バージニア工科大学銃乱射事件

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犠牲者追悼のために集まった学生ら
大量殺人の韓国人チョ・スンヒ

バージニア工科大学銃乱射事件(バージニアこうかだいがくじゅうらんしゃじけん)はアメリカ合衆国バージニア州ブラックスバーグバージニア工科大学2007年4月16日(月)に発生した銃乱射事件である。32名(教員5名、容疑者1名を含む学生27人)が死亡し、アメリカの学校が現場となった銃乱射事件では史上最悪の犠牲者数となった。同大は17日記者会見し、容疑者が同大4年に在籍していた当時23歳の韓国人男子学生、チョ・スンヒであったと発表した。

事件の経過[編集]

大量殺人の韓国人チョ・スンヒ

4月16日月曜日[編集]

  • 07時15分、最初に学生寮で2名の男女の学生が射殺される。
  • 08時ごろ、授業開始。学生寮で死亡している学生を発見。
  • 09時01分、容疑者は郵便局からCNN宛にビデオと写真の入ったCD-Rを発送。
  • 09時26分、学校を休校にするというメールを生徒らに一斉送信。
  • 09時20分~30分、容疑者が学生寮より800メートル離れた講義棟の教室に乗り込み、まずは教授を射殺。次に教室の鍵を閉めて学生を外に出さないようにした上で銃を乱射。
  • 09時45分、警察官が到着し容疑者がいる部屋に踏み込むと、既に容疑者と思われる男はその場で自殺していた。
  • 09時55分、校内で銃乱射事件が発生していることをメールで生徒らに一斉送信。

4月17日火曜日[編集]

  • 午前、バージニア工科大学と警察の記者会見により、容疑者は韓国出身で同大学英文学科在学中の4年生23歳である、と報道された。彼は8歳の時に一家で韓国ソウルからアメリカに移住し、姉と両親の4人家族であった。アメリカ永住権(グリーンカード)を所有していた。所持していた拳銃は、自分の身分証を使って購入した7万円相当の拳銃で、容疑者が所持していたバッグから領収書が発見された。
  • 午後、バージニア工科大学の体育館で追悼集会が行われ、ブッシュ大統領夫妻、ティム・ケインバージニア州知事らも参列した。

4月18日水曜日[編集]

  • NBCテレビ宛に容疑者からビデオと写真などが同封された手紙が届く。NBCテレビは内容の一部をニュース番組内で公開した上で、FBIに届いた手紙を提出した。

殺害動機[編集]

ストーカー、盗撮によりクラスから孤立したことがチョの動機となった

チョ・スンヒには同室学生の恋人をストーカーし、担当教師や女学生のスカートの中を盗撮、また放火の前歴があった。

チョ・スンヒは、教室で女性教師や女性のクラスメートのスカートの中を盗撮していたことが発覚し、退学必至、女学生から同席拒否されていたため、これを逆恨みした。女性教師、女学生らは、顔面、下腹部にばかり5~20発も打ち込まれており、警察は見ない方が良いとDNA判定を勧めたほどであった。

女性教師の顔面は粉砕されて跡形もなかったが、これは「女生徒たちはあなたが盗撮してるのを知っている、気持ち悪がっているからやめなさい」と注意したことを逆恨みされたためであった。

また、ホロコーストの生き残りユダヤ人教授(Liviu Librescu氏、76歳)も、チョの歴史認識が異常であること、態度が悪いことを教室で注意したことを逆恨みされ、腹部、顔面に計20発撃ち込まれて死亡した。

弾丸は250発使用され、1人当たり5~20発撃ち込まれたことになる。

事件後[編集]

この乱射事件により、教員や学生31人が射殺され、29人が負傷。現場に居合わせた学生のなかには、死んだふりをしたために九死に一生を得た者や、部屋にバリケードを築いて容疑者が部屋に入れないようにして難を逃れた者らがいる。アメリカで起きた乱射事件の中でも、これまで最悪の死者を出したジョージ・ヘナード事件(1991年、22人死亡)、ジェイムズ・ヒューバティ事件(1984年、21人死亡)、テキサスタワー事件(1966年、16人死亡)やコロンバイン高校銃乱射事件(1999年、15名死亡)などを上回る過去最悪の事件となり、ブッシュ大統領が緊急声明を出し、翌日には現場を訪れた。また、来日していたバージニア州知事ティム・ケインは日本で非常事態宣言を発令し記者会見を行った後に、緊急帰国した。

事件翌日になり容疑者の身分が判明するが、身分判明前には容疑者は単独犯でアジア系の若い男性である、と報道された。CNNテレビなどは、2箇所での乱射はそれぞれ別の者が起こした犯行である可能性にも言及していた。また、事件当日には容疑者が中国人ではないか、との報道があり中国政府は同日に北京の外務省で記者会見を開き、情報確認中であると述べた。4月17日に容疑者が韓国出身であると判明し、韓国の盧武鉉大統領や潘基文国連事務総長が記者会見で事件のことに触れ、哀悼の意を述べた。

同大学には日本人の留学生も在籍していたが、怪我はなかったという。

同大学では、2007年4月に入って、工学部の建物に爆弾を仕掛けたとの脅迫電話により学生が避難する騒ぎが2件起きていた。これ以外に、2006年8月には、治療のために刑務所からブラックスバーグの病院に移送された受刑者が、病院の警備員を銃で殺害して逃走したため、同大学の秋学期の初日の授業がキャンセルされるという事件があった。

アメリカ国内の反応[編集]

史上最悪とも言える銃乱射事件は、アメリカ社会に強い衝撃を与えた。アメリカの各種メディアは、この事件を最優先で報道し、一時は容疑者が中国系と見られるとするなどの誤報を行うなど混乱が起こるほどであった。また、この惨劇を「虐殺」と表現するメディアもあった。容疑者が韓国系と判明すると、インターネット上では、容疑者と同姓同名の人間が誹謗中傷の被害にも遭うなどの被害が見られるようになる。 。

日本塩崎官房長官韓国盧武鉉大統領イギリスエリザベス女王など、アメリカには世界中から追悼の意が寄せられた。また、潘基文国連事務総長も事件を非難した(容疑者が韓国系であることにはコメントしなかった)

大学では、17日午後(日本時間18日未明)、追悼集会を主催した。これにはブッシュ大統領も駆け付け、「暴力が成功することはあり得ない」と銃による凶行を非難したうえで、「平穏の時は必ず来る」と学生らを励ました。

また、事件から一夜明けた17日には、全米の学校で避難騒ぎが相次いだ。実際に、事件に乗じた愉快犯によるものと見られる脅迫状が届いた学校などもあったが、「不審物を持った男がいる」との通報で学校に警察が駆け付けて調べてみると、ただの傘と判明した事例もあり、学校関係者や警察が過敏になっている。

韓国の反応[編集]

韓国では事件を風刺する漫画が出版
盧武鉉大統領
  • 容疑者は韓国籍の韓国人男子留学生であったという情報は、アメリカ国内の韓国系アメリカ人社会と韓国社会に衝撃を与えた。韓国の主要メディアは事件を大きく伝え、この事件を機にアメリカで反韓感情がわき起こり、アメリカ在住の韓国人が迫害されるのではないかという、韓国人や韓国系アメリカ人の懸念を伝えた。
  • 盧武鉉大統領は18日、自身が主催となって緊急対策会議を開き、今後の対応などを話し合った。また、外交通商部は在米韓国人への報復事件に備えて安全対策を進める方針を表明したが、米国内で反韓感情が高まることはもちろん、韓国系住人に対するテロの可能性についても憂慮している。
  • この事件によって韓国への悪影響を米国民に与えてしまう虞がある事から、韓国観光公社はCNNテレビでの韓国への観光をPRするコマーシャルの放送を自粛する事を決定した。

脚注[編集]


関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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