藤島光雄

提供: Yourpedia
2021年9月1日 (水) 21:53時点における113.43.23.130 (トーク)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

藤島 光雄(ふじしま みつお、1958年4月22日 - 2013年12月12日)とは、山梨・新潟連続殺人事件の犯人である。2013年12月に死刑執行された。

事件経緯[編集]

藤島は、新潟でA子と結婚し子供を一人設けたが、定職につかず生活費はA子がまかなっていた。1985年に、藤島が傷害罪で新潟刑務所に収監されたのを機会にA子は離婚届けを提出した。だが、藤島の判決は執行猶予だったため3ヶ月で出所。

その後、一方的に離婚したA子を尋ねて山梨の実家に出向き、A子に会うためにA子の祖母の家に張り込んでいた。しかし、祖母に見つかってしまった。藤島は、保護観察所に出頭していなかったため、祖母に通報されれば執行猶予は取り消されると考えた。そのため、祖母の殺害を決意し、1986年3月6日、山梨県内の祖母の自宅で、同人の両手足を縛り、浴槽内の水中に沈め、同人をショック死させた。その後、外出先から戻ってきたA子と逃走した。

その後、新潟に逃走した2人は、キャバレーホステスをやっていたA子と婚約した茨城県の会社員Bさん(当時26歳)から、金を奪おうと計画。同月11日、Bさんを新潟のラブホテルに誘い出し部屋で両手両足をシーツで縛って浴槽で窒息死させた。その後、Bさんの遺体は円形ベットのマットを剥がして中空になっている部分に押し込んで逃走した。同月17日、藤島は京都銃刀法違反で現行犯逮捕され、その後の取り調べで2人の殺害が発覚した。

死刑確定[編集]

1987年7月6日甲府地裁は藤島に死刑を、A子に懲役5年を言い渡した。これに対して、弁護側は、藤島の幼児期の虐待が事件の背景にあるとして減刑を主張。東京高裁は一審判決を支持して藤島の控訴を棄却。1995年6月8日最高裁は藤島の上告を棄却して死刑が確定。

連続殺人の男ら2人、死刑執行…確定死刑囚は129人に(2013年12月)[編集]

谷垣禎一法相は12日午前、1986年山梨新潟両県で2人を殺害した藤島光雄死刑囚(55)=東京拘置所=と、2000年2008年大阪市で2人を殺害した加賀山領治死刑囚(63)=大阪拘置所=の2人の死刑を執行したと発表した。

昨年12月末の政権交代後では、今年2、4、9月に続く4回目の執行で、今年に入ってからの執行は計8人になった。

谷垣法相は前回9月12日の執行から約3カ月で執行命令を出したことになる。今回の執行により確定死刑囚は129人となった。

確定判決によると、藤島死刑囚は1986年3月、山梨県笛吹市(旧春日居町)の前妻宅で祖母(当時73歳)と口論になり、浴槽に押し込んで殺害。5日後、逃走資金を得るため、前妻の知人男性(同26歳)を新潟市内のホテルに呼び出し、金を脅し取って殺害した。

加賀山死刑囚は2000年7月、大阪市中央区の路上で中国人留学生の女性(同24歳)からバッグを奪って刺殺。取り押さえようとした男性(同34歳)にもけがをさせた。2008年2月には大阪市北区の商業用トイレで強盗目的で男性会社員(同30歳)を刺殺した。

記者会見した谷垣法相は「いずれも誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命が奪われた極めて残忍な事案だ。十分な審議を経た上で死刑が確定しており、慎重な検討を加えた上で執行した」と述べた。