上小阿仁村

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[[Image:上小阿仁村1.jpg|350px|thumb|過去に嫌がらせでやめた有沢医師(65)]] '''上小阿仁村'''(かみこあにむら)は[[秋田県]]の中央部に位置する[[村]]である。 「医師がいない村」と聞いてわざわざ僻地まで赴任してくれた医者を、村民がさんざんいびり倒して辞めさせていく[[風習]]があることで有名な村である。この村に必要なのは、[[精神科医]]である。 == 地理 == * 山:[[太平山 (秋田県)|太平山]] * 河川:[[小阿仁川]] === 隣接している自治体 === * [[秋田市]] * [[北秋田市]] * [[能代市]] * [[山本郡]] [[三種町]] * [[南秋田郡]] [[五城目町]] === 人口 === 秋田県の[[市町村]]の中で最も[[人口]]が少なく最も[[高齢化社会|高齢化]]、[[過疎|過疎化]]、[[空洞化]]が進んでいる。 [[2007年]]([[平成]]19年)から[[2009年]](平成21年)にかけて、毎年自殺者が4、5人出ており、10万人あたりの[[自殺率]]に換算すると、150ポイント前後と、きわめて高い値となっていた。このため、村では[[2010年]]度(平成22年度)から自殺予防への取り組みを行う集落に助成する制度をスタートさせた。その成果もあってか、2010年(平成22年)の自殺者数はゼロとなり、翌[[2011年]](平成23年)も自殺者は1人と、以前と比較して自殺率は大幅に改善している。 {{人口統計|code=05327|name=上小阿仁村}} また、合わせて少子高齢化に対応するため、'''子宝祝金制度'''を実施している。転勤による異動者、里帰り出産を除く村民に対し、第1子から出産時の一時金および第3子から月ごとに支給する制度で、一人当たりの支給最高額は第4子以降が6歳まで村内に在籍した場合で、合計272万円支給される。 {| class="wikitable" |- !style="border-bottom:3px solid red"| !style="border-bottom:3px solid red"|出産時一時金 !style="border-bottom:3px solid red"|月ごと支給額(6歳まで) !style="border-bottom:3px solid red"|一人当たり支給額合計 !style="border-bottom:3px solid red"|6年間最高支給額・総合計 |- |第1子 |50,000円 | - |50,000円 |50,000円 |- |第2子 |500,000円 | - |500,000円 |550,000円 |- |第3子 |1,000,000円 |10,000円 |1,720,000円 |2,270,000円 |- |第4子以降 |2,000,000円 |10,000円 |2,720,000円 |4,990,000円(4子)<br />2,270,000円+2,720,000円×4子以降の人数 |- |} == 村長 == * [[北林孝市]]([[1983年]]([[昭和]]58年)[[5月1日]] - [[2007年]](平成19年)[[4月30日]]) * [[小林宏晨]](2007年(平成19年)5月1日 - [[2011年]](平成23年)4月30日) * [[中田吉穂]](2011年(平成23年)5月1日 - ) == 歴史 == * [[1813年]]([[文化]]10年)、根子集落(現在の[[北秋田市]]阿仁根子)の村田松五郎が上小阿仁村を開墾し、移住する。 * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行により、小沢田村・五反沢村・福館村・杉花村・堂川村・仏社村・沖田面村・大林村・南沢村が合併し上小阿仁村が発足。 * 「平成の大合併」のおり、当初鷹巣阿仁部の五町村で[[日本の市町村の廃置分合|合併]]が話し合われていたが、上小阿仁村は合併協議会から離脱し、単独立村を選択した。 * [[2007年]]4月 - 現村長が24年ぶりの選挙の末に当選 * [[2007年]]5月 - 前々任の医師が退職 * [[2007年]]11月 - 前任の医師が就職。6ヶ月の無医村状態が解消 * [[2008年]]3月 - 前任の医師が辞意を表明。前任医師が辞意表明まで4ヶ月 * [[2008年]]5月 - 前任の医師が退職。前任医師は6ヶ月で辞職 * [[2008年]]9月 - 現在の医師が応募 * [[2009年]]1月 - 現在の医師が就職。8ヶ月の無医村状態が解消 * [[2010年]]2月 - 現在の医師が辞意を表明。現在の医師が辞意表明まで13ヶ月 == 国保診療所での医師いびり問題 == 昨今、村唯一の医療機関である上小阿仁村国保[[診療所]]に医師が定着せず、物議を醸した。 === 経緯 === [[2008年]](平成20年)[[3月]]、僻地医療に20年も従事していた医師が「この村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を続けたい」と2008年(平成20年)[[2月]]に着任したものの、村人からの苛烈な嫌がらせにより、わずか4か月で辞意表示・着任から6か月で退職した。 その後[[2009年]](平成21年)1月に、離島やタイで医療に従事した経歴を持つ医師が新たに着任したが、同医師も翌2010年(平成22年)[[3月]]に辞意を表明、「後任が見つかるように」との理由から[[2011年]](平成23年)3月をもって離職すると発表した。この辞意表明の直後、数多くの村民からの慰留、村当局による改善策の申し入れにより、辞意は撤回された。しかし、同医師は2010年(平成22年)[[9月]]再び退職願を提出し、2011年(平成23年)[[2月]]下旬受理された。 さらに村の公募に応じて北海道北見市から2011年6月に赴任した医師も、2012年5月に村に辞意を伝えた。これにより、3人連続して赴任後1年以内に辞意を示すこととなった。 === 背景 === 僻地医療のベテランを含む3人の医師が相次いで短期間に辞職している背景には、激務によるものだけでなく[[モンスターペイシェント]]による嫌がらせなどの問題行動、およびそれに真摯に対応しなかった村役場の姿勢にある。 例えば、下記のような患者の問題行動が報道されたが、これに対して村当局がどのような対応をしたかは報道されていない。 * 昼食をとる時間がなく診療所内で食事をしようとパンを買ったときに「患者を待たせておいて買い物か」と住人に責められる。 * 年間休日18日。土日や祝日も村内回り、お盆期間も診療を続けた。しかし盆明けの[[8月17日]]を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と批判した住人がいた。 * 診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と、センサー式照明を設置費用・電力費用を自費で設置したが、「税金の無駄使いをしている」と苦情を言った住人がいた。 * 自宅に嫌がらせのビラがまかれた。 * 辞めていった医師の中には、村の広報紙に村人の医師への対応について苦言を呈した者もいたが、何も改善されなかった。 === 初代 松沢俊郎医師(就任時67歳)就任期間:6ヶ月 === [[Image:松沢俊郎医師.jpg|300px|thumb|松沢俊郎医師]] [[新潟県]]出身。[[東大]]文学部に進学後、[[シュバイツァー]]の著作に感銘を受け、「恵まれない人の役に立つ仕事がしたい」と1年で[[東大医学部]]に入り直した。 文学への情熱も冷めず、医師になった後も小説2作を出版した異色の経歴を持つ。 首都圏の病院に勤務後、「医師を志した原点である『へき地医療』を担いたい」と[[栃木県]]の農村部で開業医に。20年間地域医療を支え続け、地域の医療事情が改善したため 「もっと困っている場所で診療したい」と村の初公募に応じ、上小阿仁村に赴任。辞表提出後、村の広報誌に「村執行部の医師に対する見方、接し方、処遇の仕方の中に医師の頑張る意欲をなくさせるものがあった」「次の医師が見つかっても、その人も同じような挫折をすることになりかねない」などとする意見を掲載、波紋を広げた。 === 2代目 有沢幸子医師(就任時66歳)就任期間:1年1ヶ月+辞意撤回後4ヶ月 === [[兵庫県]]出身。内科と小児科が専門で、[[北海道]][[利尻島]]の病院勤務や[[タイ]]での医療支援に従事した経歴あり。秋田にゆかりはないがへき地医療に深い関心があり、夫とともに村内に引っ越して診察を始めた。 年間18日しか休診せず、夜間や早朝でも往診し、[[お盆]]期間も診療を続けるも、お盆明けに1日休診すると「平日なのに休むとは一体何を考えているのか」と批判を受ける、昼食をとる時間がなく診療所内で食事をしようとパンを買えば「患者を待たせておいて買い物か」と責めたてられ、急患対応のためセンサー式照明を自費で設置したが「税金の無駄使いをしている」と苦情がきたり、自宅に中傷ビラをまかれたりする労働環境に心が折れ辞意を表明。村側の慰留で1度は辞意を撤回するも、4ヶ月後に健康状態を理由に再び辞意を表明し退職。 退職に関して住民のmixiでは「上小阿仁診療所のヤブ医者がついに解雇らしいです。年収2000万超も貰ってたらしく、村長よりも高給取りだったらしいですよ(@_@;)」などと悪徳医師が辞めてよかった旨の日記が掲載される。 === 3代目 伊尻孝一医師(就任字49歳) 就任期間:1年4ヶ月 === 村の公募に応じて北海道北見市から赴任。退職理由について、「内地の気候が合わないからで、後は特にない」と話す。 === 4代目 西村勇医師(就任時71歳)就任期間:1ヶ月 === [[三重県]]出身。名古屋大学工学部応用化学科卒業後、通商産業省本省入省。1969年特許庁審査官。2007年臨床医、哲学者に。主な著書は「人間現象の哲学的および実験的研究」。 著書の独特な研究内容から上小阿仁村に最適な人材とネット界で期待されるも「体調が思わしくないので、後任を探してほしい」と村に辞意を表明。そのご体調悪化を理由に後任の着任を待たずに退職。 == mixiコミュニティ秋田県 上小阿仁村(削除済み)にあった書き込み == * 上小阿仁診療所のヤブ医者がついに解雇らしいです。年収2000万円超も貰っていたらしく、村長より高給取りだったらしいですよ * わーを。ハッピーニュースをありがとう。今までの給料はドブに捨てた気分だけど、いなくなってせいせいするわっ * やぶ医者め、家も建ててもらったり・・・最低だなぁ * なんか新村長が減給と住民票を上小阿仁に移すように言ったところ、医者が辞めますと言ったらしいです。もともと現村長になったら辞めるって噂がチラホラあったって噂もありましたし == 赴任していた有沢医師 == 脳梗塞で倒れた母(88)の看病を続ける小林ユミ子さん(66)の元にも、有沢医師は診療時間の合間を縫って連日訪問。今月8日の流動食開始日には3度往診し、「鼻から胃へ液体を落とすのよ」と優しい口調で説明を続けた。 斉藤ヒサコさん(70)は昨年3月に他界した義理の母(享年92歳)に対する有沢医師の献身的な診療が忘れられない。 ふりしきる大雪の中、深夜の午前1時でも3時でも容体が悪化すると点滴や酸素ボンベを持って夫と駆け付けてきた。嫌な顔一つせず、「少しでも休んで」と家族をいたわってくれた。 「息を引き取る瞬間まで、『ばぁちゃん、早く元気になれ』と声を掛け続けてくれた。先生が居なくなったら私は生きていけない」と斉藤さんは声を絞り出した。 ==== その後 ==== 村幹部らによると、有沢医師は昨秋、診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と自費で照明を設置。だが、直後に「税金の無駄使いをしている」と言い掛かりを付けた村民がいたという。 また、昼食を食べに行く時間が無く、診療所内でパンを買った際、「患者を待たせといて買い物か」と冷たい言葉を浴びせられたり、自宅に嫌がらせのビラがまかれたこともあったという。 昨年、有沢医師の完全休診日はわずか18日。土日や祝日も村内を駆け回り、お盆期間も診療を続けた。しかし、盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と再び批判を受けたという。 ==== 村民の書き込み ==== さらに噂の噂では沖田面のお婆さん亡くなったときも釣りをしていたらしい・・・ヽ(  ̄д ̄;)ノ ズル休みしてまで釣りにいくほど釣り好きだったみたいです(´д`) 次のお医者さんに期待ですねっъ(`ー゜)」 === 村当局の対応 === 診療所の小嶋有逸事務長補佐(2010年3月報道時60歳)は「こんなに身を粉にして働く医師は過去に例が無く無医村になったら村民が困る。自分で自分の首を絞めている」と語った。 当時の村の責任者であった小林村長は「お会いして、いろいろとお話を聞き慰留に努めました結果、結局は辞任の意思は不変の様であります。上小阿仁村ではこれ以上診療を続けられないとのお話の原因について、ここで詳細に論ずることは控えますが…」「一部の不心得者のために人格も腕も一流の医師を失うのは不本意。医師不足は深刻で、無医村になる公算は限りなく大きい」と語った。 二人目の医師の辞意表示のあと、村当局は急きょ改善策を申し入れるがいったん固辞される。また同村の広報誌『広報かみこあに』3月号では、重要事項として「有能で献身的な医者を安定的に確保すること」を挙げた。一度は二人目の医師は辞意を撤回し、上小阿仁村の無医村化は回避されたが、最終的に退職願は受理された。 しかし、村民の医師に対する接し方及び村当局の対応は改善することもなく、2012年5月には3人目の医師も辞意を表明している。その際村の広報誌にて医師は「村執行部の医師に対する見方、接し方、処遇の仕方の中に医師の頑張る意欲をなくさせるものがあった」「次の医師が見つかっても、その人も同じような挫折をすることになりかねない」とのコメントを残している。 == 現在も絶賛募集中!! == <pre> 上小阿仁国保診療所 常勤医師募集 診療科名 内科 常勤医1名 採用条件 75歳以下 待  遇 診療所長職(身分は地方公務員になります) 給与等については村規定による(年収2,000万円以内)赴任手当を村規定により支給いたします。 委細面談 勤務時間 8時30分から17時15分まで 休  日 土曜日、日曜日、祝祭日、年末年始12月29日~1月3日 休  暇 年次休暇:20日、夏季休暇:3日 医師住宅 月額5,000円ただし電気、水道、電話料等は自己負担です。 住宅概要 車庫付一戸建て住宅(平成15年2月建築) :1階:居間1室、和室1室、台所、洗面所、ユニットバス、トイレ :129.18㎡(39坪) ※車庫12坪含 :2階:寝室1室、和室1室、洗面所、トイレ、納戸 :91.09㎡(27.5坪) :※ 全室冷暖房完備(1階居間台所床暖房) :診療所まで徒歩1分 外来者数 1日平均 約64人(平成23年度実績) </pre> == 医師が定着しない村の診療所、女性医師は「村人の中傷で退職」(2012年10月) == 秋田県上小阿仁村は10月1日、村唯一の医療機関「村立上小阿仁国保診療所」所長の伊尻孝一医師(49)が12日に退職し、同日付で[[北海道]][[帯広市]]の西村勇医師(71)が所長に就任すると発表した。 村総務課によると、伊尻医師が5月下旬、村に辞意を伝えた。村は7月からホームページなどで医師を公募。西村医師から村に連絡があり、村が9月に面談して採用を決めた。 同診療所を巡っては、伊尻医師の前任の女性医師が2011年5月、「激務をこなせる体力がない」として退職したが、同村の小林宏晨・前村長は当時の取材に「(一部村民からの)言われ無き中傷により、心に傷を負わせてしまったことが最大の原因」との見解を示した。 伊尻医師は2011年6月に着任し、1年4か月での退職。辞める理由について、村総務課の萩野謙一課長は「本人の意思なので、村が公式に言うことはできない」とし、同診療所の石上耕作事務長は「(伊尻医師)本人が取材は一切お断りすると話している」としている。萩野課長は「村唯一の診療所をなくすことはできない。西村先生の要望には極力対応したい」と話した。 == マッドサイエンティストがやって来た!! == === 西村勇 略歴 === [[Image: 西村勇1.jpg|350px|thumb|西村勇の著書より]] * [[1941年]] - [[三重県]][[伊勢市]]生まれ * [[1963年]] - [[名古屋大学]]工学部応用化学科卒業 * [[1966年]]4月 - [[通商産業省]]本省入省 * [[1969年]] - [[特許庁]]審査官。 * [[2007年]] - [[臨床医]]、[[哲学者]] === 著書 === [[Image: 西村勇2.jpg|550px|thumb|人間現象の哲学的および実験的研究 38ページ]] [[Image: 西村勇3.jpg|550px|thumb|人間現象の哲学的および実験的研究 39ページ]] [[Image: 西村勇4.jpg|550px|thumb|人間現象の哲学的および実験的研究 44ページ]] * 「人間現象の哲学的および実験的研究」 :臨床医師が日々考察し、観察実験を重ねてつづった哲学書。人間行動の原理、社会の公理、人間行動の諸法則、人間行動の説明原理を哲学的実験的に創造し、人間行動の説明、人間行動の予測を行うための科学的手法を創造した哲学論説。 === 西村医師の目的 === 略歴とその著書を見て分かる通り、西村は生粋の医者ではなく、本業は心理学と哲学である。医者というよりも科学者に近い人間である。 この村に応募した目的は診療ではなく、閉鎖村の人間観察にあると思われる。閉鎖的なコミュニティの人間精神の研究。このじいさんの目には、ここの村人たちが興味深い「サンプル」に見えたのであろう。医師が定着しない村の体験記は売れるに違いない。次回の著書名は「僻地における人間現象の哲学的および実験的研究」であろうか。 今まで優しい医師達をぼろくそに潰してきた村民にとっては自業自得ではあるが、とんでもない医師がやってくることになってしまった。 === またも常勤医が辞意、着任1カ月足らず(2012年11月) === 先月12日に上小阿仁村国保診療所長として着任したばかりの西村勇医師(71)が、「体調が思わしくないので、後任を探してほしい」と村に辞意を伝えていたことが6日分かった。 村内唯一の医療機関である同診療所はただ1人の常勤医の所長が定着せず、前任を含む3人は連続していずれも1年ほどで辞意を示し、今回は1カ月足らずでの辞意となった。 中田吉穂村長は「健康面を心配したが、本人が健康に自信があると言っていたし自己管理できていると思っていた。突然で驚いた」と話した。西村医師は取材を拒否し、病名などを明らかにしていない。 == 教育 == * 上小阿仁村立上小阿仁中学校 * 上小阿仁村立上小阿仁小学校 == 交通 == 村内には、鉄道は走っていない。 === 道路 === * [[一般国道]] ** [[国道285号]] [[道の駅かみこあに]] * [[主要地方道]] ** [[秋田県道24号鷹巣川井堂川線]] ** [[秋田県道37号琴丘上小阿仁線]] * [[都道府県道|一般県道]] ** [[秋田県道129号杉沢上小阿仁線]] ** [[秋田県道214号福館阿仁前田線]] ** [[秋田県道215号屋布沖田面線]] === バス === * [[秋北バス]] == 金融機関 == === 指定金融機関 === [[2007年]](平成19年)[[12月5日]]に指定金融機関契約の締結を行い、[[2008年]](平成20年)[[1月4日]]から[[北都銀行]]が指定された。これに先立ち、同行は、村役場の真向かいにある[[道の駅かみこあに]]の敷地内に、店舗外ATMを設置している。 === 村内の金融機関 === [[あきた北央農業協同組合|JAあきた北央]]の上小阿仁支店は村役場に隣接し、[[上小阿仁郵便局]]([[ゆうちょ銀行]]代理店)は沖田面地区にあり、中心部には村役場の裏に小沢田郵便局がある。 ほかの銀行・信用金庫・信用組合の支店・有人出張所は村内に所在しない。最寄りの拠点は、[[秋田銀行]]が鷹巣支店または五城目支店、北都銀行が米内沢支店、[[秋田信用金庫]]が五城目支店、[[羽後信用金庫]]は森岳支店([[三種町]])、[[秋田県信用組合]]は森吉支店である。 == 郵便局・郵便事業の事業所 == * 上小阿仁郵便局([[鷹巣郵便局|郵便事業鷹巣支店]]上小阿仁集配センターを併設) * 小沢田郵便局 == 阿仁マタギの歴史 == 上小阿仁村は、その名が示す通り狩猟生活をする「[[阿仁マタギ]]」で知られる阿仁村(現在の[[北秋田市]]阿仁)から分村して作られた。 秋田県のサイトによれば、[[1813年]]に、阿仁マタギが住む根子集落(現在の北秋田市阿仁根子)の村田松五郎が上小阿仁村を開墾し、移住したのが始まりとされる。 上小阿仁村には、根子集落から見ると山を超えた位置にある[[小阿仁川]]沿いの八木沢・萩形地区にマタギの集落があった。このうち、萩形のマタギ集落は[[萩形ダム]]の建設の影響もあり、[[1969年]]([[昭和44年]])に集落ごと移転している。 == 外部リンク == * [http://www.vill.kamikoani.akita.jp/forms/top/top.aspx 上小阿仁村ホームページ] (上小阿仁村役場) {{秋田県の自治体}} {{デフォルトソート:かみこあにむら}} [[Category:秋田県の市町村]] [[Category:上小阿仁村|*]] [[Category:いじめ]] [[Category:キチガイ]]