池袋通り魔殺人事件

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池袋通り魔殺人事件(いけぶくろとおりまさつじんじけん)とは、1999年平成11年)に発生した通り魔事件である。

概要

1999年9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で造田博(23歳)が、突然「ウオー。むかついた。ぶっ殺す!」と大声で叫びながら、包丁金槌で通行人を襲い、2人(66歳女性と29歳女性)が死亡し、6人が重軽傷を負った。

造田は2002年1月18日東京地方裁判所大野市太郎裁判長)で死刑判決を受けた。

造田は判決を不服として控訴したが、2003年9月29日東京高等裁判所原田國男裁判長)判決で控訴は棄却された。9月30日に弁護側は判決を不服として上告する。

2007年4月19日には最高裁判所(第一小法廷・横尾和子裁判長)において、「犯行は冷酷、非情、残忍であり、被害者には何一つとして落度は無い」として上告が棄却され、死刑判決は確定した。

被告人の人生・犯行動機

造田は岡山県出身。高校時代は進学校に通学。成績優秀だったが、教員や同級生の間での印象は薄く、地味で目立たない生徒だと言われていた。やがて、両親が賭博などにより数千万円の借金を残して失踪。残された彼の家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになった。経済的な困窮から、高校生活や夢見た大学への進学も破綻した。以後、一時は兄に引き取られ、その後職を転々としていた。日本での人生に絶望した造田は、新天地を求めてアメリカに短期渡航したが十分な滞在費がなく、また就職先もなかったので、現地のキリスト教会の牧師に事情を話し、教会の仕事を手伝うのと引き換えに衣食の面倒を見てもらっていたという。逮捕後の取調べ時には、この時期が人生で最も充実していたと回想している。

しかし、こうした現地での生活も、滞在期限の失効と同時に終わった。その後は、働きながらの大学への通学も考えたが費用の面から頓挫。犯行当時は都内の新聞販売店を辞めた直後だった。

犯行動機は、人生に絶望し、またどうしようもない環境的な不平等にいらいらした為、と供述している。直接のきっかけは、事件直前に夜勤をしていた際、自分の携帯電話にかかってきた無言電話によるという。犯行当日、殺人を予告するレポート用紙をアパートの自室の扉の外側に張りつけた。

造田本人が言うところでは、およそ「真面目な人がさらにさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした」、「努力していない奴らを皆殺しにしてやろうと思って犯行に及んだ」と、動機を供述した。事件後の警察による家宅捜索では、「努力していない奴らは死んでも仕方が無い」と書き綴ったメモが大量に発見された。

遺族

死亡した29歳女性の父親は、「加害者ばかりが同情的に報道され不愉快である」とマスコミに対して不満を述べている。この男性は現在、全国犯罪被害者の会の幹事を務めている。

その他

この事件の3週間後に下関通り魔殺人事件が発生した。犯人は公判の中で、「池袋の事件を意識した」と、池袋通り魔殺人事件の影響に言及した。

犯人の手紙

造田は、通り魔事件を起こす数年前から外務省に対して何度も手紙を出していた。また、犯行直前や直後にも知人に対して手紙を出している。

外務省に出した手紙(主要部分)。
  • 「日本の人口のほとんどが小汚い者達です。国連のプレジデントに届けてください。」
  • 「私と関係があるという理由で、この小汚い者たちはA子(犯人の小中学生時代の同級生で、一方的な好意を寄せていたとされる)さんという女性を世界中の人達、私の目の前でレイプしようとしています」
  • 「この小汚い者達から存在、物質、生物、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人が持つべきです。これは存在するものでもなく、物でもなく、生物でもなく、何をたってもいい。何も許さないという意味です。」
  • 「国際裁判をします。僕達にはどうすればいいか、教えてください」
犯行直前の数日前、自宅前に貼り付けた手紙。
  • 「わし以外のまともな人が、ボケナス殺してるけえのお。わしもボケナスのアホ、全部殺すけえのお。アホ。今すぐ永遠じごぐじゃけえのお。」
犯行後、拘置所から知人に宛てた手紙(主要部分)。
  • 「私は○○○(犯人の名前が入る。手紙では犯人が作った宗教と説明している)教の中で、神とか主ではなく、宣教者です。信仰の対象というものは無くて、私の話を知ってもらうというものです。岡山の実家を○○○教の礼拝地にします。献金を貰ってその金で会社を作り物を作って安く売ります。その収入から皆に給料を払います。私は献金の一部や会社の利益から3%から5%を貰います。○○○教と○○○教の会社は、私の所有物とします。」
  • 「○○○教では親族・家族の関係を無しにしようと思ってます。家族の借金なんて払わなかったらいいと思います。」
  • 「私は事件の被害者の人の言う事を聞かないでいいと思っています。無茶苦茶な言い分を含むと言う事です。」
  • 「親とか年寄りを大事にするのはダメだと思います。大事にしてもしようがないからです。」
  • 「人の命は尊い、無くなったら戻らない、とかよく言われますが、こんなことを言っていると社会に悪影響があると思います。」
  • 「肉体労働は体を使うばかりだと思います。学歴が無いとなれない仕事を、学歴が低くてもなれるようにするのがいいと思います。」
  • 「私は○○○教では、トイレを自由にするのがいいと思っています。あと小便や大便をもらしても、ふれないようにするのがいいと思います」
  • 「事件を起こしたので入れるかどうかわかりませんが、大検を受けて大学を受験しようと思っています。今、高校の参考書を読んだりしています」
  • 「今の日本や世界の状況で、私が死刑なんて無いと思います。アメリカ大使館に伝えてください。他の国と一緒に、日本と戦争してくださいと大使館に伝えてください」

このような文章を書いた造田を、弁護側は精神異常、あるいは妄想型の人格障害であるとして減刑を主張しているが、認められなかった。

関連書籍

  • 小学館文庫『池袋通り魔との往復書簡』


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