ルイ・アルチュセール

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アルチュセール

ルイ・アルチュセールLouis Althusser, 1918年10月19日 -1990年10月23日)は、フランス構造主義マルクス主義哲学者

高等師範学校(École Normale Supérieure)に入学するも兵役召集。 その後捕虜生活を経て、復学する。ガストン・バシュラールの指導のもとヘーゲルを研究。バシュラールのもとでの研究が後のアルチュセール的な認識論的切断を生み出す。 『マルクスのために』、『資本論を読む』によりマルクス研究に新しい視点(認識論的切断や徴候的読解等)を導入しアルチュセール派を築く。彼はマルクスだけではなくエピクロススピノザマキアヴェッリの研究にも新風を吹き込んだ。1980年、妻のエレーヌを絞殺。精神病のために責任能力なしとされた。

アルチュセールは高等師範学校でフーコーデリダブルデューセールを育てた。

生涯

年表

  • 1918年  10月16日、アルジェリアで生まれる。
  • 1939年  高等師範学校に入学。
  • 1940年  兵役召集。まもなく捕虜になり、以降五年間の虜囚生活を送る。
  • 1945年  終戦により解放。高等師範学校に復学。
  • 1947年  学位論文(アグレガシオン)として、ヘーゲル論を提出。
  • 1948年  高等師範学校の復習講師として採用される(後に助教授となる)。フランス共産党に入党。
  • 1959年  『モンテスキュー 政治と歴史』(Montesquieu. La politique et l’histoire)を上梓。一般に知られているアルチュセールが活動し出すのは、この時期から。
  • 1964年  パリ精神分析協会を脱退したジャック・ラカンを、高等師範学校に招請する。
  • 1965年  『マルクスのために』『資本論を読む』を上梓。
  • 1975年  アミアン大学に、「業績にもとづく博士号」を申請、口頭試問を受ける(cf.『マキャベリの孤独』)。試問では満場一致で博士号授与該当とされたものの、その後の国の委員会による「審査」で、落されてしまう。
  • 1976年  エレーヌ・リトマン(Hélène Rytman)と正式に結婚。グラナダ大学で講演(cf.『哲学について』)。
  • 1977-78年  前年のフランス共産党第二十二回大会における「プロレタリア独裁テーゼ放棄」を、痛烈に批判(cf.『共産党でこれ以上続いてはならないこと』)。
  • 1980年  3月、パリ・フロイト派解散の会議に現れる(cf.『フロイトとラカン』)。11月、エレーヌを絞殺。精神鑑定後、心神喪失による免訴となる。(84年に、再度鑑定ののち、行政拘束を解かれる。)
  • 1988年  メキシコから来たフィルデナンダ・ナバロとの対談をもとにした本が、メキシコで出版される(cf.『哲学とマルクス主義』)。
  • 1990年  10月22日、心拍停止により死去。彼の遺稿は、IMEC(現代出版史資料館)に寄贈され、以降、その一部が日の目を見ることになる。

自伝執筆のきっかけ

(ウィキペディア・フランス語版より抄訳)fr:Althusser

1985年3月14日付の『ル・モンド』紙のある記事を、アルチュセールは読んだ。それは、パリ人肉事件の佐川一政が書いた本の成功を取り上げた、クロード・サロートの記事だった。彼は精神病院に一時拘留されたが、予審免訴の恩恵を受け、すぐに本国に返されている。サロートはこう書いている。「我々報道者というものは、アルチュセールという権威的名前と、予審免訴というおいしい話とを一緒くたにして、すぐにことを大げさに考える。犠牲者?そんなことには、三行すら書く必要もなかろう。主役は犯人である。」

アルチュセールの友人は、反論を勧めた。しかし、彼も予審免訴に与っているのだから、その記事はたしかに当を得ている。こうして、アルチュセールは自伝をものして、己のしたことを説明しようとしたのだ。(『未来は長く続く』の「編者による紹介」を参照〔邦訳には載っていない〕。)

思想

アルチュセールの思想は、『マルクスのために』『資本論を読む』を頂点とする前期と、自己批判を経て新たな興味深いテーゼを立てる後期に分けることができる。(ここでは80年代の思想も後期に含める。)但しここでは、あくまで思想的な推移を描き出すために、単純な時系列的区分による説明はしない。また、「国家のイデオロギー装置」の学説をはじめとした社会学的議論は、彼の哲学‐思想的な前‐後期の区分とは別に取り上げる。さらに基調の異なる諸論考については、「その他」とする。

前期―マルクスの発見

「歴史の科学」の発見

当時各国の共産主義を取り巻いていたヒューマニズムの風潮に、アルチュセールは警鐘を鳴らした。彼の目するところ、それは凄惨な粛清を生んだスターリン主義と地続きのものであった。加えて マルクス主義ヒューマニズムには、若きマルクス疎外された主体性の奪還というテーマで全てを語ろうとするきらいがあった。そうではない。マルクスのもっと重大な発見は、別なところにある。若きマルクスはその時代の学問的風潮に未だ捉われていたのであり、『ドイツ・イデオロギー』を境目として、真に彼独自の思想が展開されるのだ。アルチュセールはそう考えた。これが、「認識論的切断」のテーゼである。

アルチュセールの説くところ、マルクス独自の思想は、ヘーゲル的なプロブレマティック(問題系、問題設定)を脱するところに開花する。ヘーゲルにおける「現象」と「本質」の関係、単一の内的原理から社会を説明する方法を、マルクスはひっくり返す。それも、ただひっくり返すのではなく、「現象‐本質」という前提(プロブレマティック)そのものを問い直し、「(経済的)土台による規定と上部構造による反作用」という別な問題を提示する。こうして、「重層的決定」の概念が登場する。ここにおいて、社会の一元的な規定原理というものは想定しえないのである。

このような理論的前提のもと、アルチュセールは、マルクスの知的態度を「"無"歴史主義」と称し、さらにその発見を「歴史の科学」と規定した(cf.『資本論を読む』中、筑摩書房版)。彼によれば、いわゆる史的唯物論とは、ある社会を、その歴史的変容に即して分析する、ひとつの科学に他ならない。

哲学―「書かれざる」「実践の状態にある」弁証法

このような「歴史の科学」を生み出したマルクスの方法とは、いかなるものか。アルチュセールはこれを、「書かれざる」「実践状態で機能する」弁証法であると言い、それこそがマルクスの哲学であるとした。

いわゆる理論もまた、概念を生産するための、一種の実践である。ゆえに彼は、広義の理論活動を「理論的実践」と定義する。そして、諸々の理論が「理論的実践」ならば、そうした実践そのものの一般理論、理論的実践の過程の理論(大文字の≪理論≫)もまた存在する。このような発想から、『経済学批判要綱』の「序説」を引用しつつ、「科学は、具体的な物ではなく、一般性に働きかけ、新たな概念を生み出す」という一般理論を、アルチュセールは見出すのである。彼によれば、いわゆる唯物弁証法とはこの一般理論に基づくものである(cf.「唯物弁証法について」『マルクスのために』)。

では、このような一般理論、このような弁証法をもとにマルクスが作り上げた理論や概念は、いかなる意味において重要なのか。それを理解するには、単に『資本論』のあれこれの節を暗記していればそれでいい、ということにはならない。ここで、「兆候的読解」に対する理解が必要となる。ある問題においては、問いの不在(見えているがゆえに不可視となっているもの)があり、それを適切に見出す読みが、兆候的な読み方である。マルクスは、当時の古典経済学に対して、その読み方を実践したのだ。だから、それを理解しない限り、マルクスの発見の意義を測ることはできないのである。

  • こうした彼の初期思想は、マルクスの重大さを、「科学」(つまり、その根拠が検証可能であり、確立された理論のもとで同じ観測結果が得られる、反復可能な知識)として提示しようとする、理論的努力に貫かれている。すると、哲学とは、そのような「科学の科学」だという色彩を、いきおい帯びてくる。そのような彼の読みは、一方では、確かに刺激的であり可能性に満ちたものであった。だが他方で、彼に対する「科学主義」という批判が、的を射ていたことも確かである。


後期―自己批判から偶然の唯物論へ

「理論における階級闘争」としての哲学

1970年前後から、アルチュセールは、自身の理論主義的偏向を自己批判するようになる。しかしながら、自己批判後の彼の思想は決して、己が過ちを改めたる、といったものではない。むしろ彼が選んだのは、己の学説の半端さ加減を自ら正す、という方向であった。

その中で登場する新たなテーゼの一つが「理論における階級闘争としての哲学」である。68年の「レーニンと哲学」を機に、哲学とは(理論的)実践の理論ではなく、実践そのものであると主張されるようになる(実践の哲学ではなく、哲学の実践)。哲学は、科学の信憑性を保証する「科学の科学」ではない。哲学とは別なやり方で継続される政治である(cf.「レーニンと哲学」)。哲学は、はるか昔から続く、観念と観念との戦いである(cf.「グラナダ講演」)。

偶然の唯物論

かつてアルチュセールは、マルクスを大きくヘーゲルから引き離してみたものの、依然『資本論』に至るまでヘーゲルからの影響が或る形で残り続けていたことをもまた、認めていた。このことについては、自己批判の諸テキストの中で、認識論的切断の学説に「継続する切断」という説明を加えていることからも分かる。

後のアルチュセールは、ついに、ヘーゲルのマルクスへの最大の負債を認めることになる。それは、「過程」という概念である。但し、ヘーゲル弁証法特有の、目的論的過程ではない。それは、「主体も目的もない過程」、不均等な起源を持つ様々な要素が織りなす複合的な過程なのだ。そう彼は述べるのである(cf.「ジョン・ルイスへの回答」)。

この着想は、その色調をいくばくか変えながら、歴史的過程の作動因を「偶然の出会い」と呼ぶ、晩年の思想につながっていく。エピクロス的な原子の雨。そして、その斜行が生む、偶然による原子の衝突。こうしたイメージが、諸要素が偶然に凝固して(出会って)、一定の持続力をもった一つの歴史的形態がなされるという、独特の唯物論につながっていくのである。

偶然の唯物論者の一例としては、マキャヴェリが挙げられるだろう。アルチュセールによれば、彼は、封建領主制という古い伝統と、やがてブルジョワジーの台頭のお膳立てをすることになる絶対君主制との、まさに狭間に立った。機が熟すための諸要素の「偶然の出会い」の前の空白に、彼は場所を占めていたというのである。彼の『君主論』は、彼の時代ではなく後の時代に向けて、いずれイタリアに芽を出す国民国家の時代に向けて書かれたものだと言える(cf.「マキャヴェリの孤独」)。

  • かつてアルチュセールは理論主義と非難されたが、その半分は野次程度のものであり、しかしもう半分は的確なものだった。彼がそれまで主張していたのは、ひとつに、理論的なものも含めた観念の中での真実と所与の現実そのものの絶対的非同一性であった。だがそれにも拘らず、彼は科学的な知と非科学的な知(イデオロギー)とを、観念の中だけであれ、明確に切り離そうとしたし、恐らくそれが可能だと信じていた。しかし後期思想のトーンは、その二分法を己の理論的欠陥として放棄するところから始まっているようだ。「理論における階級闘争」とは、哲学そのものの普遍主義を帳消しにしようとする規定であり、主体も目的もない過程というのは、歴史主義の決定論を退けようとしたアルチュセール自身の決定論的傾向を、打ち砕こうとするものであった。


社会の再生産過程

アルチュセールの思想の大部分は、マルクスの読み直し、哲学の地位等の、純粋に理論的な問題にかかわっている。しかしながらその一方で、なまの題材を扱った考察もまた、少ないながらも存在する。つまり、社会(マルクス主義的には社会構成体)と、その再生産についての考察である(cf.『再生産について』)。

生産関係の再生産

当たり前の話だが、ある社会(社会構成体)は、その人々が死なずに食べていくための生産の様式が、変わらず維持されることで、存続するだろう。ゆえにマルクス主義は、その生産様式によって、諸々の社会形態を種別化される。しかし、その生産様式が維持されるのは、実はまったく当たり前のことではない。それは何の働きかけもなしに、勝手に保たれているものではない。各人の各生産現場への配置、つまり生産関係を、必然的なものとして認めさせる必要があるのである(生産関係の再生産)。

国家のイデオロギー装置

そのような再生産の過程は、社会が(つまり生産関係が)広範囲になればなるほど、きちんとしたシステムとして確立される必要が出てくる。そして、実際にそのようなシステムとして機能しているのは、国家に他ならない。なぜなら、暴力(軍事力警察力)による脅し(国家の抑圧装置)のみならず、人がシステムの規定に従って、自発的に生産関係の一部に加わるための制度や実践(学校情報メディア福祉的制度、文化的慣行の制度、法的に定められた家族、等々)さえもが、国家の名のもとにあるからだ。そのようなシステム・制度が、他ならぬ国家のイデオロギー装置である。

イデオロギー

とりわけ前期の思想では、イデオロギーとは、科学的方法から厳密に排除されるべきバグに他ならなかった。しかし、アルチュセールがその思想を練り直し幾つもの軌道修正を加えるにつれ、イデオロギーの積極的効果に焦点が移る。曰くイデオロギーとは、人間が主体として既存の社会関係に与するための保証を与えているものである。それはただの観念ではなく、人間による諸々の実践と切り離せないものである。街角での警察官からの「おい、そこのお前」という呼びかけすら、イデオロギー的に定められた儀式であり、それに応じて振り返ることですら、そのイデオロギーに参加することに他ならない。ゆえに、イデオロギーの内容は種々多様であっても、イデオロギーそれ自体は不可避である。

マルクス主義の危機、そして再び国家について

70年代後半は、マルクス主義の危機というテーマが、アルチュセールにとり憑いていた。ところで、再生産論において、己が共産党の「国家のイデオロギー装置」としての性格について、彼はすでに考察している。「大衆の前衛」のはずの政党が、支配構造を維持するためのイデオロギー装置となっているということが、いよいよリアリティをもってきたことについて、えもいわれぬ焦燥感を掻き立てていたのかもしれない。

フランス共産党が「プロレタリア独裁」テーゼを放棄したことについて、彼は激しく批判した(cf.『共産党の中でこれ以上続いてはならないこと』)。この時期の彼は、このプロレタリア独裁を巡って、再び国家を主題に取り上げている(cf.『哲学・政治著作集』1)。国家の分離と循環についての興味深い考察がそこで見られるが、その着想はさらに実を結びはしなかったようである。


その他の思想的要素

青年期の著作

青年期のアルチュセールはヘーゲルに傾倒し、彼についての学位論文を提出するのだが、その直後に共産党へ入党、そして手のひらを返すようにヘーゲル批判を始めている。体系的ではないものの、後の思想の通奏低音となっている着想のいくつかは、このころに出始めているようだ(cf.『哲学・政治著作集』1)。

芸術論

現実の素材を扱った著作群の、もう一方。哲学とは根本的な意味で隠喩であるという、アルチュセールの信条が裏付けられている(cf.『哲学・政治著作集』2)。

著作

(邦訳のみ、アンソロジーについては原典を省略)
Pour Marx 初版1965年)
Lire le Capital 初版1965年)
  • 『レーニンと哲学』 人文書院 1970年
  • 『政治と歴史―モンテスキュー・ルソー・ヘーゲルとマルクス』 紀伊國屋書店 1974年
  • (『政治と歴史―モンテスキュー・ヘーゲルとマルクス』 新訂版 紀伊國屋書店 2004年)
  • 『歴史・階級・人間―ジョン・ルイスへの回答』 福村出版 1974年
  • 『国家とイデオロギー』 福村出版 1975年
  • 『科学者のための哲学講義』 福村出版 1977年
  • 『自己批判―マルクス主義と階級闘争』 福村出版 1978年
  • 『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』 新評論 1978年
Ce qui ne peut plus durer dans le parti communiste 1978年)
  • 『アルチュセールの<イデオロギー>論』 三交社 1993年
  • 『哲学について』 筑摩書房 1995年
  • (『不確定な唯物論のために―哲学とマルクス主義についての対話』 大村出版 1993年)
Sur la philosophie 1994年)
  • 『哲学・政治著作集』1・2 藤原書店 1999年
Écrits philosophiques et politiques 初版1994-95年)
  • 『フロイトとラカン―精神分析論集』 人文書院 2001年
Écrits sur la psychanalyse : Freud et Lacan 1993年)
Solitude de Machiavel 1998年)
L'avenir dure longtemps suivi de Les faits 初版1992年)
  • 『愛と文体―フランカへの手紙』 藤原書店 2004年
Lettres à Franca 1998年)
  • 『再生産について』 平凡社 2005年
Sur la Reproduction 1995年)

主な関連人物(アルチュセール派含む)

関連項目