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<nowiki>'''日産・シルビア'''(''SILVIA'')は、[[日産自動車]]で生産されていた2ドア[[ノッチバック]]タイプの[[クーペ]]型自動車(3代目、4代目には[[ハッチバック]]が存在する。また2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「[[ハードトップ]]」と呼んだ<ref name="日産ミュージアム S10">[http://www.nissan.co.jp/MUSEUM/SILVIA/S10/main.html 日産ミュージアム シルビア S10]</ref><ref name="S110カタログ 1979年10月">1979年10月のS110シルビアのカタログの表紙、1-8、11-12、24-32、35-36頁より。</ref>)。
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'''日産・シルビア'''(''SILVIA'')は、[[日産自動車]]で生産されていた2ドア[[ノッチバック]]タイプの[[クーペ]]型自動車(3代目、4代目には[[ハッチバック]]が存在する。また2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「[[ハードトップ]]」と呼んだ<ref name="日産ミュージアム S10">[http://www.nissan.co.jp/MUSEUM/SILVIA/S10/main.html 日産ミュージアム シルビア S10]</ref><ref name="S110カタログ 1979年10月">1979年10月のS110シルビアのカタログの表紙、1-8、11-12、24-32、35-36頁より。</ref>)。
  
 
名前の由来は[[ギリシャ神話]]に登場する清楚な乙女の[[シルビア|名前]]から。その語源は[[ラテン語]]で「森」を意味する。<!--なお、この「シルビア」という名前は元々[[本田技研工業]]が[[商標]]を持っていたが、ホンダが日産自動車にこの商標を譲渡した形となった。--><!--要検証-->
 
名前の由来は[[ギリシャ神話]]に登場する清楚な乙女の[[シルビア|名前]]から。その語源は[[ラテン語]]で「森」を意味する。<!--なお、この「シルビア」という名前は元々[[本田技研工業]]が[[商標]]を持っていたが、ホンダが日産自動車にこの商標を譲渡した形となった。--><!--要検証-->

2020年1月17日 (金) 22:06時点における最新版

日産・シルビアSILVIA)は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する。また2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「ハードトップ」と呼んだ[1][2])。

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。

もともとスペシャリティカーとして登場し、3代目や5代目は当時のデートカーとして商業的に成功した。モデルチェンジと共に走行性能が向上したため、近年のモデルはレーサーチューニングカー愛好者に人気が高い。そのため、2010年時点で日本国内で生産された車種としては任意自動車保険の保険料率の高い車種となっている。

歴史[編集]

初代 CSP311型(1965年-1968年)[編集]

1964年の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された後、1965年4月発売。ダットサン・フェアレディ(SP310型)のシャーシにSUツインキャブ付R型1600cc OHVエンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。日本車初採用の4速フルシンクロのトランスミッションクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン(当時日産デザイン室に在籍した木村一男がドイツ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツによる助言を採り入れながらデザインしたもの)、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や相対的な割高感に加え、兄貴分のスカイラインオープン版のフェアレディの影に隠れて商業的には成功したとは言えなかった。そのため、1968年6月に554台のみで生産を終了、一旦は絶版となった。

この初代シルビアは、殿内製作所(現在の株式会社トノックス)にて製造された。

神奈川県警察では、高速道路交通警察隊パトカーとして採用された。

社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」に選出されている。また、トヨタ博物館の3階にも展示されている。

2代目 S10/11型(1975年-1979年)[編集]

1975年10月、S10型発売。日本国内の車名は「ニューシルビア」で、エンブレムにも「NEW」の文字が見られる。このエンブレムは最後まで「NEW Silvia」と書かれており[3]、前期型のエンブレムはCSP311型シルビアと同じ字体だった[3]。コンセプトは初代とはうって変わり、北米市場向けの「セクレタリーカー」として開発された。

プラットフォームはB210型サニーをベースとしており、サスペンションはフロントがストラット式、リアがリーフリジッド式を採用している。ハードウエアの面でも初代との繋がりは全く無い。

開発当初はロータリーエンジンの搭載も検討されていたが、オイルショックの影響により見送られ、当時ブルーバードUに搭載されていた、1800ccの4気筒SOHCエンジンであるL18型(105ps)を搭載した。

1976年5月、形式変更。昭和51年度排出ガス規制対応の為、L18型は排ガス対策システムである日産・NAPSを搭載した電子制御式燃料噴射のL18E型(115ps)に換装。型式番号もS11型となる。1977年8月にS11型はマイナーチェンジ、フロントグリルの意匠変更とフロントバンパー四隅への対衝撃ゴムの配置、最上級グレードであるType Gも設定された。[4]

直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に北米受けを狙った2灯式ヘッドランプや、うねりの強い2代目のスタイルは日本の顧客には共感を得られず、国内販売台数は月2000台ほどとライバルのトヨタ・セリカには遠く及ばず不振だった[5]

ちなみに、この世代の北米向けモデルで初めてSXの名が使われた。名称はDatsun 200SX。通称5マイルバンパーと呼ばれる大型のバンパーを前後に装着していた。

3代目 S110型(1979年-1983年)[編集]

1979年3月、発売。プラットフォーム310型サニーA10型バイオレットと共通。ボディタイプはハードトップと呼ばれた[2]ノッチバッククーペに加え、ハッチを持つ3ドアファストバックが追加された。なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロントシングルアームワイパーが全てのグレードに標準で装備されていた。角型4灯式ヘッドライトやセンターピラーレス・ボディ(ハードトップ[2]のみ)等当時の流行を押さえたデザインのため[3]、月4000台を上回る販売台数を記録するヒット作となった[6]

先代の輸出仕様車である初代200SXの手応えから、さらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピューターをはじめ、ダッシュボード上の横一杯に並んだワーニングランプやフェードアウトする足元灯など、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションを採用。なお、米国仕様車の名称は200SXを継承している。

グレードは当初、1800ccのZ18型を搭載したLS(インジェクション仕様はLSE-X)、2000ccのZ20型を搭載したZS(インジェクション仕様はZSE-X)の2種が設定され、のちのマイナーチェンジZ18ET型を搭載したターボZSE/ZSE-X、FJ20E型を搭載したRS/RSエクストラが追加設定された。これはR30型スカイラインRS用に開発されたDOHCエンジンである。

サニー系のパワートレインのため、5速MTは5速がオーバードライブではなく、直結となっており、1速が左手前にくるシフトパターンであった。そのため、発進時のシフトミスを防ぐためリバースポジションでは警告ブザーが吹鳴するようになっていた。後に5速MTは6気筒車と共通の4速プラスオーバードライブ式に変更された。

1982年には、S110型シルビアをベースにWRCグループBホモロゲーションモデルとして、2400ccのFJ24型エンジンを搭載し、角ばったオーバーフェンダーを追加、225/50R16タイヤを標準装備する日産・240RSが登場している。

また、このモデルと次のS12型にはモーター店の取扱車種として姉妹車ガゼールが設定された。なお、石原プロモーション製作の「西部警察」で石原裕次郎演じる木暮課長専用車のS110型のオープンカーは姉妹車のガゼールである。

1982年、生産拠点を九州工場へ移す。

この年の第30回サファリラリーでは、LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。

1983年、生産終了。

米国向け200SXのほかにメキシコ向けにはSAKURAのネーミングで売られていた。

4代目 S12型(1983年-1988年)[編集]

1983年8月、発売。このモデルからリアサスペンションがセミトレーリングアームの独立式となる。また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用された。機能面では、日本初のチルトアップ機構付き電動ガラスサンルーフが搭載された。日本国外への輸出ではこれまでのダットサンから米国仕様を含め、日産200SXとした。

ボディタイプは2ドア・ノッチバックと3ドア・ハッチバックの二車種。センターピラーを持つようになったためノッチバックボディは「ハードトップ」から「クーペ」に名称が変わった。エンジンはデビュー当初、1800ccのCA18型3種(キャブレター/EGI/EGIターボ)と2000ccの自然吸気エンジンであるFJ20E型(150ps)、ターボを搭載したFJ20ET型(190ps)が設定された。同じくFJ20ET型を搭載していたDR30型スカイラインでは、空冷インタークーラーを追加した205ps仕様が設定されたが、S12型には採用が見送られた(試作車両が十数台、生産され 一部が世に流出した)。

なお当初は新開発の「CA18」型エンジンをフロントミッドシップに搭載し、新型・軽量エンジンとハンドリングの良さを売りにしていたモデルだが、たまたまフルモデルチェンジと重なりS110型からFJ20エンジンを継続したため、当初のデザインのままではエンジンが収まりきらないため、ボンネットを切り抜きバルジで蓋がしてある(インタークーラー用のインテークダクトではない)。

1984年2月、1800ターボR-L FISCO追加。中級グレードのターボ・R-LにFJ20E/ET搭載車と同じタイヤ、アルミホイール等を装備したもの。

1986年2月、マイナーチェンジ。FJ20E/FJ20ET型エンジン搭載車が廃止され、全車CA型エンジン搭載車となった。トップグレードにはCA18DET型ツインカム・ターボエンジンが搭載された(これ以後、DOHCからTWINCAMという表記になる)。同時に兄弟車のガゼールが廃止。このため、日産モーター店では代替としてシルビアを扱うことになった(北米モデル:200SXにはVG30E型3000ccエンジンを積む大排気量車が追加)。

1988年に生産終了。

5代目 S13型(1988年-1993年)[編集]

1988年5月、発売。歴代シルビアの中で最も販売台数が多い。このモデルで当時大人気だったホンダ・プレリュードの牙城を崩し、若者を中心に爆発的に売れた。当時としては未来的なデザインで、CMや雑誌広告のコピーでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と表現しており、グッドデザイン大賞を受賞した。足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。

日産はこのモデルをデートカーとして位置づけていたが、当時すでに少なくなっていたミドルクラスの後輪駆動車で、スポーツ走行にも適した設計であったことが原因で、アフターマーケットにおいてスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発され、日産の想定外の事態として、サーキットや峠などで走るための車として使用される(時に、無謀な暴走行為に使用される)こととなった。これはS13型だけに限った話ではなく、その後のモデルであるS14型やS15型も同様である。

搭載エンジンは、デビュー当初は1800cc、自然吸気エンジンのCA18DE型(135ps)とターボのCA18DET型(175ps)であった。1991年のマイナーチェンジ後は2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。グレードはJ's、Q's、K'sの3種で、特別仕様車の名称も含めてトランプを意識した構成になっていた。

オプション装備では、プロジェクターヘッドランプ、四輪操舵装置のHICAS IIや、デジタルメーターHUDであるフロントウインドウディスプレイなどが用意され、未来的なイメージを後押しした。

1988年7月、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」を追加発売。K'sを改造したものであり、製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。

1988年10月、昭和63年度の通産省選定グッドデザイン大賞を受賞。

1988年12月、'88~89年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。

1989年4月、姉妹車180SX(RS13型)が発売。リトラクタブルライトを採用したS13型の北米輸出仕様車240SXハッチバックボディの日本仕様車であり、車名の「180」は排気量の1800ccにちなんでいる。エンジンはシルビアと異なり、ターボモデルのCA18DET型のみ設定していた。この180SXはS13型同様に人気が高く、S13シルビアの販売終了後もS14型と共に販売が続けられた。

1990年2月、「ダイヤセレクション」シリーズを追加発売。Q's、K'sをベースにそれまでの販売実績から人気の高いオプションを標準化しながら価格上昇を最小限に抑えたお買い得仕様。内容はオートエアコン、アルミホイール、CDプレーヤー(ソニー製)、アーム式シートベルトガイド、電動格納式ドアミラー、プロジェクターヘッドランプ、リアスポイラー、スーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)、専用エンブレム(銀地にQ'sあるいはK'sと書かれ左右にトランプのダイヤのマークが入る)、アクセントモール。尚、ダイヤセレクション専用オプションとしてレザーバージョン(本革シート、ステアリング、シフトノブのセット)が設定される。同時にQ'sに従来設定の無かったビスカスLSDのオプションが設定される。

1991年1月、マイナーチェンジ。エンジンが1800ccのCA18DE/CA18DET型から2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。姉妹車の180SXも同時期にSRエンジンに変更されたが、名称は180SXのままであった。そのほか、4輪操舵のHICAS IIがSUPER HICAS に変更され、タイヤサイズが195/60-15から205/60-15にサイズアップされた。さらにトランクリッド後端中央のキーホールカバー形状を逆台形から楕円形に変更、リアスポイラーを飛行機の翼をモチーフにした新形状に変更、その内蔵ハイマウントストップランプには横一列配列のLEDを採用、サイドドアビームの追加、プロジェクターヘッドランプが4連からフォグランプも含めた6連に変更、アルミホイールの形状変更、トランク裏にトリム(内装)が追加されるなどの細かい点も変更が行われている。内装はシートの形状が変更され、リア3点式シートベルトが採用され、ワイパーの間欠時間調整が追加(Q's系、K's系)、ファッションキー(キーヘッドが丸で中に「SILVIA」のロゴが入る)の採用、前期型で多かった女性ユーザーからの要望により従来の助手席側に加え運転席側にもバニティミラーを追加(Q's、K's系)。ダイヤセレクションは廃止されたが、ダイヤセレクションの内容からCDデッキと専用エンブレムを省いた仕様のメーカーオプション「ダイヤパッケージ」が設定された。また、内装のオプションとして「レザーセレクション」(本革シート、ステアリング、シフトノブ専用内装地。スーパーハイキャスとセットオプション)とアートテリアセレクション(大理石模様のスウェード調生地のシート、内装地)を追加している。マイナーチェンジ前の型式がS13型、マイナーチェンジ後はPS13型となっているが、通称としてどちらも「S13」と呼ばれることが多い。

1992年1月、「クラブセレクション」と「Q'sSC」追加発売。クラブセレクションは先のダイヤセレクションと同等の仕様。相違点はCDデッキがソニー製からクラリオン製に変更、アルミホイールが標準車と違いシルバーポリッシュ(光輝仕様)タイプとなる、専用の銀地の楕円型グレードエンブレムの文字色が濃赤になり、左上にトランプのクラブのマークと下に「club」のロゴが入る点。「Q'sSC」はQ'sにオートエアコンとシルバーポリッシュのアルミホイールを装備しながら価格上昇を抑えた質実剛健型グレード。尚、SCとは「スペシャルカード」の意である。

同時に一部仕様変更が行われ、シートベルト警報&警告灯の装備。これはエンジン始動時にメーター内の警告灯が点滅し、同時に運転席ベルト未装着の場合は警報がいずれも8秒間作動する仕組みになっていた。これに伴いメーターの変更が行われ、オートエアコンのデジタル化も行われた。

1992年5月、「Q's2」(Q'sスクエア)限定発売。同時期の日産主力車種と同様、オール日産4000万台達成を記念した期間限定車。ベースはQ'sSCでランバーサポート付きの運転席や専用ヨーロピアンインテリア、リアスポイラーなどを追加装備したもの。ボディカラーは1月に追加されたパールホワイトと既存のスーパレッド、スーパーブラックの3色。

1992年12月、「オールマイティ」追加発売。モデル末期に入り、廉価なお買い得版による販売力強化を図った仕様。ベースはJ'sでマニュアルエアコン、アルミホイール、パワーウインドー、カセットデッキ付きチューナー&4スピーカー、電動格納式カラードドアミラー等J'sには標準では未装備の快適装備を追加した仕様、またこのモデルのみベロア調ニットを使った専用シート地(縫い目の位置が見える位置に変更されコスト削減のテスト的意味合いが強い)が装備される。尚、この内装は180SXの中期型の黒ヘッド仕様にも用いられる。専用エンブレムも装備されるが、楕円ではなく長方形で銀地に黒で「A」マークとトランプのスペードのマークが入った仕様となる。

これに伴いベースとなったJ'sと年頭に追加されたQ'sSCが廃止される。

モデル末期には、そのころ発足したばかりの全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦し、クラスチャンピオンを獲得している。

1993年、生産終了。

輸出仕様車として、北米仕様の貨物車用の2400ccエンジン(前期型はKA24E、後期型はKA24DE)を搭載した240SXと、欧州仕様の200SX(搭載エンジンは日本仕様と同様、初期型が1800ccのCA18DE/CA18DET型、後期型が2000ccのSR20DE/SR20DET型)とが存在する。北米仕様の240SXは、現地のヘッドライト位置の法規に対応するため、フロントのデザインに180SXと同様のリトラクタブルライトを採用している(日本においても、S13型シルビアのフロントセクションを180SXのものに換装した、個人レベルで製作された改造車、通称・ワンビアが存在する)。

バリエーションとしては上記の姉妹車180SXのほか、光岡自動車がS13型シルビアをベースにクラシックカーのようなボディに換装した初代ラ・セードを発表している。また、180SXがベースではあるが、フロントセクションをS13型のものに換装した(後に一部の日産系ディーラーで正式に販売された)通称シルエイティが存在する。

S13シルビアのボディは、ニュルブルクリンクにて開発中のスカイラインGT-R (BNR32) をテストする際に、偽装用ボディパネルとして使われた。

6代目 S14型(1993年-1998年)[編集]

1993年10月、発売。プラットフォームは先代の物を流用しているが、ボディサイズは拡大され全車3ナンバーとなった。

1996年のマイナーチェンジで主にフロント周りのデザインを一新したが、前期型と同様S13型と比べて大型化したボディサイズに対する先入観はいかんともしがたく、一般市場では不評のまま終わった。しかし、主にボディサイズの大型化を嫌った改造車市場において今日、S13型やS15型のワイドボディキットが支持を得ている事を考えると、販売不振の主因はデザインの不評と3ナンバーに対する抵抗感であったと言える。

現在では珍しくなったターボエンジンを搭載したマニュアルミッション設定のあるFRクーペモデルであること、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっていることなどの理由から、一部の改造車需要には人気があり未だに支持されている。

エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160ps、SR20DET型は220psにパワーアップした。先代のノンターボはレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。

愛好者からは前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と区別されている。シャープな印象の後期型の人気が総じて高いが、前期型の柔和なスタイルを好むものもいる。中古車価格は後期型が年式の割りにかなり高値をつけられている。

1994年2月、「Q'sエアロスポーツ」限定発売。Q'sの5速MT車にエアロフォルムバンパー、スポーツグリル、ナバーン製リアスポイラー、ビスカスLSD、16インチアルミホイール、スポーツチューンドサスペンション等を装備したものでボディカラーはスーパーブラックのみの設定で1500台限定。

1995年5月、一部改良、「エアロ」シリーズと「Q'sクラブセレクションを」追加発売。一部改良により運転席エアバッグを全車標準化した他、グリルを変更し、従来フロントグリルとリアフェンダー上のグレードエンブレム下にあった「Silvia」エンブレムが廃止され、トランク上にあったエンブレムの位置もセンターから左端に移動された。Q's、K'sにはエアロフォルムバンパーやナバーン製リアスポイラー、アルミホイール、ホワイトメーター、革巻きステアリング&シフトノブ等を装備したエアロシリーズが追加される。またQ'sをベースにエアロフォルムバンパーや15インチホイール(鉄製)を装備したQ'sクラブセレクションを追加。

1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。曲線の多かった前期型からヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなデザインの外観に変更した。

1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型に石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250ps/6,400rpm、最大トルク28.0kgm/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。215/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバッグ付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。

1998年、年内で生産終了。

輸出仕様車としてS13型と同様、欧州仕様車と北米仕様車が存在した。欧州仕様は、日本仕様と同様のSR20DE/SR20DET型エンジンを搭載したモデルが新型200SXとして販売された。北米仕様車は1996年にS14型の240SXへとモデルチェンジした。エンジンは引き続きKA24DE型(155ps)が搭載された。ちなみに日本国外でも一部愛好者の間では“ゼンキ(前期)”と“コウキ(後期)”と区別される(通じる)。

7代目 S15型(1999年-2002年)[編集]

1999年1月、発売。

最大のトピックはS14型で拡大し不評だったボディサイズを再び5ナンバー枠に戻したことである。また、グレードはS14型までの「J's、Q's、K's」から、「spec.S、spec.R」とした。

エンジンはさらに改良され、spec.SのMT車用SR20DE型が165ps、spec.RのSR20DET型は250psとなった(AT車では、それぞれ160ps、225ps)。

また、ターボモデルであるスペックRにはトヨタ系列部品会社のアイシン・エーアイが製造した6速MTが装備され(このアイシン・エーアイ製トランスミッションはシフトフィールに優れず、元来マツダ・ロードスター用に開発されたものをベースとしていたため容量的な余裕がなく、エンジンパワーを上げるとトラブルが多発した)、更にターボチャージャーにはS14型から引き続きボールベアリングタービンが採用され、レスポンスアップを図りつつ、低速回転からもストレスなく回る仕上がりになっている(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくフローティングメタルが採用されている)。

スタイル上の最大の特徴はサイド面のプレスラインがリアフェンダー、リアトランクにかけて徐々に絞り込まれる「深絞りプレス成型」を採用したリアフェンダーである。ヘッドライトはボンネットに回り込んだ「釣り目」デザイン、テールランプもトランクに回り込んだ大型のものが採用された。

メーカー純正では珍しい右Aピラー部マウントのブースト計・油圧計や運転席中央部にポップアップ式5.8インチ液晶モニターをオプションで採用する。

また、エアロ系グレードには「インテリアパッケージ」と言うオプションが選択可能で選択するとフロントシートとドアトリムが専用のオレンジのスェード調クロス地となる(リアシートは他グレードと同じ)。S15型はスタイル、ボディサイズ、走行性能などにおいて好評で、S14型が比較的不評だったのに対し一定の人気を回復した。

販売は日産レッドステージで行われた。また、S15型登場に合わせて、S14型の販売不振により想定外の長寿モデルとなった180SXが生産終了、モデル廃止された。

1999年10月、グレード追加によりスペックR/Sに「bパッケージ」が登場。豪華さとファッション性に重きを置いたグレードで、内容は内装ではフロントシート/ドアトリムが専用のブルーのスェード調クロス地になる(リアシートは他グレードと同じ)、ステアリングのステッチが他グレードと異なり専用のブルーステッチになる、本革巻シフトノブ採用(スペックS・bパッケージMT車のみ、スペックR系はもとより標準のため)、キーレスエントリーの標準化(通常グレードにオプションで付けた場合と異なりアンサーバックがハザードで行われる)、スペックS・bパッケージ専用装備としてスペックR系車両と同一のチタン調のメーターパネルが付く。外装ではフォグランプが標準化され、スペックR・bパッケージ専用装備としてクローム調の専用アルミホイールが装備される。また、bパッケージ専用外装色として「ライトブルーイッシュシルバー」が追加される。(2000年一部改良時にエアロ系グレードを除きライトブルーイッシュシルバーが選択可能となる)

同時にオーテックジャパンが開発を手がけた「オーテックバージョン」を追加。spec.Sをベースとして各部にファインチューニングを行い、自然吸気エンジンのNVCS付きSR20DE型専用エンジンは、圧縮比アップによる燃焼効率の向上や背圧低減による高回転域の排気効率向上、狙いのトルク特性を引き出すためバルブタイミング、リフト量のチューニング等、内部を見直す一方、藤壺技研工業製の専用エキゾーストマニホールドを採用し、最高出力200ps、最大トルク21.8kgmを発生した。ボディ補強、前後ブレーキ、6速MT、リヤヘリカルLSDなどはspec.Rと共通である。外観上はボディサイドエンブレム程度の相違しかなく、内装も専用シルバーメーター、赤ステッチ入りの専用フロントシート・ドアトリム生地など、大変控えめなものであった。

2000年5月、国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」を発表。同年7月に発売開始した。1999年の第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。搭載エンジンはSR20DE型のみで、詳細はspec.Sに順ずる。フロントシートに帝人および田中貴金属工業と共同開発した、モルフォチョウの鱗粉の発色原理を応用する繊維「モルフォテックス」を織り込んだ布地「モルフォトーンクロス」(帝人および川島織物の共同開発)を採用した。

2000年10月、オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。ちなみに、2000年には光岡自動車がS15型をベースに、2代目ラ・セードを発表している。

2002年1月24日に最終特別限定車「Vパッケージ」を発売開始。専用フロントシート・ドアトリム生地、MD・CD一体型電子チューナーラジオ、プライバシーガラス、キセノンヘッドランプなどを標準装備しつつ、価格を従来車から据え置いた。尚、この追加によりVパッケージのベースとなったスペックS・Gパッケージ、スペックR及びスペックR/S・bパッケージ、スペックR・Type-Bが廃止されグレードが整理される。

2002年8月、折からのスポーツカーの販売不振や平成12年排ガス規制の影響を受け、R34スカイラインGT-Rとともに生産終了となった。

S15型は、先代のS14型までのように左ハンドル車が存在しなかった為欧州向けや北米向けには輸出されず、オーストラリアニュージーランド向けが少数輸出された他、中古車がイギリスに渡っている。

新車当時の車両価格に対して任意自動車保険料が割高な車両である。

シルビアのモータースポーツ活動[編集]

S110型[編集]

1980年11月、マカオグランプリ・スーパーサルーンクラスおよびギア100に参戦。スーパーサルーンクラスでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。共にドライバーは星野一義

スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ

1981年富士グランチャンピオンレースの併催レースであるスーパーシルエットクラスレースに参戦。ドライバーは星野一義。

ハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーン・クラフト製のカウルをまとうスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。

メインスポンサーは一貫して日本ラジヱター(現・カルソニックカンセイ)。スーパーシルエットクラスレースには、同じ形状のカウルで1982年1983年と連続参戦した(ただし、1983年途中からは同じシャーシにS12型風のカウルの組み合わせだった)。

なお、シルエットフォーミュラのエンジンは1981年度は直列4気筒DOHCのLZ20B型ターボ、1982年度はサファリラリー等で活躍したPA10型「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T(2082cc 570ps/7600rpm、55kgm/6400rpm)型だった。

日産の意向により、同様のレーシングカーがスカイライン(KDR30型)及びブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見昌弘柳田春人がドライブし、ターボ三羽烏として観客を沸かせた。

主な戦歴
1981年3月 富士GC 第1戦 富士300キロスピードレース大会 優勝
1982年3月 富士300kmスピードレース GCクラス 優勝
1982年5月 富士グラン250kmレース GCクラス 2位
1983年5月 富士グラン250kmレース 優勝
コンペティションマシン・240RS

1983年、日本国外ラリー競技向けにS110型ベースの「240RS(BS110)」というホモロゲーションモデルが登場。当時グループBで争われていたWRCに参戦した。ボディタイプはハードトップ[2]が選ばれた。生産台数は200数台といわれている。1983年から1986年まで参戦したWRCでの最高成績は2位。

240RSのホモロゲーションマシン及びカスタマー・スペック車に使われたのは2400ccのFJ24型(240ps)である。さらに、240RSのワークスカーにはFJ24改(275ps)を搭載するエボリューションモデルが存在した。ちなみに、FJ24型は国内で販売されていたFJ20E型とは設計・構造が異なるため、共通パーツがほとんどない競技専用エンジンだった。

2006年NISMOフェスティバルでは、日産自動車の有志の手でレストアされたワークスマシンが完成し、デモランを行った。2007年現在、この車両は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。また、ローカル競技ではあるが、240RSは日本のあるエンスージアストの手により近年のタルガ・タスマニア・ラリーに参戦し、好成績を収めている。

S12型[編集]

スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ

シルエットフォーミュラにも引続き参戦したが、車両自体は先代S110型のシルエットフォーミュラ仕様のボディパネルをS12風に変更したモデルである。現存しているシルビアのシルエットフォーミュラ仕様車はこのS12風カウルをまとったもので、2005年のNISMOフェスティバルでは、レストアされたこのマシンを当時のドライバーである星野一義がドライブした。

主な戦歴
1983年9月 富士GC 第3戦 富士インター200マイルレース大会 2位
1983年10月 スーパーカップレース SSクラス 優勝
WRC・グループAクラスへの参戦

S12型の北米向けモデル200SX(RVS12型)には、V6・3000ccのVG30E型を搭載するモデルも存在した。日産はこれをベースにラリー仕様車を製作、1987年1988年の2年間、WRCのグループAクラスに参戦した。WRCにおける最高成績は1988年アイボリーコーストラリーの優勝。

主な戦歴
1987年 第35回サファリラリーに北米向け200SXをベースとするグループA仕様車が参戦
1988年 第36回サファリラリーに参戦。総合2位・A4クラス優勝および総合3位を獲得
1988年 アイボリーコーストラリーに参戦。総合優勝。WRCで最後に優勝したFR車となる。

S13型[編集]

ワンメイクレース・GTI(JGTC以前のカテゴリー)への参戦

『デートカー』などの軟派なイメージが先行されたS13型も、軽量化のため内装を全て剥ぎ、ロールケージを張り巡らされ、外装ノーマルでエアロパーツが一切不可、さらにはSR20DEのメカチューンを搭載したスパルタンな車両が若手レーサーの激戦区でもあったワンメイクレースにて活躍。 また、1993年に国際級レースにNISMOよりグループA仕様のGT-RベースにしたカルソニックGT-Rと共にシルビアワンメイクレースのN2仕様のスーパーシルビアに大型エアロパーツを装着、モディファイした車両が参戦している。

S14型[編集]

JGTC・GT300クラスへの参戦

S14型は全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスに前期型と後期型が共に参戦した。1997年シーズン、織戸学/福山英朗組の駆る後期型フェイスのRS・Rシルビアがチームタイトルを獲得した。

NISMO 270R

S14型には前期型をベースにNISMOがチューニングを行った「NISMO 270R」というコンプリートカーが存在した。ボディカラーはスーパーブラック(#KH3)のみ。開発にはレーシングドライバーの木下隆之が関与した。車名はNISMOの手でファインチューニングされたSR20DET型エンジンの最高出力である270馬力にちなんでいる。

S15型[編集]

JGTC・GT300クラスへの参戦

S15型は全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスにデビュー直後から参戦した。2001年シーズン、大八木信行/青木孝行組のダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトルを獲得している。また、2004年シーズンからは日産のGT300クラスの主力の座をZ33型フェアレディZに譲り、翌年第一戦から退いた。

主な戦歴
2001年 JGTC GT300クラスに参戦。チーム・ダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトル獲得
全日本ラリー選手権・2輪駆動部門への参戦

2001年、2002年には全日本ラリー選手権2WD部門に参戦した。チームはNRSで、連続で年間ドライバーズタイトルを獲得している。

出場レースなど[編集]

チューニング[編集]

S13型[編集]

S13型の弱点としては、左側のメインフレームが何故か途中で切れているため、その部分に補強する必要がある(実際、補強用パーツ等が複数存在する)。

また、マイナーチェンジ後に搭載されたSR20DET型エンジンは極端に燃料系のキャパシティが少ないため、ブーストアップ程度でも強化燃料ポンプ(R32/R33スカイラインGT-Rに搭載されるRB26DETT用のポンプを加工流用するのが定番)への交換とインジェクター(ブーストアップ止まりならS15用、それ以上まで視野に入れるのならNISMO等の社外品(550cc~)を使うのが定番)に交換する必要がある。また、横からの重力が強く掛かる運転を続けていると燃料タンク内の仕切り板が外れ、燃料を吸えなくなりエンジンブローするなど、サーキット走行やドリフト走行では注意や対策が必要といわれている。

PS13型はNA車とターボ車間のコンバートが非常に楽にできる設計になっている。後継モデルのS14型、S15型と進むにつれ、コンバートが難しくなっている。

S14型[編集]

ターボの潜在ポテンシャルはS13型に比べて上がったもののS13型と同様に燃料系が弱く、燃料系パーツの強化を行わないで過給圧をノーマルの設定から上げると、そのような改造を想定していないためか簡単にエンジンブローする。ただしS13型と比べてボディ剛性と燃料タンクの問題は解消されている。

S14後期型の販売当時、ドリフト界ではハチロク180SXと5ナンバー車が主流だったために「デカい、カッコ悪い」とのイメージが前期型から続いていた。ところが、織戸学イカ天統一戦を豪快なドリフト走行で勝利したことから、速い上にドリフトアングルが付けられる車として、デザインはさておき一時的なブームとなり、「ハチロクや180SX、4ドア車のポテンシャルを全て引き出してもS14に勝つのは難しい」と言われるほどになった。批判の根源であった大柄なボディも、裏を反せば車体の安定感が高いということであり、一部の層からは後継モデルのS15型以上に重宝されている。

S15型[編集]

ドリフトブームの影響もあり、チューニングカー愛好者層にはヒットとなった。一部のユーザーからは「フロントライトやリアのコンビネーションランプがかっこ悪いが、性能がいいから仕方なく乗る」さらに土屋圭市からは「ヘッドライトがバカボンに出てくるオマワリさんみたいだ」等の声があった(そのヘッドライトは恐らくS14を進化させたものだろう)。S13型、S14同様、ドリフト仕様の通称・ドリ車の代名詞としても有名になり、全日本プロドリフト選手権(通称・D1)でも人気車種の一つに挙がっている。特に純正状態でのボディ剛性がS13型、S14型と比較して高い事や、リアサスペンションメンバーの小変更などが行われている事でトラクション性能も高い事から、コンテスト等で勝てる車両を製作する際に真っ先に候補として上げられる傾向が未だに根強い。

しかし、新搭載された6速ミッションがノーマル馬力にしか対応していない事がチューニングカー愛好者の間では問題となってしまい、全国各地で3速ギアが壊れるというトラブルが相次いだ。しかも、S14系列までのミッションと違い、ギアが壊れると3速から抜けなくなってしまい、自走不可能になってしまうという非常に深刻なトラブルであった。そのため、対策としてS14の5速ミッションをベースにクロスミッションを組み込むという、ある種デチューンとも言える改造がチューニングとして行われていた。その他、HKSトラストのドグ6速ミッションへと積み替えるという手段もあったが、これは価格が相当高い物である。安価な値段でニッサン・モータースポーツ・インターナショナルが強化6速ミッションを販売しているが、これも許容馬力は350psと言われている。

新デザインのピラーメーターは視認性こそ良かったものの、ブースト1.0Kg/cm以降針が動かないため、インタークーラーアクチュエーターのトラブルで予期しないブーストが掛かってしまっても気付かず、タービンエンジンをブローさせるというトラブルも相次いだ。結局、安全のためには社外品のブーストメーターを取り付けるしかなく、ブースト計が2つ装着されている車両も多い。

燃料系は、SRエンジン3代目にしてやっと強化されたため、ブーストアップレベルでは強化の必要はなくなった。

脚注・出典[編集]

  1. 日産ミュージアム シルビア S10
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 1979年10月のS110シルビアのカタログの表紙、1-8、11-12、24-32、35-36頁より。
  3. 3.0 3.1 3.2 J's Tipoネコ・パブリッシング2006年9月号、24-25頁、『シルビアを知る。その壱』。
  4. S11シルビアについて
  5. 自動車史料保存委員会 編 『日本の自動車アーカイヴス 乗用車 1975-1981』 三樹書房2010年8月25日初版発行、ISBN 978-4-89522-554-0、12頁。
  6. 『日本の自動車アーカイヴス 乗用車 1975-1981』、58頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]