「つんく♂」の版間の差分

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*[[2007年]]2月4日、[[北九州市]]長選挙で、[[柴田高博]]候補(自民・公明推薦)の応援に就く。[[飯田圭織]]・[[矢口真里]]が同行した。
 
*[[2007年]]2月4日、[[北九州市]]長選挙で、[[柴田高博]]候補(自民・公明推薦)の応援に就く。[[飯田圭織]]・[[矢口真里]]が同行した。
 
*[[2007年]]9月2日、[[テレビ東京]]系で放送された、ドキュメンタリー番組『[[ソロモン流]]』で、「今、歌手として一番大切なのどに原因不明の病を抱え歌を歌う際に高い声が出難くなっている」と告白。また、「専門医の検査を受けたが治療法が未だ見つかっていない。」という。
 
*[[2007年]]9月2日、[[テレビ東京]]系で放送された、ドキュメンタリー番組『[[ソロモン流]]』で、「今、歌手として一番大切なのどに原因不明の病を抱え歌を歌う際に高い声が出難くなっている」と告白。また、「専門医の検査を受けたが治療法が未だ見つかっていない。」という。
2014年3月6日。病気発表した
 
7月15日。スマイレージ観戦した
 
2014年8月31日。24TV2014でモーニング娘14あてに手紙送った。この事はYahoo!にも乗っていた
 
2014年9月25日。病気ほぼ完治した事発表した
 
2015年6月。子供がリズム天国のテーマ歌っている事判明した。子供の顔は神田SAYAKAと違い非公開である
 
2015年9月。ハロプロプロデューサー卒業していたことが判明した
 
  
 
==サウンドの特徴==
 
==サウンドの特徴==
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*てっぺん(2003年9月、[[高橋がなり]]共著 ビジネス社、ISBN 4828410716)
 
*てっぺん(2003年9月、[[高橋がなり]]共著 ビジネス社、ISBN 4828410716)
 
*ポジティブ本-プチ成功への近道(2005年4月、講談社、ISBN 4063646327)
 
*ポジティブ本-プチ成功への近道(2005年4月、講談社、ISBN 4063646327)
読売。(2015年9月8日。)
 
そして生きる。(2015年9月10日。)9日のワイドショーで放送された
 
  
 
=== 写真集 ===
 
=== 写真集 ===
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*[[トクメイ希望]](2007年1月4日・4月24日、フジテレビ系)
 
*[[トクメイ希望]](2007年1月4日・4月24日、フジテレビ系)
 
*ドラマ出演、殆ど役柄も関西出身の人物なので、関西弁で演じている。
 
*ドラマ出演、殆ど役柄も関西出身の人物なので、関西弁で演じている。
2014年3月6日のワイドショー。病気発表
 
7月16日のワイドショー。スマイレージ観戦放送
 
24TV2014(2014年8月31日。日本テレビ)手紙放送
 
2014年9月26日の夕方ワイドショー
 
2015年10月9日のみんなの報道及び翌日のめざましテレビ
 
  
 
=== ラジオ ===
 
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===ゲーム===
 
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*[[リズム天国]](2006年、[[ゲームボーイアドバンス]]用ソフト、[[任天堂]])企画・プロデュース、楽曲提供
 
*[[リズム天国]](2006年、[[ゲームボーイアドバンス]]用ソフト、[[任天堂]])企画・プロデュース、楽曲提供
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====演じた人物====
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小出恵介。(武道館。)
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

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つんく(またはつんく♂1968年10月29日 - )は、シャ乱Qメンバーで、音楽プロデューサー歌手作詞家作曲家、総合エンターテインメント事務所・TNX(ティーエネックス)株式会社代表取締役社長。俳優活動も経験している。公式サイトには、「音楽家、総合エンターテインメントプロデューサー」と書かれている。

本名は寺田 光男(てらだ みつお)。大阪府東大阪市出身。近畿大学附属高等学校近畿大学商経学部卒業。アップフロントエージェンシー傘下のジェイ・ピー・ルーム所属。

つんくが今までに楽曲提供した曲や、プロデュース作品の一覧はつんく提供楽曲一覧を参照。

人物[編集]

  • 「つんく」という芸名は、小さいときに「つんくん」と呼ばれていたことから[1]
  • 2008年、NHKのスタジオパークからこんにちはで本当のつんくの名前の由来は、大学時代にある友人から付けられたことから。
  • 浄土真宗本願寺派門徒でもある。
  • モモコクラブの大ファンである。また、菊池桃子に関してはイベントや握手会に迄行く程の大ファンだった。また東京パフォーマンスドールのようなグループを作ってみたいという構想を持っていたこともあったため、モーニング娘。のプロデューサーとしての活動を始めるきっかけだったとのこと。また「バンド活動の経験を活かして、プロデューサー業に進出したくなった」と言っていた。
  • 幼少時代からかなりのお笑い好きで、人生で最初に購入したレコードはザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」であることを公言している。
  • ミュージックステーション椎名へきると共演した際、椎名へきるのファンであることが発覚している。
  • かつてとんねるずのラジオ番組などで「ハガキ職人」をしていたことがある[2]
  • 音楽評論家であった故福田一郎と親交があり、モーニング娘。のプロデューサーになる事が決まった時に、プエルトリコのアイドルグループ「メヌード」を参考にする様にアドバイスされたという。
  • 大阪近鉄バファローズのファンであり、子供のころはバファローズ友の会会員であった。その縁もあり1997年4月8日大阪ドーム初の公式戦(近鉄×ロッテ)の始球式をつとめた(後に東北楽天ゴールデンイーグルスの公式応援歌をプロデュースしている)。
  • シャ乱Q時代、売れなかった頃に事務所の先輩の森高千里に何かと世話になったためブレイク後も頭が上がらない。
  • 1995年12月21日に放送されたダウンタウンDXDX読売テレビ放送)に当時のシャ乱Qメンバー5人で回答者として出演した際、ビッグスターイメージレース”流行に敏感なコギャルに聞きました・一番早く消えてしまうのは?レース”の5組枠の5番目に本人たちに内緒で入れられていた(他の出走枠はキャイーンナインティナイングレートチキンパワーズ今田耕司)。浜田雅功「"バイバイ・ありがとう・さようなら"と自分たちが言われる日は近い」と解説すると、つんくはガクッと崩れ「一番ヤバイじゃない!!」と叫び、更に浜田が「以上、今年(1995年)はノリにノッてたお笑い5組によるレースであります!!」と言った瞬間メンバー全員が立ち上がり、リーダーのはたけと共に「お笑いちゃう!!、違うっ!!」と悲鳴を上げていた。結果は2位(9票)。ちなみに、この5組の中で本当に消えてしまったのはグレートチキンパワーズだけである。
  • 1999年台湾で起きた地震の復興のための募金活動を行うなど、ボランティア活動に熱心である。
  • 2005年4月統合によって新たに開校した大阪府立かわち野高等学校の校歌を作曲した(作詞は元国会議員塩川正十郎)。
  • 芸能界一「ヨシモト∞」が大好きで、2006年5月24日には楽屋ゲストを果たし、7月12日にも訪れた。雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!に出演した際、お笑い芸人になることを真剣に考えていたことを語っている。
  • 出身地である、東大阪市のイメージソングを作曲し、歌を披露した。東大阪市のホームページで聞くことができる。また、市内のショッピングセンターなどのような場所でも流されることもある。[3]
  • 週刊文春』連載の阿川佐和子と毎回のゲストとの対談コーナー「あの人に会いたい」において、「いくら自分の音楽性やスタイルがあったとしても、売る側の都合によってそんなものは変えさせられてしまうんだから、自分は音楽においてポリシーや信念などは持たないようにしている」という趣旨の発言を残している。
  • Mr.Children桜井和寿ウルフルズトータス松本、お笑いでは、雨上がり決死隊FUJIWARAほっしゃん。宮川大輔アンバランスカラテカ原口あきまさ木村祐一博多華丸・大吉などの多くの芸能人と親交がある。
  • 作詞家の故阿久悠を尊敬しており、作詞など影響を受けた部分もあるという。またピンク・レディーがモーニング娘。に与えた影響は大きく、活動当時にメンバーを増やす構成をされていたらそのアイディアは使えないため、モーニング娘。は存在しなかったと阿久悠の追悼特番で発言している。
  • つんく♂はプロデュースする上の苦労話として、国民の中から選び抜かれた美女集団の中で仕事をすることは拷問に近いと告白している。その理由として健全な男であれば美女が好きであり、当然異性として相手を見たい気持ちにもなる事もあるが、それではプロデューサーとして勤まらない。そのため如何に自身やメンバーに異性を感じさせないかが大事なのであると告白している。また、そのような女の子を好きな気持ちを楽曲にぶつける事により良い楽曲が生まれるのだと雑誌の対談で語っている。

略歴[編集]

[1988年]]12月、はたけまことたいせーしゅう(後に不祥事で脱退)とともにシャ乱Qを結成。ボーカルを担当する。シャ乱Qは1992年にメジャーデビュー、2000年12月より活動休止。2006年に4月3日放送の「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の出演で活動を再開。「堀内孝雄さんのおかげで、シャ乱Qの活動再開をしたくなった」との理由からである。

  • 1994年MBSヤングタウンで競演するFUJIWARAの楽曲「明日が来る前に」のプロデューサーとしてプロデュース活動を開始。ただし、この時点では、プロデュースといっても、まだアドバイス的な役割に近かった。また、それ以前に明石家さんまへ提供する予定の楽曲を制作していたが、勝手に話が進んでいた事を不快に感じたさんま自身が断ったため、レコーディングは行われなかった。
  • 1998年よりモーニング娘。のプロデューサーを本格的開始する。現在ではモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトの他、ソニンをプロデュース、TOKIO五木ひろし西城秀樹などに楽曲を提供している。
  • 1999年11月3日。マキシシングル『TOUCH ME』でソロ・デビュー。
  • 2001年4月、芸能活動、プロデューサーとしての活動での名前を「つんく♂」と改名する。作詞作曲する際の名前は「つんく」のまま。
  • 2002年2月、シャ乱Qのメンバー、まこと、元LOWDOWNのこーじと共にTHE つんくビ♂トを結成するが、活動を休止(期間限定説あり)。その後ソロ活動に戻り、2004年から2006年までモーニング娘。松浦亜弥等の提供曲をセルフカバーした3枚のアルバムをリリース。
  • 2006年4月24日、博多華丸の仲介で12歳年下の元モデル出光加奈子とお見合い。6月8日、婚姻届を提出し入籍した(しかし、婚姻の理由等について、これ以上の詳細は非公開としている。以降の家族構成なども不明である)。挙式は、同年8月10日、西本願寺にて仏前形式で行われた。
  • 2006年10月1日、総合エンターテインメント事務所「TNX(ティーエネックス)株式会社」を設立。
  • 2007年2月4日、北九州市長選挙で、柴田高博候補(自民・公明推薦)の応援に就く。飯田圭織矢口真里が同行した。
  • 2007年9月2日、テレビ東京系で放送された、ドキュメンタリー番組『ソロモン流』で、「今、歌手として一番大切なのどに原因不明の病を抱え歌を歌う際に高い声が出難くなっている」と告白。また、「専門医の検査を受けたが治療法が未だ見つかっていない。」という。

サウンドの特徴[編集]

シャ乱Q時代から、アコースティックギターを使用することがあるものの、シェキドルの楽曲製作では、アコースティックギターのみならず、ドラムパーカッションを利用して、単独の編曲を行った。しかし、自身のソロ作品では、編曲を行わない、楽器を使わないという形になっている。近年は、R&B寄りの曲を作ることが多く、打ち込みサウンドオーケストラル・ヒットにこだわっている。

また、編曲者の起用では、高橋諭一鈴木俊介鈴木Daichi秀行平田祥一郎小西貴雄、AKIRAなど、親交の深い人物を起用する頻度が高い。シャ乱Q時代は、鳥山雄司白井良明を起用した程度である。演奏者では、サックスに竹上良成、ギター鎌田浩二を起用している。

音楽[編集]

ソロ活動・プロデュース・音楽監督等の個人名義での作品を記述する。シャ乱Q・THE つんくビ♂トについては各項目を参照のこと。

代表曲[編集]

TOUCH ME #1
作詞・作曲はつんく、編曲は松原憲。シャ乱Q在籍でありながら、本格的なソロデビュー作。
ここにいるぜぇ!
作詞・作曲はつんく、編曲は鈴木Daichi秀行。原曲のモーニング娘。のドラム音が生音に対し、彼の曲は、打ち込みになっている。
草原の人
作詞は加藤和枝(美空ひばり)、作曲はつんく、編曲は鈴木Daichi秀行。彼曰く、「美空さんの歌詞を自分で曲を付ける事が出来るのは、年末ジャンボ宝くじの当選並み」とのこと。原曲は松浦亜弥。
FOREVER~あなたに会いたい
作詞はつんく、作曲は大野愛果、編曲は平田祥一郎。長戸大幸からは、「いろんな人が彼のために手がけてくれた。彼がビーイング系の作曲家の曲を歌うのは想像できないだろうな」といわれているが、「大野愛果に依頼して作った」と語っている。アルバム「タイプ2」に収録。

シングル[編集]

  1. LOVE~抱き合って~ / LOVE~since 1999 (1999年4月28日、EPCE-5020 つんくwith7HOUSE / 浜崎あゆみ&つんく両A面) 浜崎あゆみの「LOVE~Destiny」は、A BESTに収録されている。
  2. Touch me #1 / Touch me #2 / Touch me #4(1999年11月3日、EPCE-5036 TSUNKU名義)
  3. すっごいね!(2002年2月27日、EPCE-5145 THE つんくビ♂ト)

アルバム[編集]

  1. A HARD DAY'S NIGHT つんくが完コピーやっちゃったヤァ!ヤァ!ヤァ! Vol.1(2000年12月6日、EPCE-5083)
  2. TAKE1(2004年2月18日、EPCE-5266)
  3. タイプ2(2005年7月13日、EPCE-5361)
  4. V3〜青春カバー〜(2006年6月28日)

作品集[編集]

  1. つんく♂ベスト作品集(上)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜(2007年9月26日)
  2. つんく♂ベスト作品集(下)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜(2007年12月5日)

DVD[編集]

  1. つんく すっぽんライブラリー DVD-BOX 1(2004年12月29日、GFV-34001)

書籍[編集]

一般書籍[編集]

写真集[編集]

  • つんく♂フォトギフト〜inラスベガス&ハワイ!〜タイプA(COOL)(2005年9月、GFG-79207 グッドファクトリーレコード)
  • つんく♂フォトギフト〜inラスベガス&ハワイ!〜タイプB(NATURAL)(2005年9月、GFG-79208 グッドファクトリーレコード)

出演[編集]

テレビ[編集]

*ドラマ出演、殆ど役柄も関西出身の人物なので、関西弁で演じている。

ラジオ[編集]

  • つんくばん(2001年8月18日 - 2002年10月5日、TBSラジオ
  • JRAサウンドコース(1998年4月 - 2000年3月、fm osaka
  • シャ乱Qのオールナイトニッポン(1992年7月、ニッポン放送
  • シャ乱Qつんくのオールナイトニッポン(1996年7月 - 1997年9月、ニッポン放送
  • シャ乱Qつんくのギラギラきてるかい(1995年 - 1996年、ニッポン放送)
  • ロックン天国(- 1997年3月、NHK-FM
  • MBSヤングタウン(1993年4月 - 1996年3月、毎日放送

映画[編集]

その他[編集]

  • DVD つんく♂のマジカデミステリーツアー in 対馬(2004年4月27日、GVF-35001)
  • CM ジャパンシティメディア Qメール(1996年)
  • CM サントリービール ビターズ(1997年)
  • CM トヨタ自動車 カローラランクス「先いくって、ドキドキ。」篇(2001年)
  • CM 講談社 KING (2006年、歌のみ)

CMau森娘編、(2014年)

プロデュース作品[編集]

ミュージカル音楽[編集]

  • LOVEセンチュリー -夢はみなけりゃ始まらない-(2001年、音楽監修・プロデュース)
  • モーニング・タウン(2002年、作詞/作曲・原案・脚本・総合プロデュース)
  • 新・演歌の花道(2002年、音楽プロデュース)
  • けん&メリーのメリケン粉オンステージ!(2003年、音楽・監修・総合プロデュース)
  • 草原の人(2003年、音楽・原案・総合プロデュース)
  • 江戸っ娘。忠臣蔵(2003年、音楽・原案・プロデュース・総合プロデュース)
  • リアルオーディション!!(2004年、音楽・原案・総合プロデュース)
  • サヨナラのLOVE SONG(2004年、音楽・原案)
  • おかえり(2004年、音楽・原案)
  • HELP!!熱っちぃ地球を冷ますんだっ。(2004年、音楽・原案・総合プロデュース)
  • ふしぎ少女探偵 キャラ&メル (2005年、作詞/作曲)
  • つんく♂タウンTHEATER 旗揚げ公演 第一弾時東ぁみ 座長公演「CRY FOR HELP! 〜宇宙ステーション近くの売店にて〜」(2006年、音楽・原案・総監修)

映画音楽[編集]

映画製作総指揮[編集]

  • つんくFILMS
    複数監督のオムニバス映画をミニシアター上映
    • 東京★ざんすっ(2001年公開、東映)監督、音楽を兼ねる
    • マネーざんすっ(2001年公開、東映)
  • つんくタウンFILMS
    デジタルシネマによる地方都市上映
    • とっかえっ娘。(2001-2002年公開)
    • ナマタマゴ(2001-2002年公開)

映画原案[編集]

  • 青春ばかちん料理塾(2003年公開、東映)

ゲーム[編集]

演じた人物[編集]

小出恵介。(武道館。)

関連項目[編集]

プロデュース/楽曲提供[編集]

ハロプロ以外[編集]

ライバル[編集]

脚注[編集]

  1. 道重さゆみとの対談での発言「ポジティブ本」P49
  2. 野猿オールナイトニッポン」2001年2月23日放送
  3. 東大阪市公式 イメージソング

外部リンク[編集]