合成の誤謬

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合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、fallacy of composition)とは、ミクロの視点で正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、かならずしも同じ理屈が通用しないことを指す経済学の用語。

概要[編集]

ミクロ経済学では(一面ではマクロ経済学においてさえも)ある主体が他に与える影響が再び主体に返ってくることを想定しない。プライステイカーなどの言葉に代表されるように、複雑な経済構造を理解するため、第一段階においては主体単独の行動についてのみ考慮する。

例えば、家計の貯蓄などがこれに当たる。一家計が支出を削減した場合、必ず貯蓄額が増加する。これはミクロの視点において、一家計の支出削減は経済全体に影響せず、その家計の収入を減少させる効果は無いと考えられているためである。そのため所与の収入において支出を削減すれば貯蓄額が増加する。

しかしマクロの視点においては状況が変わる。経済全体の家計が貯蓄を増加させようと支出を削減した場合、貯蓄率が上昇するが貯蓄額は変わらない。これは家計全体が支出を削減するため、家計の収入も減少するためである。収入が減少するため貯蓄額の割合は高まり、貯蓄率が上昇する。家計の支出削減の努力は自らの収入減少に帰結する。マクロ経済においては家計の貯蓄額を決定するのが企業・政府の投資と経常収支の合計だからである。

他にも、企業の人員削減や、関税障壁による貿易収支の改善など、ミクロでは正しくてもマクロでは違う結果をもたらすものは多い。それはミクロのメカニズムが経済の一片における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは経済全体の循環における仕組みだからである。

現実の例[編集]

現実の経済政策決定においては合成の誤謬を考慮しなかったために思う結果が出なかったことがある。

  • 世界恐慌において、それまでどおりの均衡財政を維持しようとしたアメリカ政府は、自らの歳出削減による経済縮小と歳入減少に苦しんだ。
  • 1990年代の日本において財政改革で増税をした結果、景気が著しく悪化しかえって財政構造が悪化したことがある。

これは財政が経済に占める規模が大きいため、一家計や一企業の収支を改善する方法が通用しないことを示している。

  • 江戸時代において米沢藩の財政改革が成功したのに対して江戸幕府改革がたびたび失敗している。米沢藩が歳出削減や他藩への輸出興業を図ることができたのに対して、幕府は、自らの改革が自らへ悪影響をもたらすほどに大きかったためである。

上記の例のように、国民経済の枠組みにおいて財政は割合が大きいが、世界経済の枠組みにおいては、一国の財政はミクロの枠組みにおいて行動できる。このため通貨切り下げなどで自国経済を活性化させることで財政構造を改善することが出来る。しかし、この政策も結局世界中の国で行なわれれば、合成の誤謬が発生する。

世界恐慌後の世界では、各国が通貨切下げや関税障壁構築により自国経済からの需要漏出を防ごうとしたが、主要国がこぞってこのような政策を採用した結果、ブロック経済が出現し思うような改善を図れなかった。その上、自由貿易の利益も喪失され各国経済は著しく非効率な状態へ陥り、フランスやアメリカでは厳しい不景気が長引いた。

関連項目[編集]