「大倉喜七郎」の版間の差分

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1882年(明治15年)6月16日、大倉財閥創始者の[[大倉喜八郎]]の長男として東京で生まれる。母は芸者の徳子(1855-)。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学を卒業。英ケンブリッジ大学に留学。
 
1882年(明治15年)6月16日、大倉財閥創始者の[[大倉喜八郎]]の長男として東京で生まれる。母は芸者の徳子(1855-)。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学を卒業。英ケンブリッジ大学に留学。
  
1922年、父親の後任として帝国ホテル会長に就任した。
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1922年、父親の後任として帝国ホテル会長に就任した。1924年(大正13年)、大倉組頭取となる。
  
 
[[1924年]]の[[日本棋院]]設立時には経済面で貢献し、1946年まで日本棋院副総裁を務め名誉総裁となる。日本棋院ではその功績をたたえ、囲碁の普及、発展の功労者に贈る大倉喜七郎賞を1961年に創設。2006年に日本棋院[[囲碁殿堂]]入りした。
 
[[1924年]]の[[日本棋院]]設立時には経済面で貢献し、1946年まで日本棋院副総裁を務め名誉総裁となる。日本棋院ではその功績をたたえ、囲碁の普及、発展の功労者に贈る大倉喜七郎賞を1961年に創設。2006年に日本棋院[[囲碁殿堂]]入りした。
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花嫁は平民的に、来賓にビールのお酌をしていた。始終笑顔をもって客に接した。長男として大倉鶴吉(大倉喜六郎)、二女大倉正子、三女大倉てつ子が生まれる。
 
花嫁は平民的に、来賓にビールのお酌をしていた。始終笑顔をもって客に接した。長男として大倉鶴吉(大倉喜六郎)、二女大倉正子、三女大倉てつ子が生まれる。
 
作家の子母澤寛は大蔵久美子は当時の美人の代表である[[九条武子]]、[[江木欣々]]と並ぶ美人であったと証言する<ref>子母澤寛『味覚極楽』中央公論新社,2004</ref>。
 
作家の子母澤寛は大蔵久美子は当時の美人の代表である[[九条武子]]、[[江木欣々]]と並ぶ美人であったと証言する<ref>子母澤寛『味覚極楽』中央公論新社,2004</ref>。
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2017年9月28日 (木) 11:56時点における最新版

大倉 喜七郎(おおくら きしちろう、1882年6月16日 - 1963年2月2日)は、大倉財閥2代目総帥。大倉組頭取、男爵、貴族院議員。

経歴[編集]

1882年(明治15年)6月16日、大倉財閥創始者の大倉喜八郎の長男として東京で生まれる。母は芸者の徳子(1855-)。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学を卒業。英ケンブリッジ大学に留学。

1922年、父親の後任として帝国ホテル会長に就任した。1924年(大正13年)、大倉組頭取となる。

1924年日本棋院設立時には経済面で貢献し、1946年まで日本棋院副総裁を務め名誉総裁となる。日本棋院ではその功績をたたえ、囲碁の普及、発展の功労者に贈る大倉喜七郎賞を1961年に創設。2006年に日本棋院囲碁殿堂入りした。 1928年(昭和3年)11月10日 - 勲三等瑞宝章。 1963年(昭和38年)2月2日、死去。

戦後、公職追放を経て帝国ホテル社長への復帰を希望したが、それができないことが分かると、1958年にホテルオークラを創設した[1]

喜七郎妻[編集]

妻は、溝口直正伯爵の娘(長女)久美子(1889-)である。伊藤公爵の媒酌にて結婚した。午後2時より披露のため赤坂葵町の本邸にて園遊会を開いた。来賓は名士千余名で、新夫人の知友として諸家の令嬢令夫人が加わり、近時まれに見る盛大なもので、 当日花嫁の衣装は黒の紋羽二重であったが、地模様は花菱で上品なものと言われる。裾模様は松に紅葉で雲を彩どり、帯は唐織で柳に橋の模様、地色は黄色で黒との映りがよかったとされる。 午後4時半に食堂が開かれ、その時には花嫁は衣装を着替え古代紫の振袖となった。裾模様はすべて能生の意匠であった。帯は綴織で、扇の模様が目立ちった。洋々たる奏楽とともに一同食堂にはいりましたが、 やがて末松謙澄男爵の発声でシャンパンの杯を挙げつつ新夫婦の万歳を唱えた。 花嫁は平民的に、来賓にビールのお酌をしていた。始終笑顔をもって客に接した。長男として大倉鶴吉(大倉喜六郎)、二女大倉正子、三女大倉てつ子が生まれる。 作家の子母澤寛は大蔵久美子は当時の美人の代表である九条武子江木欣々と並ぶ美人であったと証言する[2]

参考文献[編集]

  1. 菊池浩之『日本の15大財閥』平凡社,2009
  2. 子母澤寛『味覚極楽』中央公論新社,2004