大向美咲

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美人過ぎる海女、大向 美咲さん

大向 美咲(おおむかい みさき、1990年 - )は、岩手県久慈市出身の北限の海女。「かわいすぎる海女」の異名で知られる。

プロレスラー大向美智子、および、演歌歌手金澤未咲親戚にあたる。

来歴[編集]

美人過ぎる海女、大向 美咲さん

岩手県久慈市小袖海岸では明治以来、生活のために女性が素潜りによる海女漁を行っていた(第一次産業)。

1959年昭和34年)11月27日NHKラジオ第1放送においてラジオドラマ「北限の海女」(原作:水木洋子、出演:荒木道子原泉賀原夏子)が放送されると、当地の海女たちはドラマの題名と同様「北限の海女」として全国に知られるようになった。

1980年代には東北新幹線三陸鉄道の開業で観光客の増加が見られるようになり、かつては生活のためだったものから観光の呼び物としても当地の海女は活躍するようになった(第三次産業化)。

しかし、バブル崩壊以降は観光客が減少し、最盛期に100人いた海女も20人ほどまで減少した。

2009年(平成21年)、当地の最高齢海女を祖母に持つ大向美咲は、高校卒業後に先輩海女の勧めで久慈市漁業協同組合小袖支所「小袖北限の海女の会」に同級生の小袖妃香理とともに入会した。

2009年(平成21年)8月2日の「第20回 北限の海女フェスティバル」で2人はデビューするが、小袖は会社が休みの日だけ海女をし、大向はほぼ常勤で働いていた。

その大向をNHK盛岡放送局取材し、8月15日NHKで全国放送されると、大向はインターネット日本語ウェブサイト上で「かわいすぎる海女」として話題になり、韓国語ウェブサイト上でも検索ワードランキングで4位になるなど話題になった。

その後、会社の休日だけ海女をしている小袖もテレビに出るようになり、2人合わせて「かわいすぎる海女」と呼ばれるようになった。

9月末で海女のシーズンが終わると、大向は10月から久慈市の臨時職員となり、各地で観光PRや物産展などが開催される場合は海女姿で参加し、平時は「もぐらんぴあ」に勤めるようになった。

大向を初めとした北限の海女の話題は、日本のテレビ放送や新聞で度々取り上げられているほか、台湾民間全民電視公司東森新聞台などのテレビ放送でも取り上げられている。

2010年(平成22年)5月には、ギャル系雑誌ファッションモデル出身の藤田志穂らによる「ノギャルプロジェクト」(秋田県南秋田郡大潟村)やLieらによる「ウギャルプロジェクト」(岩手県釜石市)と、「かわいすぎる海女」の事例を挙げて、日本農業漁業の振興策として品種改良や外国への輸出に加えて「美女」で注目を集める手法も登場したと、台湾の東森新聞および中華人民共和国人民日報が伝えた。

同年8月20日、大向を含む新人海女3人が、7月27日に「小袖海女の会」をそろって退会していたと日本のマスメディアで報じられ始めた。8月23日には大韓民国でも国民日報が脱会について報じ、韓国語の各ネットメディアでも報道された。8月24日には台湾でも自由時報が退会について報じた。

退会の原因として、1か月あたり27日働いて給料が7万程度だったから、また、先輩海女と接客態度について意見が対立したから等と報道された。

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生すると、久慈市も津波の被害に遭ったことを受けて「死亡説」が流れた。しかし、3月17日大向美智子のブログにおいて無事を報告され、「死亡説」はデマとして否定された。発災から2週間後にはフジテレビ系ニュース番組の現地インタビューに本人が出演し、「海中のダメージが心配」とコメントを残した。

年表[編集]

美人過ぎる海女、大向 美咲さん
高校時代
美人過ぎる海女、大向 美咲さん
美人過ぎる海女、大向 美咲さん
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)

その他[編集]

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関連項目[編集]

大向美咲の画像[編集]

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