新興仏教青年同盟

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新興仏教青年同盟(しんこうぶっきょうせいねんどうめい)、新興仏青同盟は、1931年(昭和6)4月5日に、大日本日蓮主義青年団を退団した妹尾義郎らによって結成された仏教団体。世界恐慌後の労働争議小作争議の頻発を背景として、仏教者が宗派を超えて大同団結して、社会的な実践にあたることを志向した。反ファッショ・反国家主義のほか、資本主義の改造を訴え、既成の仏教界からは「赤色仏教」として批判され、左翼主義者からは日和見主義的な観念仏教として攻撃された。

妹尾ら幹部が全国を遊説して各地の仏教者に支持を広げ、無産運動を支援、1934年から翌年にかけて東北地方大冷害・飢饉の救援活動を展開するなどしたが、1936年12月に妹尾が治安維持法違反容疑で逮捕・拘留され、翌1937年10月20日に幹部12人が一斉逮捕されて同盟は解散を命じられ、翌年5月までに同盟員など約200人が検挙された。

背景・思想[編集]

1929年に始まる世界恐慌の中で、都市に失業者が増え、農村では小作人の貧困が深刻化して労働運動や農民運動が高まりをみせ、他方で満洲侵出を契機に国家主義的な体制への移行が進んでいた。[1]

大日本日蓮主義青年団を指導していた妹尾義郎は、自身が小作争議の調停役などを務める中で、観念的に労使協調を説いても問題が解決されないと考え、資本主義の改造を訴えて同団の支持者と対立し、退団を決意。汎宗派的な新仏教団体を結成して社会的な実践を行うことを志向した。[2][3][4]

当初掲げたスローガンは、既成仏教の清算、仏陀による全仏教徒の大同団結、資本主義絶対反対、共同社会の建設など[5]

新興仏青同盟は、左翼主義者からは反動的日和見的な観念仏教とみられており、共産主義者に対する当局の弾圧を逃れて同盟に加入した左翼活動家は、妹尾が全国遊説で留守中に、宗教を否定する立場から同盟の解散を企図した[6]。他方で既成の仏教界からは「赤色仏教」として批判され、妨害を受けた[6]

妹尾は、地方支部の活動を通じて、日本の伝統に根ざし、人格主義を重視した労働無産運動を志向し、マルクス主義とは一線を画して、合法的で反動的でない無産政党の支持を同盟の方針とし、1932年2月の総選挙では社会大衆党を支持した[7]

組織[編集]

1933年(昭和8)の第3回全国大会時の、主な本部役員は下記のとおり[8]

このほかに、20余の支部の中から、有力支部長が選出されて本部役員とともに中央委員を務めた[8]

活動の沿革[編集]

  • 1931年(昭和6)
  • 1932年(昭和7)
  • 1933年(昭和8)
    • 1月8日 第3回全国大会(於東京)。同盟の具体的な運動方針を決定し、役員を選出。[10]
    • 4-5月、妹尾と林が全国を遊説し、支部拡大をはかる。[11]
    • 5月、京都で行われた全日本仏教青年会聯盟(全聯)の第3回大会に参加して、排外主義・軍国主義・国家主義的思想・運動への反対、資本主義改造など6項目を提案。上記2項を含む3項は批判を受け、採択されず。
    • 6月、全聯からの勧告を受けて、全聯を脱退。[12]
    • 9-10月、早大正大日大、智山専門学校、天台宗青年会豊山青年会等の若い仏教者による仏教革新新青年聯盟の結成促進運動を推進[12]
  • 1934年(昭和9)
  • 1935年(昭和10)
    • 1月16日、 第5回全国大会開催(於大阪)[14]
    • 前年に引き続き、東北地方の救援活動を継続[14]
    • 妹尾が労農懇談会に参加し、加藤勘十、高野実らからの要請で、労農戦線の啓蒙雑誌『労働雑誌』の発行責任者を引き受ける[15]
    • 11月、東京帝大仏教青年会館で「新興宗教批判大講演会」を開催[15]
  • 1936年(昭和11)
    • 1月19日、 (第6回)全国大会(於東京)開催。警察の監視の中で行われ、全評の加藤勘十と全農の杉山元治郎が祝辞を述べたが、妹尾は発言を許されなかった。[15]
    • 5月、無産団体協議会に加盟。
    • 6月、妹尾が東京府会議員選挙に立候補するも、落選。
    • 12月7日、妹尾が『労働雑誌』に関する『治安維持法』違反容疑で目白警察署に検挙され、そのまま長期間拘留される。林霊法が委員長を代理。[16]
  • 1937年(昭和12)
    • 5月7日 第7回全国大会(於東京・神田、仏教青年会館)で、警視庁による監視の中、軍備全廃を理想とする平和主義、資本主義改造運動の強化と各宗団のファッショ化反対など、従来からの運動方針を再確認[17]
    • 7月、名古屋で「三日間全国代表結集」、「新興仏教教程」の研究討議[17]
    • 8月、名古屋で「日華事変戦死慰霊法要」と講演会開催[17]
    • 10月20日、同盟本部の幹部12人が一斉検挙され、同盟は解散を命じられる[18]
  • 1938年(昭和13)
    • 前年からこの年5月頃までに、本部・支部の幹部や、雑誌購読者など関係者200名が逮捕される[17]

機関誌[編集]

『新興仏教』[9]

付録[編集]

関連文献[編集]

  • 稲垣真美『仏陀を背負いて街頭へ - 妹尾義郎と新興仏教青年同盟』岩波書店、1974年、JPNO 73003078 (閉)
  • 松根鷹「反権力の仏教者 - 妹尾義郎と新興仏教青年会」水上勉・柳田邦夫(編)『宗教と人間を問う』ヘップ出版、1974年、JPNO 74008950
  • 圭室諦成(監修)『日本仏教史 第3巻 近世・近代編』法蔵館、1967年、NDLJP 2979496 (閉)
  • 吉田久一「仏教思想の近代化」『現代日本思想大系 七 仏教』筑摩書房、1965年、NDLJP 2940606/6 (閉)
  • 林霊法『現代思想と仏教の立場』(第3部)百華苑、1962年、NDLJP 2966410/119 (閉)
  • 中濃教篤・壬生照順(著)『信仰者の抵抗 - 宗教平和運動の歴史』誠信出版、1959年、NDLJP 2994863 (閉)
  • 山本清嗣「司法秘録 仏青事件の真相」『地球単位時代 - 平和と自由を求めて』北国新聞社、1959年、133頁-、NDLJP 2934099/72 (閉)
  • 小室裕充「新興仏青へのアプローチ」(あそか「近代宗教100年の証言」)[19]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 稲垣 (1974) 稲垣真美「解題と解説」妹尾鉄太郎・稲垣真美(編)『妹尾義郎日記 第1巻』国書刊行会、1974年、JPNO 73020137、pp.431-454
  • 妹尾 (1974c) 妹尾鉄太郎・稲垣真美(編)『妹尾義郎日記 第3巻』国書刊行会、1974年、NCID BN01797570
  • 中濃 (1974b) 中濃教篤「解説」(妹尾 1974c 497-511)
  • 林 (1974) 林霊法「解説」妹尾鉄太郎・稲垣真美(編)『妹尾義郎日記 第4巻』国書刊行会、1974年、NCID BN01797570、pp.409-428