浅野和三郎

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浅野 和三郎(あさの わさぶろう)は、日本の心霊研究家。東京心霊科学協会を主宰した[1]

海軍機関学校に英文学の教授として赴任[2]。退官後に大本に入信し、大本の本部があった京都府綾部市に移住した[2]

1921年の第1次大本事件を契機として教団を離れ、心霊科学研究会を結成[2]

  • 柏書房 (2011 51)は、同会を日本のオカルティズムの先駆け、と評している。
  • 同会は2011年当時も(財団法人)日本心霊科学協会として活動を続けていた[2]

その子・浅野新樹は満鉄の社員として勤務中に病気のため満鉄病院に入院し、そのまま亡くなった。このとき浅野はロンドン世界心霊学大会に出席していて、鶴見の自宅に帰ったときに玄関で「ただいま」という息子の声と扉が開き、閉まる音を聞いた後、危篤の電報を受けて船で大連に直行したが、間に合わなかったという。[1]

その後も、交霊会などでは、浅野の妻を通じて息子の新樹と「霊界通信」が行なわれ、「新樹の通信」と呼ばれていた。[3]

付録

脚注

参考文献

  • 柏書房 (2011) 島田裕巳(監修)柏書房(編)『現代にっぽん新宗教百科』柏書房、ISBN 978-4760139729
  • 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291