻)阿部秋生他(小学館、1994年~1998年)

登場人物[編集]

詳細は源氏物語の登場人物を参照

『源氏物語』の登場人物は膨大な数に上るため、ここでは主要な人物のみを挙げる。

なお、『源氏物語』の登場人物の中で本名が明らかなのは光源氏の家来である藤原惟光と源良清くらいであり、光源氏をはじめとして大部分の登場人物は「呼び名」しか明らかではない。また、『源氏物語』の登場人物の表記には、もともと作中に出てくるものと、直接作中には出てこず、『源氏物語』が受容されていく中で生まれてきた呼び名のふた通りが存在する。作中での人物表記は当時の実際の社会の習慣に沿ったものであるとみられ、人物をその官職や居住地などのゆかりのある場所の名前で呼んだり、「一の宮」や「三の女宮」あるいは「大君」や「小」君といった一般的な尊称や敬称で呼んだりしていることが多いため、状況から誰のことを指しているのか判断しなければならない場合も多いだけでなく、同じひとりの人物が巻によって、場合によっては一つの巻の中でも様々な異なる呼び方をされることがあり、逆に、同じ表現で表される人物が出てくる場所によって別の人物を指していることも数多くあることには注意を必要とする。

光源氏
第1部・第2部の主人公。桐壺帝と桐壺更衣の子で桐壺帝第二皇子。臣籍降下して源姓を賜る。いったん須磨に蟄居するが、のち復帰し、さらに准太上天皇に上げられ、六条院と称せられる。原文では「君」「院」と呼ばれる。妻は葵の上、女三宮、事実上の正妻に紫の上。子は、夕霧(母は葵の上)、冷泉帝(母は藤壺中宮、表向きは桐壺帝の子)、明石中宮今上帝の中宮。母は明石の御方)。ほか養女に秋好中宮(梅壺の女御)(六条御息所の子)と玉鬘(内大臣と夕顔の子)、表向き子とされる薫(柏木と女三宮の子)がいる。
桐壺帝
光源氏の父。子に源氏のほか、朱雀帝(のち朱雀院)、蛍兵部卿宮八の宮などが作中に出る。末子とされる冷泉帝は、桐壺帝の実子でなく、源氏の子。
桐壺更衣
桐壺帝の更衣。源氏が3歳のとき夭逝する。
藤壺中宮
桐壺帝の先帝の内親王。桐壺更衣に瓜二つであり、そのため更衣の死後後宮に上げられる。源氏と密通して冷泉帝を産む。
葵の上
左大臣の娘で、源氏の最初の正妻。源氏より年上。母大宮は桐壺帝の姉妹であり、源氏とは従兄妹同士となる。夫婦仲は長らくうまくいかなかったが、懐妊し、夕霧を生む。六条御息所との車争いにより怨まれ、生霊によって取り殺される。
頭中将/内大臣
左大臣の子で、葵の上の同腹の兄。源氏の友人でありライバル。恋愛・昇進等で常に源氏に先んじられる。子に柏木、雲居雁(夕霧夫人)、弘徽殿女御(冷泉帝の女御)、玉鬘(夕顔の子、髭黒大将夫人)、近江の君など。主要登場人物で唯一一貫した呼び名のない人物。
六条御息所
桐壺帝の前東宮(桐壺帝の兄)の御息所。源氏の愛人。源氏への愛着が深く、その冷淡を怨んで、葵の上を取り殺すに至る。前東宮との間の娘は伊勢斎宮、のちに源氏の養女となって冷泉帝の後宮に入り、秋好中宮となる。源氏は御息所の死後、その屋敷を改築し壮大な邸宅を築いた(六条院の名はここから)。
紫の上
藤壺中宮の姪、兵部卿宮の娘。幼少の頃、源氏に見出されて養育され、葵の上亡き後、事実上の正妻となる。源氏との間に子がなく、明石中宮を養女とする。晩年は女三宮の降嫁により、源氏とやや疎遠になり、無常を感じる。
明石の御方
明石の入道の娘。源氏が不遇時にその愛人となり、明石中宮を生む。不本意ながら娘を紫の上の養女とするが、入内後再び対面し、以後その後見となる。
末摘花
常陸宮の娘。大輔の命婦の手引きで源氏の愛人となるが、酷く痩せていて鼻が象の様に長く、鼻先が赤い醜女。作品中最も醜く描かれている。

女三の宮
朱雀院の第三皇女で、源氏の姪にあたる。藤壺中宮の姪であり、朱雀院の希望もあり源氏の晩年、二番目の正妻となる。柔弱な性格。柏木と通じ、薫を生む。
柏木
内大臣の長男。女三宮を望んだが果たせず、降嫁後六条院で女三宮と通じる。のち露見して、源氏の怒りをかい、それを気に病んで病死する。
夕霧
源氏の長男。母は葵の上。母の死後しばらくその実家で養育されたのち、源氏の六条院に引き取られて花散里に養育される。2歳年上の従姉である内大臣の娘雲居雁と幼少の頃恋をし、のち夫人とする。柏木の死後、その遺妻朱雀院の女二宮(落葉の宮)に恋をし、強いて妻とする。

第3部の主人公。源氏(真実には柏木)と女三宮の子。生まれつき身体からよい薫がするため、そうあだ名される。宇治の八の宮の長女大君、その死後は妹中君や浮舟を相手に恋愛遍歴を重ねる。
匂宮
今上帝と明石中宮の子。第三皇子という立場から、放埓な生活を送る。薫に対抗心を燃やし、焚き物に凝ったため匂宮と呼ばれる。宇治の八の宮の中君を、周囲の反対をおしきり妻にするがその異母妹浮舟にも関心を示し、薫の執心を知りながら奪う。
浮舟
八の宮が女房に生ませた娘。母が結婚し、養父とともに下った常陸で育つ。薫と匂宮の板ばさみになり、苦悩して入水するが横川の僧都に助けられる。

現代語訳[編集]

現代日本語[編集]

もともと、『源氏物語』は、作者と同じ時代、同じ環境を共有する読者のために書かれたと考えられており、作者と同じ時代、同じ環境を共有するだけでなく、作者と直接の面識がある人間を読者として想定していたとする見解もある[85]。書かれた当時の『源氏物語』は、周囲からは「面白い読み物」として受け取られており、少し下がった時代でも、例えば、当時12歳であった菅原孝標女が、特に誰の指導を受けるということもなく1人で読みふけっていたとされている。しかし、時代が経過するとともに、この物語が使用している日本語が変化し、物語が前提としている知識・常識が変化するとともに、『源氏物語』を気軽に読むことは困難になっていった。

現代の日本人にとっては、『源氏物語』の原文は専門的な教育なしにはかなり難しいもので、むしろ、現代語訳で親しんでいる人のほうが多いといえる。数ある日本の古典文学の中でも、恐らくその豊かな内容ゆえに最も現代語訳が試みられており、また、訳者に作家が多いのも特徴である[86]。しばしば、これらは、翻訳者の名前をとって、「与謝野源氏」、「谷崎源氏」といった風に、「○○源氏」と呼ばれている。学者・研究者による翻訳は、比較的直訳・逐語訳的な翻訳が多いのに比べて、作家・小説家による翻訳は、多くの場合、原文に対して叙述の順番を入れ替えたり、和歌によるやりとりを普通の会話文に直したり、原文とは視点を変えて叙述したりといった操作が行われていることがあるため、そのような作品は単なる現代語訳ではなく翻案作品として扱われることもある。

与謝野晶子訳[編集]

与謝野は生涯に3度現代語訳を試みた。与謝野は、12歳当時、『源氏物語』を原文で素読していたことを、後に、自身の歌の中に詠み込んでおり、さまざまな創作活動の中に『源氏物語』の大きな影響を読み取ることができる。

一度目の翻訳は、与謝野夫妻の支援者であった実業家(小説家でもある)の小林政治の依頼により、100か月で完成させることを目標に始められたもので、1912年(明治45年)2月から1913年(大正2年)11月にかけて、「新訳源氏物語」上、中、下一、下二巻として金尾文淵堂から出版され、1914年12月に4冊ものの縮刷版が刊行されている。これは全文の翻訳ではなくダイジェストであるが、通常、これが『源氏物語』の最初の現代語訳であるとされている。この最初の翻訳には晶子の夫与謝野鉄幹の手も入っているとする見解もある[87]

これは『源氏物語』の専門家でない森鴎外が校訂に当たっているなどといった問題もあり、その後、再度、『新新訳源氏物語』として翻訳を試みていた(2回目)が、「宇治十帖の前まで終わっていた」とされる[88]。このときの原稿は、1923年9月の関東大震災(大正関東地震)により文化学院に預けてあった原稿が全て焼失したため、世に出ることはなかったとされている。

現在、通常流布しているのは晩年の1938年(昭和13年)10月から1939年(昭和14年)9月にかけて「新新訳源氏物語」(第一巻から第六巻まで)として金尾文淵堂から出版された3回目のものである。1939年10月に完成祝賀会が上野精養軒にて開催されており、同人はこれを「決定版」としている。この翻訳は、当時、まだ学術的な校訂本がなかったことから、「流布本」であった『源氏物語湖月抄』の本文を元にしていたとされる。原文にはない主語を補ったり、作中人物の会話を簡潔な口語体にしたりするなど大胆な意訳と、敬語を中心とした大幅な省略で知られている。それに対して、歌の部分については歌人らしく、「和歌は源氏物語にとって欠かせない重要な要素である」として、いずれの翻訳も全く手を加えることなくそのまま収録しており、他の翻訳が行っているような和歌の部分を会話文に改めるといったことをしていない。また、新新訳では各帖の冒頭に自身の和歌を加えている[89]

また、池田亀鑑の解説を加えたものが、1954年(昭和29年)10月から1955年(昭和30年)8月にかけて「全訳源氏物語」として、全9冊で角川文庫から出版されており、1971年(昭和46年)8月から1972年(昭和47年)2月にかけて全3冊に合本・改版され、さらに、2008年に源氏物語千年紀を記念して「全訳源氏物語 新装版」として再度全5冊に改版されている。この他に、1948年には日本社から日本文庫で、1951年には三笠書房から三笠文庫で、1976年(1987年には新装版)には河出書房新社から日本古典文庫で、2002年には勉誠出版発行の鉄幹晶子全集の第7巻及び第8巻として、2005年から2006年には舵社からデカ文字文庫でと数多くの出版社から刊行されている。これとは別に、最初の翻訳も後の翻訳より読みやすいといった評価があったことから、2001年(平成13年)に角川書店から単行本として出版されており、さらに、2008年(平成20年)に『与謝野晶子の源氏物語』として全3冊で角川文庫ソフィアに収められた。どちらの翻訳も1942年(昭和17年)5月29日に与謝野が死去したため、1993年に著作権の保護期間が満了しており、パブリック・ドメインで利用できるため青空文庫などに収録されている。

谷崎潤一郎訳[編集]

谷崎潤一郎も生涯に3度現代語訳を試みた。

最初は1935年(昭和10年)9月に『源氏物語湖月抄』の本文を元にして着手された。山田孝雄の校閲を受けながら進められ、1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)にかけて中央公論社から『潤一郎訳源氏物語』全26巻として刊行された。これは、「旧訳」、「26巻本」などと呼ばれている。当時の社会情勢から、中宮の密通に関わる部分など皇室にわたる部分については何箇所か削除されている。

2度目は上記の削除部分を復活するとともに、全編にわたって言葉使いを読みやすいように改め、1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)12月にかけて『潤一郎新訳 源氏物語』全12巻として刊行された。これは、「新訳」、「12巻本」などと呼ばれており、豪華版全5巻別巻1や新書版全8巻も刊行されている。

『潤一郎訳』は谷崎臭く、『潤一郎新訳』は原文を尊重していて省略なしの完訳であることが特徴である[90]

3度目は中央公論社版「日本の文学」に収録するために改稿に着手され、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)に『潤一郎新々訳 源氏物語』全10巻別巻1が、新版が1979年から1980年に刊行された。これは「新々訳」、「11巻本」などと呼ばれている。口述筆記のせいもあって、新仮名遣いになっている。与謝野晶子訳とは対照的に、原文の文体を生かしつつやや古風な訳文となっている。谷崎潤一郎はこれを「決定版である」としている。[91][92]

『潤一郎訳 源氏物語』は、1968年から1970年にかけて『谷崎潤一郎全集』第25-28巻が、1973年(昭和48年)中公文庫創刊に伴い全5巻で刊行された、1991年(平成3年)に改版。また、豪華版は1966年(昭和41年)に全5巻別巻1で、1983年に全1巻で愛読愛蔵版が、普及版が1992年(平成4年)に刊行された。新版『全集』では第27-30巻に収む。

その他[編集]

窪田空穂訳
歌人であり国文学者でもある窪田空穂の翻訳は『現代語訳源氏物語』として1939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)にかけて改造社から全8冊で出版された。第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて再度改造社から出版された後、1967年に角川書店が発行した『窪田空穂全集』の27巻及び28巻におさめられた。窪田には、これとは別に抄訳があり、春秋社から出版されている。
円地文子訳
円地文子の現代語訳は1967年7月に着手され、玉上琢弥、犬養廉、清水好子竹西寛子阿部光子などの協力を得ながら1972年から1973年にかけて全10巻で新潮社から刊行され、1980年、新潮文庫に全5巻で収録、2008年に全6巻に改版された。さまざまな箇所に原文にはない全く創造的な加筆を行っており、それが特徴の一つとなっている。
円地は1975年(昭和50年)5月に公演された歌舞伎『源氏物語葵の巻』の台本も手がけているほか、現代語訳の過程で生まれたエッセイ『源氏物語私見』(新潮社、1974年(昭和49年)、のち1985年に文庫化(新潮文庫)、2004年に「なまみこ物語」と合わせて講談社文芸文庫に収録)、『源氏物語の世界・京都』(平凡社、1974年(昭和49年))、『源氏物語のヒロインたち』(講談社、1987年(昭和62年))など『源氏物語』関係の著作も多い[93]。また2007年には竹下景子による朗読CD(現在桐壺から夕顔まで2巻)が新潮社から商品化されている。
田辺聖子訳
田辺聖子の現代語訳は『新源氏物語』として1974年(昭和49年)11月から1978年(昭和53年)1月にかけて『週刊朝日』で連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から刊行され、のち、1984年(昭和59年)5月に新潮文庫に収録された。当初書かれたのは「幻」巻部分までで、それ以降の部分は1985年(昭和60年)10月から1987年(昭和62年)7月まで『DAME』で連載されたが、同誌の休刊により「宿木」巻の途中までで中断し、残りの部分は書き下ろしで執筆されて1991年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として出版され、のち、1993年(平成5年)11月に新潮文庫に収録された。2004年に出版された『田辺聖子全集』では全24巻中第7巻および第8巻の2巻がこれに当てられており、「霧ふかき宇治の恋」を含めた全体を「新源氏物語」としている。
原文の巻序に従っておらず全体の構成を入れ替えており、「空蝉の巻」から始まっていることや、原文の中で登場人物達が和歌で伝えようとしていることを通常の会話文に直しているなど原文を大幅に直している部分があるため、「単なる現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。田辺には光源氏の従者である藤原惟光の視点から描いた「私本・源氏物語」(1980年、全1巻)という著作もある。
橋本治訳
橋本治の現代語訳は『窯変 源氏物語』のタイトルで1991年5月から1993年にかけて中央公論社から全14巻で刊行され、後に、1995年11月から1996年10月にかけて中公文庫に収録された。橋本はこの作品を「紫式部の書いた『源氏物語』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作、一つの個人的解釈である」としており、基本的に光源氏と薫からの視点で書かれており、大幅な意訳になっている部分もあることなどから、 単なる「現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。
橋本には『源氏供養』というタイトルの『源氏物語』のエッセイがあり、上記の現代語訳に関する話題も収録されている。
瀬戸内寂聴訳
瀬戸内寂聴の現代語訳は1996年12月から1998年にかけて講談社から全10巻で刊行され、2001年9月から2002年6月にかけて「新装版」が、2007年1月から10月にかけて講談社文庫で出された。瀬戸内には女性の視点から描いた『女人源氏物語』という1988年から1989年にかけて小学館から全5巻で出版され、のち、集英社文庫に収録された翻案作品のほか、『わたしの源氏物語』(小学館、1989年7月のち1993年6月に集英社文庫に収録)、『歩く源氏物語』(講談社、1994年9月)、『源氏物語の脇役たち』(岩波書店、2000年3月)、『痛快!寂聴源氏塾』(集英社インターナショナル、2004年3月のち2007年3月に『寂聴源氏塾』として軽装版を刊行)など源氏物語関係の著作が多くある。また、「源氏」関連の講演や行事等にも積極的に関わっている。
大塚ひかり訳
大塚ひかりによる現代語訳は『大塚ひかり全訳源氏物語』としてちくま文庫から2008年より刊行開始された。全6巻の予定。「読んで分かる原文重視の逐語訳」を目標に、「敬語・謙譲語を抑さえる」、「『ひかりナビ』と称する説明文を付け加える」、「あえて原文を随所に配する」という3つの工夫を行っている[94]。同人には、『もっと知りたい源氏物語』(日本実業出版社、2004年4月)や、『源氏の男はみんなサイテー 親子小説としての源氏物語』(マガジンハウス、1997年11月)、『カラダで感じる源氏物語』筑摩書房(筑摩文庫)、2002年10月)、『源氏物語の身体測定』三交社、1994年10月)といった著作もある。
今泉忠義
本文は「青表紙系版本中最善本である」という理由で江戸時代の版本である『首書源氏物語』によっている。「桜楓社版源氏物語」の現代語訳編として企画され、1974年1月25日から1975年10月25日にかけて全10巻が刊行された。「桜楓社版源氏物語」は現代語訳編の他に、森昇一・岡崎正継による本文編、語法編などからなる。その後、1978年に『源氏物語 全現代語訳』として講談社学術文庫に全20冊で収録され、全7冊で新装版が2000年から2001年に刊行されている。
玉上琢弥
底本は、定家直筆本のあるものはそれを用い、存在しないものは明融臨模本、それも存在しなければ飛鳥井雅康本(大島本)である。もともとは1964年から1969年にかけて角川書店から出版された『源氏物語評釈』の中の現代語訳に原文脚注索引を付けたもので、1964年から1975年にかけて角川文庫より刊行(後に角川ソフィア文庫)。原文に近い訳であるが現代語訳を独立して読めるようになっている。なお、十巻巻末には国宝源氏物語絵巻の解説索引がある。
尾崎左永子
1997年から1998年にかけて「新訳源氏物語」として小学館より全4巻で刊行された。
中井和子
15年がかりで翻訳を仕上げたとされる『現代京ことば訳 源氏物語』が1991年に大修館書店から全3巻で刊行され、2005年に全5巻の新装版として刊行された。KBS京都から北山たか子による朗読CDも発売されている。

他に、鈴木正彦による訳(1926年、第百書房)や上野榮子による訳(2008年、日本経済新聞出版社)などの他、2008年には「ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ」として9人の現代作家がそれぞれ源氏物語の翻訳に取り組むという企画が行われ[95]江國香織(夕顔)、角田光代(若紫)、町田康(末摘花)、金原ひとみ(葵)、島田雅彦(須磨)、桐野夏生(柏木)、小池昌代(浮舟)、日和聡子(蛍)、松浦理英子(帚木)[96]らがそれぞれ源氏物語の新訳・超訳に挑戦するなど、新たな翻訳が生み出されつつある。

外国語[編集]

『源氏物語』は日本文学の代表的なものとして多くの言語に翻訳されている[97][98][99]。さらに、重訳や抄訳も含めると、現在、20言語以上の翻訳が確認できるとのことである[100]

英語訳[編集]

最初の外国語への翻訳はおそらく末松謙澄による英訳である。これは末松がイギリスケンブリッジにいたときになされたもので1882年に出版された。しかし、抄訳であることに加えて、翻訳の質が悪いことから、当時においてもほとんど注目されなかった(後述のウェイリーは参照していたようである)。今日でも一部の研究者以外に省みられることはない。

続いて、ブルームズベリー・グループアーサー・ウェイリーにより『源氏物語』は西洋世界に本格的に紹介されることになる。1925年に「桐壺」から「葵」までを収めた第1巻が出版され、1933年に「宿木」から「夢浮橋」までを収めた第6巻が出て完結した。ウェイリーは語学の天才であるのみならず、文学的才能をも持ち合わせていた。ウェイリーが翻訳者であったという幸運もあって源氏物語は多くの読者を持つことなり、当時の文学界の話題ともなった。その読者の中には同じくブルームズベリーのヴァージニア・ウルフもいた。『源氏物語』が高い評価をもって受け入れられたのは時代性もあるといわれる。当時、西欧では新しいタイプの心理小説が流行していた。ほぼ同じ時期にマルセル・プルースト失われた時を求めて』の英訳も刊行され始めたことも重なる。『源氏物語』はこのいわゆる「意識の流れ」に近い文体を持っており、これが高い評価を獲得した一つの理由である。

ウェイリー訳は世界で広く重訳されており[101][102]、2008年から2009年にかけ平凡社ライブラリー全4巻で、日本語重訳した『ウェイリー版 源氏物語』が刊行された[103]

ウェイリーの訳はかなり自由な意訳を行っており、当時の文学界にあわせた華麗な文体を用いている。また、省略箇所が多く、誤訳が指摘もされていた。日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーの訳(1976年)はウェイリー訳の欠点を改善し、第二次世界大戦後の文学的傾向に合わせて、文章の装飾を落とし、原文に近づける努力がなされている[104]ロイヤル・タイラーの訳(2001年)は一層この傾向を強めたもので、豊富な注を持ち、学問的な精確さを持っている。他に、英訳で重要なものには抄訳版だがヘレン・マカラウのものがある(1994年)。

その他[編集]

フランス語
フランスでは、日本学の権威ルネ・シフェールが翻訳に当たった(1988年に公刊)。現在まで、仏語圏における唯一の完訳であり、また、訳の質も非常に高く、評価を得ている。
ドイツ語
オスカー・ベンルが原文から訳し、これも優れた訳と評価がある。
ロシア語
タチヤーナ・ソコロワ=デリューシナの翻訳がある。
チェコ語
福井県立大学教授カレル・フィアラのチェコ語訳は現在進行中。
フィンランド語
参議院議員の弦念丸呈(ツルネン・マルテイ)が1980年にフィンランド語の翻訳(但し抄訳)を出版している。
スウェーデン語
アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1927年に出版されている。
オランダ語
アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1930年に出版されている。
イタリア語
アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳(抄訳)が1944年に出版されている。
中国語
原文からの完訳としては、豊子愷の翻訳『源氏物語上・中・下』(人民文学出版社、1980年から1982年)がある。また台湾では林文月の翻訳『源氏物語上・下』(中外文学月報社、1982年)がある。
朝鮮語
田溶新の翻訳や柳呈の翻訳『源氏物語イヤギ(物語)』全3冊(ナナム出版、2000年)がある。

発行部数[編集]

  • 瀬戸内寂聴訳(全10巻 講談社) - 220万部[105]
  • 与謝野晶子訳(全3巻 角川文庫) - 172万部[106]
  • 谷崎潤一郎訳(全5巻 中公文庫) - 83万部[106]
  • 円地文子訳(全5巻 新潮文庫) - 103万部[106]
  • 田辺聖子訳(全5巻 新潮文庫) - 250万部[106]
  • 橋本治訳(全5巻 中公文庫) - 42万部[106]
  • 週刊朝日百科 世界の文学24 源氏物語(朝日新聞社) - 初版20万部が完売[107]
  • 大和和紀『あさきゆめみし』(全13巻 講談社) - 1800万部[108]

影響・受容史[編集]

中古期における『源氏物語』の影響は大まかに2期に区切ることができる。第1期は院政期初頭まで、第2期は院政期歌壇の成立から新古今集撰進までである。

第1期においては、『源氏物語』は上流下流を問わず貴族社会で面白い小説として広く読まれた。当時の一般的な上流貴族の姫君の夢は後宮に入り帝の寵愛を受け皇后の位に上ることであったが、『源氏物語』は帝直系の源氏の者を主人公にし、彼の住まいを擬似後宮にしたて女君たちを分け隔てなく寵愛するという内容で彼女たちを満足させ、あるいは、人間の心理や恋愛、美意識に対する深い観察や情趣を書き込んだ作品として貴族たちにもてはやされたのである。この間の事情は菅原孝標女の『更級日記』に詳しい。

優れた作品が存在し、それを好む多くの読者が存在する以上、『源氏物語』の享受はそのままこれに続く小説作品の成立という側面を持った。中古中期における『源氏』受容史の最大の特徴は、それが『源氏』の文体、世界、物語構造を受継ぐ諸種の作品の出現をうながしたところにあるといえるだろう。11世紀より12世紀にかけて成立した数々の物語は、その丁寧な叙述と心理描写の巧みさ、話の波乱万丈ぶりよりも決め細やかな描写と叙情性や風雅を追求しようとする性向において、明らかに『宇津保物語』以前の系譜を断ち切り、『源氏物語』に拠っている。それがあまりに過度でありすぎるために源氏亜流物語という名称さえあるほどだが、例えば、『浜松中納言物語』、『狭衣物語』、『夜半の寝覚』などは『源氏』を受継いで独特の世界を作り上げており、王朝物語の達しえた成熟として高く評価するに足るであろう(なお、後期王朝物語=源氏亜流物語には光源氏よりもの人物造型が強く影響を与えていることが知られる。源氏物語各帖のあらすじ#第三部参照)。

平安末期には既に古典化しており、『六百番歌合』で藤原俊成をして「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」といわしめた源語は歌人や貴族のたしなみとなっており、室町時代の注釈書『花鳥余情』では「我が国の至宝は源氏の物語のすぎたるはなし」と位置づけられるまでになっている。このころには言語や文化の変化や流れに従い原典をそのまま読むことも困難になってきたため、原典に引歌や故事の考証や難語の解説を書き添える注釈書が生まれた。

その一方、仏教が浸透していく中で、「色恋沙汰の絵空事を著し多くの人を惑わした紫式部は地獄に堕ちたに違いない」という考えが生まれ、「源氏供養」と称した紫式部の霊を救済する儀式がたびたび行われた。これは後に小野篁伝説と結びつけられた。

江戸時代に入ると、版本による源氏物語の刊行が始まり、裕福な庶民にまで『源氏物語』が広く普及することになった。江戸時代後期には、当時の中国文学の流行に逆らう形で、設定を室町時代に置き換えた通俗小説ともいうべき『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦著)が書き起こされ、「源氏絵」(浮世絵の一ジャンル)が数多く作られたり歌舞伎化されるなど世に一大ブームを起こしたが、天保の改革であえなく断絶した。

明治以後多くの現代語訳の試みがなされ、与謝野晶子谷崎潤一郎の訳本が何度か出版されたが、昭和初期から「皇室を著しく侮辱する内容がある」との理由で、光源氏と藤壺女御の逢瀬などを二次創作物に書き留めたり上演したりすることなどを政府から厳しく禁じられたこともあり、訳本の執筆にも少なからず制限がかけられていた。第二次世界大戦後はその制限もなくなり、円地文子田辺聖子瀬戸内寂聴などの訳本が出版されている。また、原典に忠実な翻訳以外に、橋本治の『窯変源氏物語』に見られる大胆な解釈を施した意訳小説や、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』や小泉吉宏の漫画『まろ、ん』を代表とした漫画作品化などの試みもなされている。

現代では冗談半分で、『源氏物語』と純愛もののアダルトゲームハーレムアニメとのストーリーの類似性が指摘されることがあるが、「『源氏物語』は猥書であり、子供に読ませてはならない」という論旨の文章は既に室町時代や江戸時代に存在している。

『源氏物語』は諸外国にも少なからず影響を与えている。マルグリット・ユルスナールは『源氏物語』の人間性の描写を高く評価し、短編の続編を書いた。

2008年には、京都市などが中心となって、『源氏物語千年紀』という形で各種のイベントが11月を中心に開催され、今上天皇皇后も臨席し、瀬戸内寂聴、佐野みどりドナルド・キーン平川祐弘らが参加、多数の講演・シンポジウムを催した。

歴史的注釈書[編集]

『源氏物語』については、平安末期以降、数多くの注釈書が作られた[109]。『源氏物語』の注釈書の中でも、特に、明治時代以前までのものを古注釈と呼ぶ。一般には、『源氏釈』から『河海抄』までのものを「古注」、『花鳥余情』から『湖月抄』までのものを「旧注」、それ以後江戸時代末までのものを「新注」と呼び分けている[110]。『源氏釈』や『奥入』といった初期の注釈書は、もともとは独立した注釈書ではなく、写本の本文の末尾に書き付けられていた注釈が後になって独立した1冊の書物としてまとめられたものである。その他、『源氏大鏡』や『源氏小鏡』といった中世に数多く作られた梗概書もそれぞれ注釈を含んでいる。

  • 源氏釈(げんじしゃく)』(平安時代末期、全1巻、藤原伊行) - 最も古い源氏物語の注釈書。もともとは藤原伊行が写本に書き付けたもの。
  • 奥入(おくいり)』(1233年頃、全1巻、藤原定家) - もともとは藤原定家が自ら作成した証本の本文の末尾に書き付けたもの。池田亀鑑は写本にこの「奥入」があるかどうかを写本が青表紙本であるかどうかを判断する条件に挙げている[111]大島本明融臨模本に書かれている「第一次奥入」と定家自筆本に書かれている「第二次奥入」とがある。
  • 水原抄(すいげんしょう)』(13世紀中頃、源親行) - 河内方による最初の注釈書。現在は大部分散逸したが一部残存。
  • 紫明抄(しめいしょう)』(13世紀後半、全10巻、素寂)
  • 『異本紫明抄(いほんしめいしょう)』(著者未詳) - 諸注を集成したもの。『河海抄』の説を全く引用していないので、それ以前の成立であると思われる。
  • 弘安源氏論議(こうあんげんじろんぎ)』(1280年(弘安3年)、源具顕) - 最古の討論形態の注釈書。飛鳥井雅有等8名が参加。
  • 原中最秘抄(げんちゅうさいひしょう)』(1364年 源親行) - 最古の秘伝書形態の注釈書。「水原抄」中の最も秘たる部分を抄録して諸家の説を加えたとされる。
  • 河海抄(かかいしょう)』(1360年代、全20巻、四辻善成) - 『源氏物語』の著作の由来、物語の時代の準拠、物語の名称、作者の伝や旧跡、物語と歌道の関係等について幅広く述べている。全体を通して、これ以前の考証に詳しく触れるとともに「今案」として自説も多く述べている。
  • 仙源抄(せんげんしょう)』(1381年、長慶天皇) - 最古の辞書形態の注釈書。源氏物語の語句約一千をいろは順に並べた辞書。
  • 珊瑚秘抄(さんごひしょう)』(1397年、四辻善成) - 源氏物語の注釈書『河海抄』の秘説書。『河海抄』で注を省略した秘説を三十三条集めたもの。
  • 源氏物語年立(げんじものがたりとしだて)』(1453年、一条兼良) - 源氏物語の作品世界内における出来事を時間的に順を追って記したもの
  • 花鳥余情(かちょうよせい、かちょうよじょう)』(1472年、全30巻、一条兼良) - 冒頭部分の自序において「『河海抄』の足りない部分、誤っている部分を正しくするため著した」とを述べている。また注釈の特徴としては、単に語句のみを採り上げるのではなく長く文を引用して説明していることと、著者自身が左大臣関白を勤ていたため有職故実に関して詳しく正確であることが挙げられる。
  • 『弄花抄(ろうかしょう)』(1504年、三条西実隆
  • 『細流抄(さいりゅうしょう)』(1510年、三条西実隆
  • 孟津抄(もうしんしょう)』(1575年、九条稙通
  • 『岷江入楚(みんごうにっそ)』(1598年、中院通勝
  • 首書源氏物語(しゅしょげんじものがたり)』(1673年、一竿斎)
  • 湖月抄(こげつしょう)』(1673年、全60巻、北村季吟
  • 『源語拾遺(げんごしゅうい)』(1698年、契沖
  • 『源氏物語玉の小櫛(げんじものがたりたまのおぐし)』(1796年、全9巻、本居宣長) - 「もののあはれ」を提唱。

派生作品[編集]

文学作品[編集]

擬作・補作[編集]

後世の人が『源氏物語』の欠を補った作。作者自身が別人であることを明かしているか、別作者であることが明らかである形で伝えられているため、狭義の偽作には含まれないが関連して論じられることは多い。まとまった補作が存在する場所は下記のように限られている。

  • 「桐壺」と「帚木」の間を補うもの
    • 『藤壺』(2004年、全1巻、瀬戸内寂聴) -「輝く日の宮」を補完する短編。光源氏と藤壺が初めて結ばれるまでを書く。現代文の他、古文体も併記。
  • 「空蝉」と「夕顔」の間を補うもの
    • 『手枕』(1763年、全1巻、本居宣長) -「桐壺」と「帚木」の間を埋める。六条御息所と光源氏の馴れ初めを書く
  • 「雲隠」の欠落を補うもの
    • 「雲隠」(雲隠六帖)(室町時代、作者不詳)-源氏の出家失踪を描く
    • 『源氏の君の最後の恋』Le Dernier Amour de Prince Genghi(1984年、短編集『東方綺譚』に収録、マルグリット・ユルスナール) -「雲隠」を補完する短編。源氏の最期を花散里が看取る
  • 「夢浮橋」の後を補う後日譚
    • 山路の露(やまじのつゆ)』(鎌倉時代、作者不詳、一説には建礼門院右京大夫とも) -宇治十帖「夢浮橋」の後日譚。薫と浮舟の再会を書く
    • 雲隠六帖』(「雲隠」を除く。室町時代、作者不詳) -源氏物語の後日譚。1雲隠(源氏の出家失踪)、2巣守(匂宮の即位と薫、浮舟の結婚)、3桜人、4法の師(薫、浮舟の出家)、5雲雀子(薫の霊が息子に出家のすすめ)、6八橋(匂帝に帝位のまま悟るようにとの教え)、あとがき(康平元年戊戌年(1058年)正月大僧都、信誉のものと元応元年(1319年)9月藤原親兼の2系統)
    • 『稲妻』(2000年、ライザ・ダルビー)-同人による「紫式部物語」の下巻・巻末に収録。「夢浮橋」の後を補う巻。薫と浮舟のその後を書く

二次創作[編集]

源氏物語の成立事情をテーマにした作品

  • 『輝く日の宮』丸谷才一(2003年6月、全1巻、講談社)、(2006年6月15日、講談社文庫) -最後の章を失われた「輝く日の宮」の復元にあてる
  • 『紫式部物語―その恋と生涯』The Tale of Murasaki(2000年、日本語版は上下2巻、ライザ・ダルビーLiza Dalby)-紫式部の娘から孫に伝えられた、紫式部が自らの生涯を記した日記という形で、『源氏物語』執筆の背景などを描く
  • 『GEN 「源氏物語」秘録』井沢元彦(角川書店、1995年10月27日) 、(実業之日本社、1997年11月25日)、(角川書店(文庫)、1998年10月25日)

意訳小説[編集]

  • 『新源氏物語』(1978-79年、全5巻、田辺聖子)
  • 『私本・源氏物語』(1980年、全1巻、田辺聖子) -光源氏の従者の視点から書く
  • 『女人源氏物語』(1988-89年、全5巻、瀬戸内寂聴) -光源氏の女君たちの視点から書く
  • 『窯変 源氏物語』(1991-93年、全14巻、橋本治) -光源氏の視点から書く

翻案小説[編集]

  • 『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』(合巻。1829-42年、38編172冊、柳亭種彦作、歌川国貞画) -足利将軍の子・光氏が浮名を流しながらお家騒動を解決する勧善懲悪もの。

エッセイ・評論[編集]

  • 『源氏の恋文』(1984年、尾崎左永子)
  • 『源氏の薫り』(1986年、尾崎左永子)
  • 『源氏の明り』(1997年、尾崎左永子)
  • 『服装から見た源氏物語』(1982年、近藤富枝)
  • 『「源氏物語」を江戸から読む』(1985年、野口武彦)

漫画[編集]

  • あさきゆめみし』(1979-93年、全13巻、講談社、大和和紀
  • 『赤塚不二夫のまんが古典入門 源氏物語』(1983年、学研、赤塚不二夫)
  • 『マンガ源氏物語』(1987-88年、上下巻、平凡社、みはしまり清水好子監修
  • 『源氏物語』(1988-90年、全8巻、小学館、牧美也子
  • 『源氏物語』(1996-97年、全3巻、マンガ日本の古典、長谷川法世
  • 『月下の君』(2001-04年、全7巻、小学館、嶋木あこ) -平成時代に設定を置き換えた作品
  • 『源氏物語』(2001-05年、全7巻(「桐壺」から「紅葉賀」まで)、集英社、江川達也
  • 『大掴源氏物語 まろ、ん?』(2002年、幻冬舎小泉吉宏
  • 『マンガ源氏物語』(2002年、講談社(「桐壺」から「賢木」まで)、みはしまり、清水好子監修
  • パタリロ源氏物語!』(2004-2008年、全5巻、白泉社、魔夜峰央) -パタリロ!』の登場人物、ジャック・バンコランが光源氏を演じる
  • 『GENJI 源氏物語』(2004-05年、全4巻(「桐壺」から「薄雲」まで)、集英社、きら) -光源氏と紫の上、そして藤壺の三角関係を重点に置く。語り部は紫の上
  • 『源氏ものがたり』(2006年-2009年、全4巻、小学館、美桜せりな

映画[編集]

ドラマ[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • ラジオドラマ『源氏悲帖』北条秀司(1963年2月)

テレビアニメ[編集]

舞台芸術[編集]

演劇[編集]

  • 『源氏物語』(1966年 帝国劇場 光源氏:長谷川一夫、共演:京マチ子
  • 『うき身を醒めぬ夢になしても』(2006年 演出:成瀬芳一、脚本:水原央、光源氏は初風緑
  • 『艶は匂へど…』(2007年 演出:恵川智美、脚本:水原央、光源氏は峰さを理

歌舞伎[編集]

  • 『朧月夜かんの君』舟橋聖一(1974年)
  • 『源氏物語 葵の巻』円地文子(1975年、歌舞伎座)
  • 『浮舟』北条秀司
  • 『妄執』北条秀司
  • 『末摘花』北条秀司(1960年11月)
  • 『落葉の宮』北条秀司(1959年、歌舞伎座)
  • 『藤壺絵巻』川口松太郎(1951年11月、明治座)
  • 『源氏物語』土橋成男(明治座操業90年・同再開場25周年記念として1972年)大川橋蔵 光源氏と藤壺との関係を描いたもの。

[編集]

  • 碁(「空蝉」を題材としたもの。復曲)
  • 半蔀(「夕顔」を題材としたもの。)
  • 夕顔(「夕顔」を題材としたもの。)
  • 葵上(「葵」を題材としたもの。)
  • 野宮(「賢木」を題材としたもの。)
  • 須磨源氏(「須磨」「明石」を題材としたもの。)
  • 住吉詣(「澪標」を題材としたもの。)
  • 玉鬘(「玉鬘」を題材としたもの。)
  • 落葉(「夕霧」を題材としたもの。いわゆる「陀羅尼落葉」とは別の曲である)
  • 浮舟(「浮舟」を題材としたもの。)
  • 源氏供養

浄瑠璃[編集]

宝塚歌劇[編集]

詳細は源氏物語 (宝塚歌劇)を参照

宝塚歌劇団では黎明期から今日まで繰り返し上演されている。特に、春日野八千代の光源氏役は当たり役として名高い。

戯曲[編集]

  • 『源氏物語』番匠谷英一
  • 『宇治十帖』番匠谷英一
  • 『源氏物語』舟橋聖一

邦楽[編集]

  • 『葵上』(地歌箏曲
  • 『桐壺』(箏曲(組歌))
  • 『須磨』(箏曲(組歌)。八橋検校作曲)
  • 『明石』(箏曲(組歌))
  • 『空蝉』(箏曲(組歌))
  • 『橋姫』(箏曲(組歌))
  • 『玉鬘』(箏曲(組歌))
  • 『四季源氏乙女の曲』(箏曲(組歌))
  • 『夢の浮橋』(地歌・箏曲)
  • 『新浮舟』(地歌・箏曲。松浦検校作曲)
  • 夕顔』(地歌・箏曲。菊岡検校作曲)
  • 『新青柳』(地歌・箏曲。石川勾当作曲・石川の「三つ物」の一曲)
  • 『梓』(地歌・箏曲)
  • 『新玉鬘』(地歌・箏曲。幾山検校作曲)
  • 千鳥の曲』(地歌・箏曲。二世吉沢検校作曲・「古今組」の一曲・胡弓本曲)
  • 『葵の上』(山田流箏曲。山田検校作曲・山田の「四つ物」の一曲)
  • 『石山源氏』(山田流箏曲。千代田検校作曲)

現代音楽[編集]

その他書籍[編集]

  • 『源氏物語の色』(1988年、別冊太陽)
  • 『源氏物語六条院の生活』(1998年、1999年改訂、五島邦治・風俗博物館、風俗博物館)
  • 『六条院へ出かけよう 源氏物語と京都』(2005年、五島邦治・風俗博物館、風俗博物館)
  • 『源氏物語の色辞典』(2008年、吉岡幸雄、紫紅社)

関連文献[編集]

入門書[編集]

  • 池田亀鑑 『源氏物語入門 新版』 社会思想社〈現代教養文庫〉1639、初版1957年、新版2001年、ISBN 4-390-11639-8、 (オンデマンド版、文元社、2004年) ISBN 4-86145-005-5
  • 阿部秋生 『源氏物語入門』 岩波書店〈岩波セミナーブックス〉41、1992年、ISBN 4-00-004211-4
  • 藤井貞和 『源氏物語入門』 講談社〈講談社学術文庫〉、1996年、ISBN 978-4061592117
  • 出口汪 『源氏物語が面白いほどわかる本』上・下、中経出版〈中経の文庫〉、2007年、上巻ISBN 978-4-8061-2688-1、下巻ISBN 978-4-8061-2689-8。
  • 『源氏物語がわかる』 朝日新聞社〈AERAムック〉、1997年、ISBN 9784022740618

事典[編集]

源氏物語に特化した事典類だけでも簡単なものから詳細なものまで数多くのものが出版されている。源氏物語を理解するための年立てや系図といった参考資料が組み合わさっているものも多い。

  • 『源氏物語辞典』 北山谿太編、平凡社、1957年。
  • 『源氏物語事典』 池田亀鑑編、東京堂出版、1960年、合本1987年、ISBN 4-4901-0223-2
  • 『源氏物語事典』 岡一男編、春秋社、1964年。
  • 『源氏物語事典』 三谷栄一編、有精堂、1973年、ISBN 4-640-30259-2
  • 『源氏物語事典』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.36、1989年。
  • 『源氏物語図典』 秋山虔ほか編、小学館、1997年。
  • 『源氏物語を知る事典』 西澤正史編、東京堂出版、1998年、ISBN 4-490-10485-5
  • 『源氏物語必携事典』 秋山虔・室伏信助ほか編、角川書店、1998年、ISBN 978-4-04-883547-3
  • 『源氏物語事典』 林田孝和・竹内正彦・針本正行ほか編、大和書房、2002年、ISBN 4-4798-4060-5

ハンドブック類[編集]

  • 『源氏物語必携』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.1、1978年。
  • 『源氏物語必携II』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.13、1982年。
  • 『新・源氏物語必携』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.50、1997年。
  • 『源氏物語ハンドブック』 秋山虔ほか編、新書館、1996年、ISBN 4-403-25019-X
  • 『源氏物語ハンドブック』 鈴木日出男編、三省堂、1998年、ISBN 4-385-41034-8
  • 『常用 源氏物語要覧』 中野幸一編、武蔵野書院、1997年、ISBN 4-8386-0383-5

研究文献目録[編集]

用例索引[編集]

  • 『源氏物語大成』(索引編)
  • 『源氏物語語彙用例総索引 自立語編』全5巻、勉誠出版、1994年、ISBN 4-585-08004-X
  • 『源氏物語語彙用例総索引 付属語編』全5巻および別冊、勉誠出版、1996年、ISBN 978-4585100034
  • 『源氏物語索引』(新日本古典文学大系版の索引) 岩波書店、1999年。

その他にCD-ROM化された本文検索システムとして次のようなものがある。

  • 『角川古典大観 源氏物語』 伊井春樹、角川書店(CD-ROM)
  • 『源氏物語本文研究データベース』 勉誠出版(CD-ROM)

講座など[編集]

源氏物語に特化したもののみ。

  • 『源氏物語講座』全8巻、山岸徳平ほか、有精堂、1971年-1972年。
  • 『講座源氏物語の世界』全9巻、秋山虔ほか、有斐閣、1980年-1984年。
  • 『源氏物語講座』全10巻、今井卓爾ほか、勉誠社、1991年-1993年。
  • 『源氏物語の鑑賞と基礎知識(国文学解釈と鑑賞. 別冊)』全43冊、鈴木一雄ほか 2001年-2005年  至文堂。
  • 『源氏物語研究集成』全15巻、風間書房、伊井春樹ほか 1998年-2001年。
  • 『人物で読む源氏物語』全20巻、勉誠出版、上原作和ほか 2005年-2006年。
  • 『講座源氏物語研究』全12巻・別巻2、おうふう、伊井春樹ほか 2006年-2008年。

論文集[編集]

既発表の主要論文などを集めたもの。

  • 『増補 国語国文学研究資料大成3 源氏物語』上、三省堂、初版1960年、増補版1977年。
  • 『増補 国語国文学研究資料大成4 源氏物語』下、三省堂、初版1961年、増補版1977年。
  • 『日本文学研究資料叢書 源氏物語』 有精堂
    1. 1969年、ISBN 4-640-30017-4
    2. 1970年、ISBN 4-640-30018-2
    3. 1971年、ISBN 4-640-30019-0
    4. 1982年、ISBN 4-640-30020-4
  • 『日本文学研究大成 源氏物語』 1 森一郎ほか 国書刊行会, 1988年
  • 『日本文学研究資料新集 源氏物語 語りと表現』三谷邦明ほか 有精堂、1991年、ISBN 4-640-30954-6
  • 『日本文学研究論文集成 源氏物語』2巻 藤井貞和ほか監修 若草書房
    1. 1998年 松井健児編 ISBN 4-948755-20-6
    2. 1999年 植田恭代編 ISBN 4-948755-27-3
  • 『テーマで読む源氏物語論』全3巻、今西祐一郎ほか 勉誠出版、2008年。
    1. 「主題」論の過去と現在 2008年10月 ISBN 978-4-585-03186-4
    2. 本文史学の展開/言葉をめぐる精査 2008年6月 ISBN 978-4-585-03187-1
    3. 歴史・文化との交差語り手・書き手・作者 2008年10月 ISBN 978-4-585-03188-8

脚注[編集]

  1. 池田亀鑑「総記 一 名称」『合本 源氏物語事典』。
  2. 池田亀鑑 『源氏物語入門 新版』 6頁。
  3. 池田亀鑑 『源氏物語入門』 6頁。
  4. 和辻哲郎「日本精神史研究」所収「源氏物語について」
  5. 池田亀鑑 『源氏物語入門 新版』 8頁。
  6. 池田亀鑑 『源氏物語入門』 7頁。
  7. 玉上琢弥 『世界大百科事典』 428頁。
  8. 8.0 8.1
  9. 「源氏物語本文の研究」伊藤鉄也(2002年11月、おうふう) ISBN 4-273-03262-7
  10. 中村真一郎「世界と文学」『源氏物語の世界』新潮選書、新潮社、1968年6月30日、pp. 26-29。 ISBN 978-4-10-6000111-6
  11. 木村正中編『中古日本文学史』(有斐閣 有斐閣双書、1979年11月30日) ISBN 4-641-05608-0
  12. 三谷栄一編『体系 物語文学史 第三巻 物語文学の系譜 1 平安物語』有精堂、1983年。 
  13. 与謝野晶子「紫式部新考」『太陽』昭和3年1月・2月号のち『与謝野晶子選集4』(春秋社)に所収
  14. 「紫の上系」と「玉鬘系」はそれぞれ「a系」と「b系」、「本系」と「傍系」あるいはそれぞれの筆頭に来る巻の巻名から「桐壺系」と「帚木系」といった呼び方をされることもある。
  15. 池田亀鑑「総記 三 巻名と巻序」『源氏物語事典』東京堂出版、1956年。
  16. 清水婦久子「源氏物語の巻名の由来 その諸問題」青須我波良、第59号 2004年3月、pp.. 1-38。
  17. 池田亀鑑「総記 八 作者」『合本 源氏物語事典』
  18. 「クロノプラスティック1008年」同人誌 現象 に収録
  19. 『「源氏物語」多数作者の証 ストーリー内部に見える不連続性とその特質』(非売品、1988年)
  20. 『「土佐日記」から「奥の細道」まで バックにひそむ無名の作者』(非売品、1989年、『源氏物語』についてはpp,, 82-95)
  21. 池田亀鑑『源氏物語入門 新版』pp. 23-24
  22. 与謝野晶子「紫式部新考」『太陽』昭和3年1月・2月号のち『与謝野晶子選集4』(春秋社)に所収
  23. 和辻哲郎「源氏物語について」『思想』1922年(大正11年)11月「日本精神史研究」所収『和辻哲郎全集第四巻』(岩波書店 1962年)所収
  24. 武田宗俊「源氏物語の研究」(岩波書店、1954年)
  25. 三谷邦明「成立構想論における女性蔑視 方法論によるとらえ直し」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』 1986年所収
  26. 阿部秋生「物語の増補・改訂」「岩波セミナーブックス41 源氏物語入門」P137~(岩波書店、1992年9月7日) ISBN 4-00-004211-4
  27. 安本美典によるものなど
  28. 池田亀鑑「総記 十三 執筆期間」『合本 源氏物語事典』
  29. 池田亀鑑「総記 十二 執筆動機について」『合本 源氏物語事典』
  30. {{ #if: |{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |; et al. }} }} }} }} }} }} }} }}{{ #if: {{#if:2009-11-02|2009-11-02|}} | ({{#if:2009-11-02|2009-11-02|}}){{ #if: | [{{{YearNote}}}] }} }} |{{ #if: |{{ #if: |[[{{{Editorlink1}}} |{{{EditorSurname1}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven1}}} }}]] |{{{EditorSurname1}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven1}}} }} }}{{ #if: |; {{ #if: |[[{{{Editorlink2}}} |{{{EditorSurname2}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven2}}} }}]] |{{{EditorSurname2}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven2}}} }} }}{{ #if: |; 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  31. 寺本直彦「源氏物語目録をめぐって -異名と并び-」」『文学・語学』1978年6月号のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年1月、pp.. 645-681。
  32. 寺本直彦「源氏物語目録続考 -「さむしろ」と「ならび」の一異説とについて-」源氏物語探求会編『源氏物語の探求 第四編』風間書房、1979年4月、pp. 37-67。のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年1月、pp. 682-713。
  33. 与謝野晶子「紫式部新考」『太陽』昭和3年1月・2月号、のち『与謝野晶子選集4』(春秋社)に所収
  34. 和辻哲郎「源氏物語について」『思想』1922年(大正11年)11月、のち「日本精神史研究」『和辻哲郎全集第四巻』(岩波書店 1962年)に所収
  35. 青柳(阿部)秋生「源氏物語の執筆の順序」『国語と国文学』1939年8・9月
  36. 玉上琢弥「源語成立攷」(「国語・国文」1940年4月号、のち「源氏物語評釈 別巻」に収録)
  37. 藤田徳太郎『源氏物語綱要』不老閣書房、1928年2月、p.480
  38. 佐佐木信綱「源氏物語の古写本その他」『国語と国文学』大正14年10月号
  39. 武田宗俊「源氏物語の最初の形態」『文学』1950年6・7月『源氏物語の研究』(岩波書店、1954年)所収
  40. 風巻景次郎「源氏物語の成立に関する試論」(1951年)『風巻景次郎全集第4巻 源氏物語の成立』(桜楓社、1969年)所収
  41. 大野晋『源氏物語』(岩波書店、1984年)のち岩波現代文庫
  42. 丸谷才一『輝く日の宮』(講談社、2003年)
  43. 斎藤正昭「源氏物語成立研究 執筆順序と執筆時期」(笠間書院、2001年10月) ISBN 978-4-305-10341-3
  44. 「紫式部伝 源氏物語はいつ、いかにして書かれたか」(笠間書院、2005年5月) ISBN 978-4305702883
  45. 伊藤博『武田宗俊説をめぐって』 『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収
  46. 高橋和夫『源氏物語の主題と構想』(桜楓社、1966年)
  47. 森一郎「源氏物語初期構造の成立過程 ―ひびきあい連関する長編生成」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収
  48. 石田穣二「文体と批評と」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収
  49. 岡一男「源氏物語成立論批判」『国文学研究』第五編(早稲田大学国文学会)
  50. 秋山虔「源氏物語の成立・構想の問題 戦後の成立論の始発、武田・風巻・池田三氏の研究をめぐって」『源氏物語講座 第二巻』(有精堂、1971年)
  51. 岡一男『源氏物語の基礎的研究』(東京堂出版、1966年)465~476頁
  52. 大西善明「光源氏の呼び名について」『平安文学研究』第8号(1952年)
  53. 長谷川和子『源氏物語の研究』(東宝書房、1957年)
  54. 中野幸一「改めて長編物語の成立を考えるために」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収
  55. 玉上琢彌『源氏物語の構成-描かれ樽部分が描かれざる部分によって支えられていること-』『文学』1952年(昭和27年)6月号で発表。のち『源氏物語研究 源氏物語評釈別巻一』(角川書店、1966年)および『源氏物語音読論』(岩波現代文庫、2003年11月14日) ISBN 4-00-600115-0 所収
  56. 森岡常夫「源氏物語の成立・構想論の研究」山岸徳平岡一男監修『源氏物語講座第二巻 成立と構想』(有精堂、1971年6月1日)所収
  57. 高橋亨「成立論の可能性」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収
  58. 池田亀鑑『源氏物語入門 新版』pp.. 126-129
  59. 玉上琢弥 『世界大百科事典』 429頁。
  60. 安本美典「宇治十帖の作者─文章心理学による作者推定」(「文学・語学」第4号、1957年)
  61. 阿部秋生「物のあはれの論」『源氏物語入門』岩波セミナーブックス41(岩波書店、1992年9月7日) ISBN 4-00-004211-4
  62. 藤岡作太郎「国文学全史 平安朝編」(東京開成館、1905年(明治38年))のち平凡社東洋文庫講談社学術文庫に収録
  63. 鈴木日出男「源氏物語虚構論」(東京大学出版会、2003年2月20日) ISBN 978-4130800655
  64. 「四 主題」『日本古典文学全集 源氏物語一』(小学館、1970年)
  65. 池田亀鑑「構想と主題」『源氏物語入門』(社会思想社現代教養文庫、1957年)
  66. 阿部好臣「主題」秋山虔編『源氏物語必携II』別冊国文学 No.13(学燈社、1982年2月10日)
  67. 長谷川政春「主題」秋山虔編『源氏物語事典』別冊国文学 No.36(学燈社、1989年5月10日)
  68. 増田繁夫「源氏物語作中人物論の視覚 主題論として」「国文学 解釈と鑑賞の研究」平成3年(1991年)5月号 学燈社
  69. 秋山虔「源氏物語の主題」『新講 源氏物語を学ぶ人の為に』(世界思想社、1995年2月20日) ISBN 4-7907-0538-2
  70. 池田節子「主題」『源氏物語事典』林田孝和竹内正彦針本正行植田恭代原岡文子吉井美弥子編(大和書房、2002年5月25日)ISBN 4-4798-4060-5
  71. 『源氏物語研究集成 第1巻 源氏物語の主題 上』(風間書房、1998年6月30日) ISBN 4-7599-1095-6
  72. 『源氏物語研究集成 第2巻 源氏物語の主題 下』(風間書房、1999年9月15日) ISBN 4-7599-1128-6
  73. 池田亀鑑「構想と主題」『源氏物語入門』(社会思想社現代教養文庫、1957年)pp. 169-170
  74. 「源氏物語と菅原道真編」週刊ポスト1995年「逆説の日本史4 中世鳴動編」第3章(小学館、1996年6月)および(小学館文庫、1999年1月1日)に収録
  75. 大野晋「紫式部の生活」『源氏物語』(岩波書店、1984年、のち2008年に岩波現代文庫)
  76. 斎藤正昭「源氏物語成立研究 執筆順序と執筆時期」(笠間書院、2001年10月) ISBN 978-4-305-10341-3
  77. 斎藤正昭「紫式部伝 源氏物語はいつ、いかにして書かれたか」(笠間書院、2005年5月) ISBN 978-4305702883
  78. 阿部秋生『源氏物語の本文』(岩波書店、1986年6月20日)
  79. 加藤周一「『源氏物語』と『今昔物語』の時代」『日本文学史序説 上』(筑摩書房ちくま学芸文庫、1999年4月8日) ISBN 4-480-08487-8
  80. 土方洋一「源氏物語の現代語訳」『アエラムック 源氏物語がわかる』(朝日新聞社、1997年7月10日)、三田村雅子「現代語訳」、立石和弘「現代語訳と加工文化」『源氏物語事典』 林田孝和ほか編(大和書房、2002年5月25日)
  81. 逸見久美「解説『晶子』源氏の出来るまで」『全訳源氏物語 新装版 一』角川文庫、角川書店、2008年4月25日。 ISBN 978-4-04-388901-3
  82. 与謝野晶子「読書、虫干、蔵書」評論集『光る雲』(1928年7月)所収
  83. 池田和臣「与謝野晶子」『源氏物語ハンドブック』 秋山虔他編(新書館、1996年10月25日)
  84. 玉上琢弥 『世界大百科事典』 430頁。
  85. 畑中基紀「谷崎潤一郎」、秋山虔編 『源氏物語事典』学灯社、また北山谿太『源氏物語辞典』 平凡社、1980年や、大和書房で『源氏物語事典』2002年がある。
  86. 伊吹和子『われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年』(講談社 1994年2月 、講談社文芸文庫上・下 2001年)
  87. 畑中基紀「円地文子」『源氏物語事典』
  88. 『大塚ひかり全訳源氏物語』第1巻に付された本人による「はじめに」による
  89. 『ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ』新潮社、2008年10月。 ISBN 978-4-10380851-0
  90. このうち、江國香織、角田光代、町田康、金原ひとみ、島田雅彦、桐野夏生については当初雑誌『新潮』(新潮社)2008年10月号に掲載されたものである。
  91. 井上英明「外国語訳」『源氏物語事典』 林田孝和ほか編(大和書房、2002年5月25日)
  92. 岡野弘彦ほか『国境を越えた源氏物語』(PHP研究所、2007年10月10日) ISBN 978-4-569-69259-3
  93. 海外における源氏物語
  94. {{ #if:浪川知子 |{{ #if: |[[ |浪川知子{{ #if: |, }}]] |浪川知子{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |{{ #if: |; |{{#if:| & |; }} }}{{ #if: |[[ |{{ #if: |, }}]] |{{ #if: |, }} }}{{ #if: |; et al. }} }} }} }} }} }} }} }}{{ #if: {{#if:2007-06-15|2007-06-15|}} | ({{#if:2007-06-15|2007-06-15|}}){{ #if: | [{{{YearNote}}}] }} }} |{{ #if: |{{ #if: |[[{{{Editorlink1}}} |{{{EditorSurname1}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven1}}} }}]] |{{{EditorSurname1}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven1}}} }} }}{{ #if: |; {{ #if: |[[{{{Editorlink2}}} |{{{EditorSurname2}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven2}}} }}]] |{{{EditorSurname2}}}{{ #if: |, {{{EditorGiven2}}} }} }}{{ #if: |; 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  95. 井上英明「アーサー・ウェイリー」『源氏物語ハンドブック』 秋山虔他編(新書館、1996年10月25日)
  96. 平川祐弘『アーサー・ウェイリー <源氏物語>の翻訳者』(白水社、2008年11月 ISBN 978-4-560-03191-9
  97. 佐復秀樹訳『ウェイリー版 源氏物語』平凡社ライブラリー全4巻、2008年9月~2009年3月
  98. 伊井春樹編『世界文学としての源氏物語 サイデンステッカー氏に聞く』(笠間書院、2005年10月22日) ISBN 4-305-70311-4
  99. 瀬戸内寂聴、俵万智らのインターネット講義&出版「源氏大学ドット・コム」、マイコムジャーナル、2000年10月11日。
  100. 106.0 106.1 106.2 106.3 106.4 朝日新聞 2000年1月9日付日曜版「名画日本史 源氏物語絵巻」
  101. http://f2.aaa.livedoor.jp/~mikura/tree4.html#188
  102. 読売新聞大阪発刊55周年記念 源氏物語~千年の時を超えて 千年紀に寄せて・・・漫画家 大和和紀、読売新聞社、2007年4月3日。
  103. 古注釈のまとまった解題としては『源氏物語 注釈書・享受史 事典』伊井春樹(東京堂出版、2001年9月15日) ISBN 4-490-10591-6
  104. 吉森佳奈子「古注釈・梗概書」『講座源氏物語研究 第4巻 鎌倉・室町時代の源氏物語』(おうふう、2007年6月20日) ISBN 978-4-273-03454-2
  105. 「奥入の成立とその価値」『源氏物語大成 第十二冊 研究篇』(中央公論社、1985年9月20日) ISBN 4-1240-2482-7

専門博物館[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

ウィキクォート
ウィキクォート源氏物語に関する引用句集があります。

与謝野晶子による現代語訳は1993年に著作権の保護期間が満了したため、パブリック・ドメインで利用できる。

ワールド・デジタル・ライブラリー[編集]

国際連合教育科学文化機関によるデジタル・ライブラリープロジェクト

資料博物館[編集]

出典[編集]

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