気賀関所

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気賀関所(復元施設)

気賀関所(きがせきしょ)は、17世紀初めに江戸幕府気賀浜松市北区細江町気賀)に設置した関所東海道新居関所の裏番所として本坂通姫街道)の往来を監視した。

旗本気賀近藤氏が関所を監理し、関所手形により「入鉄砲に出女」を取締り、周辺の要害村や新居関所、金指の番所と共同で浜名湖上の通行や「横越し」を監視した。地元住民の通行の便宜のために設けられた抜け道「犬くぐり」も有名。

明治2年(1869年)に廃止され、2014年現在「気賀関所跡」には本番所の関屋の一部のみが残存している。1990年(平成2年)に細江町により別地に観光施設「気賀関所」が復元されている。

沿革

設置

関所の設置時期については、「斉藤家文書」により、慶長6年(1601年)に江戸幕府東海道宿駅の制が定めたときに設置されたとする説が一般的とされているが[1][2][3]、気賀の「白井家文書」により、慶長地震よりも後の、慶長17年(1612年)に設置されたとする説、慶安2年(1649年)の「気賀関所茅葺御修復の書付」により、慶長から元和元年(1615年)の間に設置されたとする説もある[1]。また浜松市役所 (1971 180)では、設置年代不明としている。

お蔭参りと気賀関所

享保15年(1730)にお蔭参りが流行したときには、都田村では、女中たちの抜け参り[4]が多かったため、気賀関所の命令を受けて、見張人を街道に沿う村の山へ毎日出したが、それでも抜け参りは絶えなかったとされる[5]

気賀関所では、お陰参りの流行中には、関所破りをほとんど黙認し、お陰参りが下火になってから「お陰参りの人々の関所破りに加担した」として周辺の村々に対し「叱り」などの軽い処罰を下していたが、これは表面的な措置であり、お陰参りの大規模な関所破りに対して、関所はほとんどお手上げ状態だったとされている[6]

清河八郎の関所破り

幕末には、関所近辺の住民に金銭を渡して関所破りの先導役を依頼する女性も現れるようになり、安政2年(1855年)には、尊攘派の清河八郎が、出羽国にいた母とともに西国を旅した帰路、今切関所を避けて本坂通を通り、三ケ日で船頭に金銭を支払って呉松村(浜松市西区呉松町)へ渡り、気賀の関所を破っている[7]

廃止

明治2年(1869年)の関所廃止令により気賀関所も閉鎖された[8]

史跡指定と復元

気賀関趾

気賀関所の関屋は、設置から100年ほど経ってから屋根が茅葺から瓦葺に葺き替えられたほかは、施設の規模と構造はほぼそのまま明治時代まで残り、本番所は関所の廃止後も1960年(昭和35年)まで現存し、全国でも最古の関屋とされていたが、その後解体され、一部が民家の屋根と柱として残るのみとなっている[9][2]

1966年1月27日に、気賀関所跡の本番所の一部分が細江町指定文化財(建造物)に指定された[10]

1990年(平成2年)に、細江町はふるさと創生事業として、江戸時代の文書や残存していた本番所の一部を参考にして「気賀関所」を復元した[11][12]。2014年現在、関所内の展示棟で資料の展示が行われている[11]。復元された「気賀関所」は、江戸時代に気賀関所があった場所(2014年現在「気賀関所跡」と呼ばれている)よりも西の、奥浜名湖田園空間博物館総合案内所[13]近くに立地している[11]

2011年10月当時、復元された気賀関所では「関所祭り」が開催されており、「駕籠かき」や「手形改め」の再現が行なわれていた[14]

監視体制

気賀関所は、全国53箇所に設置された関所のうちで、新居(今切)の関所を最高ランクとすると、それに次ぐランクの重要な関所と位置付けられていた[15]

要害の町

詳細は 気賀宿 を参照

関所は気賀宿の東の入口に置かれた[15]。気賀(浜松市北区細江地区)は、町の北側に標高100m以上の山地・丘陵地があり、南は浜名湖、東は井伊谷川都田川に挟まれた要害の町になっており[16][15]、関所の東門から宿場の南に沿って要害堀[17]が掘られていて、容易に抜け出ることができないようになっていた[15]。江戸時代の都田川には橋が架かっておらず、街道を往来する人々は渡し船で通行した[2]

関所番

気賀関所は、地頭で、「乱暴旗本」として知られた近藤登之助同族旗本気賀近藤氏が監理し、関所番として本坂越えをする通行人を監視した[15][18][19]。気賀近藤家は元和5年(1619年)から明治維新まで、12代にわたり関所を管理した[2]

役人は番頭2人、平番5人が交代で勤務し、ほかに下番1人、足軽2,3人がいた[15]

入鉄砲に出女

気賀関所の監視は、東海道の本道の新居関所と同様に厳格だったとされ、領主でも通過する際には手形を必要とした[20]

関所の通過には関所手形が必要で、男性の場合は領主や庄屋が証人になれば手形の発行を受けられたが、女性に対しては厳格だった[15]。関所を越えて嫁入りしたときに、両方の村の庄屋・組頭・証人の印鑑を要し、女性1人の通行に10人の署名を必要とした記録がある[15]。幕府が本坂越えの通行を禁止して東海道の通行人を増やそうとする政策をとった際には、他の関所では御留守居発行の女手形があれば通行できたが、気賀の関所では老中発行の女手形がなければ通行を許さなかった[15]

また近世関所は、「入鉄砲に出女」を改めるために設置され、「入り鉄炮」の通関には老中証文が必要だった[21]。気賀関所でも、江戸へ入る「下り鉄炮」は1挺でも老中証文を必要とした[22]

犬くぐり

気賀の犬くぐり

気賀関所では旅人の通過を厳格に監視していたが、地元の女性の里帰りなどの際には庄屋の手形で通行でき、関所の外の田畑へ耕作に行くときには手形の代わりに「作場札」という木の札を庄屋から借りて関所を通行できるようにするなどの便法がはかられた[15]

夜間の通行は基本的に禁止され、特に1651年の慶安事件の後、幕府は箱根・新居・気賀の3つの関所に対して、「上使および継飛脚のほかは、夜間には一切通してはならない」と命じて厳格に取り締まったが[23][15]、関所の近隣住民の往来の利便をはかるために、関所の裏通りにくぐり戸を設けてむしろを垂らし、犬のように這って通ることができるようにしていたといわれ、「気賀の犬くぐり」として知られている[24][20]

2011年現在、銅鐸と姫街道の資料館[25]近くに復元された「犬くぐり」が設けられている[14]

要害村

関所の周辺の村は「要害村」に指定され、関所破りを防ぐため、浜名湖を船で渡ったり、山中を通り抜けようとする者がいないかの監視を命じられていた[26]。気賀関所の周辺では西海辺14、本道8、山道28、東海辺18ヶ村の計68ヶ村が要害村に指定されていた[26]。要害村では、旅行者を1晩泊めてもいいが、2泊する者がいたら報告せよ、手形をもたない女や鉄砲を見つけたら、その場に留め置いて通報すれば褒美を与える、舟に旅人を乗せてはならないなどの命令が出されていた[26]

気賀関所は今切関所と連携して浜名湖を渡る舟を北と南から監視し、薪船・漁船・回米船・関所へ届出済の荷船・地元の田畑へ向かう耕作船以外の舟の通行を許さなかった[26]。また金指の番所と連携して両関所間の山道を抜けようとする「横越し」を取り締まった[26]

外部リンク

付録

脚注

  1. 1.0 1.1 気賀関所 2016b
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 みわ 2003 179
  3. 内藤 (1972 159)では、1601年に新居関所と同時に設けられた、としている。
  4. 若い男女が親にかくれ、奉公人が主人に無断で群集にまじって参宮をすること(浜松市役所 1971 480)。
  5. 浜松市役所 1971 480
  6. 渡辺 2000 192-193
  7. 渡辺 2000 171
  8. 気賀関所 2016a
  9. 気賀関所 2016a 。同書では、屋根のみが残っている、としている
  10. 静岡県 2019
  11. 11.0 11.1 11.2 細江町観光協会 三ヶ日町観光協会 2014 2
  12. みわ 2003 179-180
  13. 浜松市 (2016) 浜松市 ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化施設一覧 > 奥浜名湖田園空間博物館総合案内所 浜松市役所 2016-08-25 [ arch. ] 2016-12-09
  14. 14.0 14.1 宮川 2012 93
  15. 15.00 15.01 15.02 15.03 15.04 15.05 15.06 15.07 15.08 15.09 15.10 小杉 1997 185-187
  16. (2016) 浜松市 北区版避難行動計画 詳細版 浜松市 2016 1-3,4
  17. 気賀関所TOP > 要害堀 浜松市(2016) 2016年12月7日閲覧。
  18. 内藤 1972 160
  19. 浜松市役所 1971 179-180
  20. 20.0 20.1 内藤 1972 159
  21. 金井 2000 58
  22. 金井 2000 59
  23. 本多 2014 84-85
  24. 小杉 1997 185-187。関所北側の清水地区から、西木戸の棒鼻の近くまで抜けることができたとみられている(同)。
  25. 浜松市 (2016) 浜松市 ホーム > 施設を探す > 文化・教養 > 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館 浜松市役所 2016-02-24 [ arch. ] 2016-12-13
  26. 26.0 26.1 26.2 26.3 26.4 小杉 1997 187-188

参考文献

  • 金井 (2000) 金井達雄 [ 鉄砲証文-老中裏印証文及び留守居断状の存在と役割:房川渡中田(栗橋)関所を事例として ] 駒澤史学 56 駒澤大学 2000-08 58-87 NAID 110007003127
  • 気賀関所 (2016a) 気賀関所浜松市 TOP > 姫街道と気賀関所 浜松市気賀関所 2016-09-06 [ arch. ] 2016-12-03
  • 気賀関所 (2016b) 気賀関所浜松市 TOP > 関所の歴史 浜松市気賀関所 2016-09-06 [ arch. ] 2016-12-03
  • 小杉 (1997) 小杉達 [ 東海道と脇街道 ] RomanKaido Tôkaidô 3 静岡新聞社 1997 ISBN 4-7838-1059-1
  • 静岡県 (2019) 静岡県文化・観光部文化政策課 ふじのくに文化資源データベース > 気賀関所跡 2019 [ arch. ] 2019-6-22日
  • 内藤 (1972) 内藤亀文 「姫街道の今昔」 静岡新聞社 [ ふるさと百話 ] 7 静岡新聞社 1972 NDLJP 9569498 (閉) 127-176
  • 浜松市役所 (1971) 浜松市役所 浜松市史 2 浜松市役所 1971 JPNO 73004094
  • 細江町観光協会 三ヶ日町観光協会 (2014) 細江町観光協会 三ヶ日町観光協会 姫街道‐細江町/三ヶ日町 PDF 2014
  • 本多 (2014) 本多隆成 [ 近世の東海道 ] 清文堂 2014 ISBN 978-4-7924-1018-6
  • 宮川 (2012) 宮川充史 [ (巡見報告)本坂通(姫街道)を歩く ] 交通史研究 76 交通史学会 2012-02-24 92-93 NAID 110009986433
  • みわ (2003) みわ明 「姫街道」 [ 県別全国古街道事典‐東日本編 ] 平文社 2003 ISBN 4490106300 178-182
  • 渡辺 (2000) 渡辺和敏 [ 東海道の宿場と交通 ] 東海道双書 2 静岡新聞社 2000 ISBN 4-7838-1071-0

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