本貫

提供: Yourpedia
2020年1月8日 (水) 03:52時点におけるSEOに熱心なMuttley (トーク | 投稿記録)による版 (rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。)

移動: 案内検索

'''本貫'''(ほんかん、うぶすな)は古代[[東アジア]]において[[戸籍]]の編成(貫籍)が行われた土地をいう。転じて、氏族集団の発祥の地を指すようになった。 [[日本]]には[[律令制]]下の[[古代日本の戸籍制度|戸籍制度]]とともに概念が導入された。中世以降、[[武家]]の[[名字]](苗字)の由来となった土地(名字の地)を「本貫」、「本貫地」と呼ぶようになった。 [[中国]]・[[朝鮮半島]]では、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団([[宗族]])の始祖の発祥地として使用された。とくに[[大韓民国]]では現在も家族制度上大きな意味を持つ。 == 日本の本貫 == === 律令制での本貫 === 日本では[[大宝律令]]制定とともに本貫制が導入された。人々は本貫地の[[戸籍]]・[[計帳]]に載せられて勝手に本貫地を離れることは[[浮浪]]として禁じられていた。逃走の戸は3年、戸口は6年が経過すると戸籍・計帳から除かれて絶貫(本貫を持たない者)となった。その後、逃走者が発見された場合には逃亡先の戸籍に編入させられる「当所編附」あるいは元の本貫地への強制送還させられる「本貫還附」の措置が取られた(ただし、[[陸奥国]]・[[出羽国]]の本貫者については「本貫還附」が決められていた)。また、[[養老]]4年([[720年]])以後は逃走者の自主的帰還(「走還」)をうながすために走還した者の[[課役]]を1年間免除する措置を取った。また、[[大学寮]]の学生が退学した場合は本貫に通告すること([[学令]])、徴発された労役者が帰還前に死亡した場合には本貫に通告すること([[賦役令]])、本主が死亡した[[帳内]]・[[資人]]は本貫に送還すること([[選叙令]])、病気になって倒れた[[防人]]は本貫に送還すること([[軍防令]])などの規定が存在した。 === 鎌倉時代以降の本貫 === 平安時代末期以降、[[源氏|源]]・[[平氏|平]]・[[藤原氏|藤]]・[[橘氏|橘]]などの同姓同士が繁栄したため、[[鎌倉時代]]以降互いを区別する場合に姓ではなく、次第に各々が「[[一所懸命の土地|一所懸命]]」して守る所領地の地名([[名田|名]])を仮名([[名字]]・苗字)とするようになり、名字を冠することは、所領の相続権を意味するようになった。これにともない名字の発祥地である「一所懸命」の地は「本貫」、「本貫の地」と呼ばれ、本貫地に祀られている神が「[[産土神]](うぶすながみ)」と呼ばれたため、本貫と書いて(うぶすな)と訓み、次第に「[[氏神]](うじがみ)」と同意語となり、混合されて神聖視されるようになった。 === 陸奥国 === ;[[安達氏]] :[[陸奥国]][[安達郡]] ;[[猪苗代氏]] :[[陸奥国]][[耶麻郡]]猪苗代 === 上野国 === ;[[新田氏]] :[[上野国]][[新田郡]]新田庄([[源義国]]の長男、[[新田義重]]を始祖とする) ;[[岩松氏]] :上野国新田郡岩松郷 ;[[得川氏]]・[[徳川氏]] :上野国新田郡得川郷([[新田義重]]の四男、[[得川義季]]を始祖とする) ;[[田中氏]] :上野国新田郡田中郷([[里見義俊]]の二男、[[田中義清]]を始祖とする) ;[[大舘氏]] :上野国新田郡大舘郷 ;[[山名氏]] :上野国[[多胡郡]]山名郷([[新田義重]]の庶子、[[山名義範]]を始祖とする) ;[[大胡氏]] :上野国[[勢多郡]]大胡郷 ;[[磯部氏]] :上野国[[碓氷郡]]磯部 ;[[小幡氏]] :上野国[[甘楽郡]]小幡 === 下野国 === ;[[足利氏]] :[[下野国]][[足利郡]]足利庄([[源義国]]の二男、[[足利義康]]を始祖とする) ;[[板倉氏]] :下野国足利郡足利庄板倉 ;[[氏家氏]] :下野国[[塩谷郡]]氏家郷 ;[[宇都宮氏]] :下野国[[河内郡 (栃木県)|河内郡]]宇都宮 ;[[小山氏]] :下野国[[都賀郡]]小山庄 ;[[小野寺氏]] :下野国都賀郡小野寺 === 上総国 === ;[[秋元氏]] :[[上総国]][[周淮郡]]秋元庄 ;[[飯富氏]] :上総国[[望陀郡]]飯富庄 === 下総国 === ;[[小見氏]] :[[下総国]][[香取郡]]小見郷 ;[[葛西氏]] :下総国[[葛飾郡]]葛西御厨 === 常陸国 === ;[[鹿島氏]] :[[常陸国]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]] ;[[伊佐氏|伊佐氏(常陸)]] :常陸国[[伊佐郡]] ;[[小栗氏]] :常陸国小栗御厨 ;[[小田氏]] :常陸国[[筑波郡]]小田邑 ;[[小貫氏]] :常陸国[[久慈郡]]小貫邑 === 武蔵国 === ;[[高麗氏]] :[[武蔵国]][[高麗郡]] ;[[加治氏]] :武蔵国高麗郡加治 ;[[金子氏]] :武蔵国[[入間郡]]金子 ;[[青木氏]] :武蔵国入間郡青木 ;[[江戸氏]] :武蔵国[[豊島郡]]江戸郷 ;足立氏 :武蔵国[[足立郡]] ;[[稲沢氏|稲澤氏]] :武蔵国[[児玉郡]]稲澤 ;[[大関氏]] :武蔵国児玉郡大関村 ;[[小山田氏]] :武蔵国[[多摩郡]]小山田庄 === 相模国 === ;[[鎌倉氏]] :[[相模国]][[鎌倉郡]] ;[[渋谷氏]] :相模国[[高座郡]]渋谷庄([[河崎重家]]の子、[[渋谷重国]]を始祖とする) ;[[大庭氏]] :相模国高座郡大庭郷 ;[[香川氏]] :相模国高座郡香川 ;[[三浦氏]] :相模国[[三浦郡]] ;[[大多和氏]] :相模国三浦郡大多和村 ;[[石井氏]] :相模国三浦郡石井庄 ;[[毛利氏]] :相模国[[愛甲郡]]毛利庄([[大江広元]]の四男、[[毛利季光]]を始祖とする) ;[[土肥氏]] :相模国足下郡土肥郷 === 伊豆国 === ;[[赤沢氏]] :[[伊豆国]]赤沢郷([[小笠原長清]]の嫡男長経の二男赤沢清経を始祖とする) ;[[河津氏]] :伊豆国[[賀茂郡 (静岡県)|賀茂郡]]河津庄 === 甲斐国 === ;[[武田氏]] :[[甲斐国]][[巨摩郡]]武田郷([[源清光]]の子、[[武田信義]]を始祖とする) ;[[秋山氏]] :甲斐国巨摩郡秋山([[加賀美遠光]]の嫡男秋山光朝を始祖とする) ;[[穴山氏]] :甲斐国巨摩郡逸見郷穴山村([[武田信武]]の子、穴山義武を始祖とする) ;[[甘利氏]] :甲斐国巨摩郡余戸郷甘利庄 ;[[市河氏]] :甲斐国巨摩郡市河庄 ;[[小笠原氏]] :甲斐国巨摩郡小笠原庄 ;[[加賀美氏]] :甲斐国巨摩郡加賀美郷 ;[[板垣氏]] :甲斐国[[山梨郡]]板垣郷([[武田信義]]の三男、[[板垣兼信]]を始祖とする) ;[[於曾氏]] :甲斐国山梨郡於曾郷 ;[[石橋氏]] :甲斐国[[八代郡]]石橋邑 === 信濃国 === ;[[跡部氏]] :[[信濃国]][[佐久郡]]跡部 ;[[大井氏]] :信濃国佐久郡大井庄 ;[[伊那氏]] :信濃国[[伊那郡]] ;[[小出氏]] :信濃国伊那郡小井弖 ;[[片切氏]] :信濃国伊那郡片切郷 ;[[井上氏]] :信濃国[[高井郡]]井上 ;[[海野氏]] :信濃国[[小県郡]]海野庄 ;[[麻績氏]] :信濃国[[筑摩郡]]麻績郷 ;[[木曾氏]] :信濃国筑摩郡木曾谷 ;[[風間氏]] :信濃国[[水内郡]]風間邑 === 飛騨国 === ;[[牛丸氏]] :[[飛騨国]][[大野郡 (岐阜県)|大野郡]]牛丸邑 === 駿河国 === ;[[朝比奈氏]] :[[駿河国]][[志太郡]]朝比奈郷 ;[[岡部氏]] :駿河国志太郡岡部郷 ;[[入江氏]] :駿河国[[有渡郡]]入江 === 遠江国 === ;[[石谷氏|石谷氏(遠江)]] :[[遠江国]][[佐野郡]]西郷石谷 ;[[井伊氏]] :遠江国井伊谷 ;犬居氏・[[乾氏]] :遠江国[[周智郡]]犬居庄 === 三河国 === ;[[足助氏]] :[[三河国]][[加茂郡 (三河国)|加茂郡]]足助庄 ;[[一色氏]] :三河国[[幡豆郡]]一色庄 ;[[今川氏]] :三河国[[碧海郡]]今川庄 ;[[加納氏]] :三河国加茂郡加納邑 ;[[吉良氏]] :三河国幡豆郡吉良庄 ;[[細川氏]] :三河国[[額田郡]]細川郷 ;[[松平氏]] :三河国加茂郡松平郷 === 尾張国 === ;[[水野氏]] :[[尾張国]][[山田郡]]水野郷 === 越前国 === ;[[織田氏]] :[[越前国]][[丹生郡]]織田庄([[平資盛]]の子、[[織田親真]]を始祖とする) === 越中国 === ;[[石黒氏]] :[[越中国]]石黒庄 === 越後国 === ;[[色部氏]] :[[越後国]]小泉庄色部條 ;[[小国氏]] :越後国[[三嶋郡]]小国保 ;[[加地氏]] :越後国[[蒲原郡]]加地庄 === 美濃国 === ;[[池田氏|池田氏(美濃)]] :[[美濃国]][[池田郡]]池田庄 ;[[明智氏]] :美濃国[[可児郡]]明智庄 === 伊勢国 === ;[[小俣氏]] :[[伊勢国]][[度会郡]]小俣 ;[[神戸氏]] :伊勢国[[河曲郡]]神戸郷 === 近江国 === ;[[蒲生氏]] :[[近江国]][[蒲生郡]] ;[[佐々木氏]] :近江国蒲生郡佐々木庄 ;[[金森氏]] :近江国[[野洲郡]]金森邑 ;[[尼子氏]] :[[近江国]]甲良荘尼子郷([[佐々木高氏]]の孫、[[尼子高久]]を始祖とする) ;[[吉田氏]] :近江国[[犬上郡]]吉田村([[佐々木秀義]]の六男、[[吉田厳秀]]を始祖とする) ;[[伊庭氏]] :近江国[[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]]伊庭邑 ;[[大原氏]] :近江国[[坂田郡]]大原庄 === 山城国 === ;[[賀茂氏]] :[[山城国]][[葛野郡]]賀茂郷 === 大和国 === ;[[生駒氏]] :[[大和国]][[平群郡]]生駒 ;[[春日氏]] :大和国[[添上郡]]春日郷 ;[[葛城氏]] :大和国[[葛城郡]] === 摂津国 === ;[[池田氏|池田氏(摂津)]] :[[摂津国]][[豊島郡]]池田郷 ;[[伊丹氏]] :摂津国[[川辺郡 (兵庫県)|川辺郡]]伊丹村([[加藤氏]]の支流、[[伊丹親元]]を始祖とする) ;[[茨木氏]] :摂津国[[島下郡]]茨木城 === 河内国 === ;[[甲斐庄氏]] :[[河内国]][[錦部郡]]甲斐庄 === 丹波国 === ;[[上杉氏]] :[[丹波国]][[何鹿郡]]上杉庄 === 但馬国 === ;[[朝倉氏]] :[[但馬国]][[養父郡]]朝倉 ;[[及川氏]] :但馬国[[城崎郡]]及川庄 === 播磨国 === ;[[赤松氏]] :[[播磨国]][[赤穂郡]]赤松村([[宇野則景]]の嗣子[[赤松家範]]を始祖とする) ;[[浦上氏]] :播磨国[[揖保郡]]浦上郷 === 出雲国 === ;[[塩冶氏]] :[[出雲国]][[神門郡]]塩冶郷([[佐々木泰清]]の三男、[[塩冶頼泰]]を始祖とする) ;[[高岡氏]] :[[出雲国]][[神門郡]]塩冶郷高岡邑(佐々木泰清の八男、[[高岡宗泰]]を始祖とする) === 伯耆国 === ;[[小鴨氏]] :[[伯耆国]][[久米郡]]小鴨郷 ;[[金持氏]] :伯耆国[[日野郡]]金持郷 === 安芸国 === ;[[浦氏]] :[[安芸国]][[豊田郡]]浦郷 === 阿波国 === ;麻殖氏 :[[阿波国]][[麻殖郡]] === 讃岐国 === ;[[鴨部氏]] :[[讃岐国]][[寒川郡]]鴨部郷 === 筑前国 === ;[[秋月氏]] :[[筑前国]][[朝倉郡]]秋月城 === 筑後国 === ;[[江上氏]] :[[筑後国]][[三潴郡]]江上邑 ;[[蒲池氏]] :筑後国[[三潴郡]]蒲池邑 === 豊前国 === ;[[城井氏]] :[[豊前国]][[仲津郡]]城井郷 === 肥前国 === ;[[有馬氏|有馬氏(肥前)]] :[[肥前国]][[高来郡]]有馬庄 ;[[大村氏]] :肥前国[[彼杵郡]]大村郷 === 肥後国 === ;[[宇土氏]] :[[肥後国]][[宇土郡]] ;[[菊池氏]] :肥後国[[菊池郡]] === 薩摩国 === ;[[市来氏]] :[[薩摩国]]市来院 == 朝鮮の本貫 == 朝鮮における'''本貫'''(ほんかん)は、発祥を同じくする同一父系氏族集団('''[[宗族]]'''、[[門中]])の発祥地、あるいは宗族そのものをあらわす概念である。 朝鮮王朝([[李氏朝鮮]])時代以降、[[家族制度]]の重要な要素として社会的・法的な位置を占めた。現在も[[大韓民国]]では[[姓]]とともに「本貫」に法的な規定がある。略して「'''本'''」(ポン)ともいい、他に「'''貫郷'''」(クァンヒャン)などの呼び方がある。 === 概要 === 朝鮮の[[姓]]は約250と少なく、五大姓と呼ばれる金、李、朴、崔、鄭などの一部の姓に人口が集中しているため、「本貫と姓」の組み合わせによって一つの宗族が弁別される。 たとえば金姓の場合、金海[[伽耶]](駕洛国)王族系と[[新羅]]王族系など起源の異なる宗族がある。本貫は同姓の中で異なる宗族集団を区別するための有効な手段であった。[[金海市|金海]]を本貫とする伽耶王族系の金氏の宗族集団を[[金海金氏]]という。同様に、新羅王族系の金氏を代表する[[慶州金氏]]の本貫は[[慶州市|慶州]]である。 大きな姓は複数の本貫で分かれており、最大の金姓には285の本貫(宗族集団)が含まれている。逆に、中小規模の姓には単一の本貫で構成されるものもある。 なお、各氏族の持つ由緒によっては、姓や本貫を異にしていても同一の宗族と見なされる場合もわずかだがあり、逆に本貫より小さなグループ(派)によって宗族集団を区別する例もある(後述の金海金氏など)。 === 沿革 === 宗族を示す「本貫」の制度は、[[高麗]]時代に郡県制の下で地方の有力豪族たちの間で行われるようになった。朝鮮王朝([[李氏朝鮮]])時代には[[族譜]]の整備が進むとともに社会的な家族制度の構成要素として重視されるようになり、同姓同本(姓と本貫が同一)の男女の通婚は認められなくなった([[同姓不婚|同姓同本不婚]])。 血統としての本貫は、李氏朝鮮後期から末期かけて族譜の売買が行なわれたことで混乱してしまった。 日本による植民地統治下、家族制度については「旧慣」を残しており、[[朝鮮戸籍令]]に基づく戸籍に「本貫」が記載され、[[朝鮮民事令]]で同姓同本の結婚が法的に認められなかった。これらの法的な規定は、[[大韓民国]]の戸籍や民法にも継承された。 韓国では、法的に同姓同本の結婚を禁止する民法第809条1号の規定は、[[1997年]]に[[憲法裁判所]]で無効と判断された。この判決後、同姓同本の事実婚の夫婦が表に出、法律上の夫婦の便宜を受けることができるようになった。 [[朝鮮民主主義人民共和国]]では、宗族制度とともに本貫は廃止されている。 === 本貫の編成 === 本貫(本貫地)は、氏族の始祖やその子孫(中興の祖を中始祖と呼ぶ場合もある)が住み着いた土地や封じられた場所である。宗族の中では始祖から何代目と数えることが多い。 本貫(宗族集団)の中には、複数の始祖を持つものも存在する。始祖の違いや中始祖が異なる場合○○流と流派をつけて区別する。また同本貫でも明らかに異なる場合は別本貫として扱ったり本貫を変えるケースがある。たとえば、[[金海金氏]]の場合、金官伽耶王族を祖とする本貫と、[[沙也可]]などを祖とする贈金海金氏、新羅王族の末裔を称して金海を本貫にした金氏(後に金寧金氏と改称した)が存在した。また、[[安東金氏]]にも新羅王族の末裔を称する金氏(旧安東金氏)と高麗建国の功臣を祖とする新安東金氏がある。同じ本貫の場合、名前を付ける場合に行列字などを用いて、同じ代同士は同じ漢字を使って[[人名#朝鮮人の名前|命名]]するケースも多い。 本貫や族譜には、朝鮮王朝時代の[[両班]]が自らの家系の正統性や優秀性を証明するための性格がある。その性格ゆえか、韓国の本貫の始祖として求められるのは、新羅王族系、伽耶王族系(中始祖が統一新羅に貢献した功臣)、新羅豪族・貴族系、[[高麗]]の功臣及び中国の著名な学者や武将などの渡来系(ただし、中国渡来系の中で王姓・孫姓などは、渡来系を祖先とする本貫が皆無か由来が不明な小さな本貫のみである)が大半を占める。たとえば、新羅王族の[[慶州金氏]]の系列では56代[[敬順王]](新羅最後の王)の3男と4男の子孫が慶州金氏であり、長男の血統は絶え、次男が羅州金氏、5男が義城金氏、6男が洪州金氏、7男が彦陽金氏、8男が三陟金氏、9男が蔚山金氏と分かれている。4男の血統は更に細かく分かれ、[[安東金氏|旧安東金氏]]、金寧金氏などの大族を抱えている。また、54代[[景明王]]の子孫も長男の密陽朴氏を始めとして10以上の本貫に分かれている。 反面[[百済]]系は、旌善全氏、天安全氏の系列、[[高句麗]]系は晋州姜氏ぐらいと極端に少なく、[[渤海 (国)|渤海]]系に至っては密陽大氏のみである。また、稀に中国国内を本貫とする氏族が存在する(曲阜孔氏など)。 === 朝鮮の主要な本貫 === ;[[金海金氏]] :金官伽耶(駕洛国)の王族をルーツとする氏族。伽耶初代王[[首露王]]の子孫と称する。 :同名の本貫に[[文禄・慶長の役]]時の日本の降将[[沙也可]]([[金忠善]])を始祖とするものがあるが別本貫扱いになる。区別する場合は前者を駕洛、後者を友鹿と呼ぶ場合がある。 :金海許氏は金官伽耶の[[首露王]]の子孫とし、金海金氏と同本貫扱いとする。これは、首露王と王妃許氏の間に10人の息子がおり、そのうち2人に許姓を名乗らせたということから来ている。 ;[[密陽朴氏]] :新羅[[景明王]]の長男[[朴彦沈]]をルーツとする氏族。新羅初代王[[赫居世居西干|朴赫居世]]を始祖と称する。 ;[[全州李氏]] :新羅の高官[[李翰]]を始祖と称する。公式的には[[李氏朝鮮]]の初代、[[李成桂]]はこの氏族の出とされている([[女真族]]ともいわれる<span style="text-decoration:underline;"></span>)。 ;[[慶州金氏]] :[[新羅]]王族をルーツとする氏族。金姓新羅王の祖、[[金閼智]]を始祖と称する。 ;[[全州金氏]] :[[新羅]]末期の第56代[[敬順王]]の第4王子[[金殷説]]のが8世孫、[[金台瑞]]が[[蒙古]]の[[侵攻]]によって[[全州市|全州]]に移住し始祖となる。 ;[[善山金氏]] :[[新羅]]王族をルーツとする氏族。新羅王族[[金宣弓]]を始祖とする。 ;[[慶州李氏]] :新羅初期の豪族をルーツとする。始祖を[[謁平]]と称し、新羅建国時の6村(新羅六部)の一つ、[[及梁部]]の村長をしていた。 ;[[慶州崔氏]] :慶州李氏と同じく、新羅建国時の新羅六部の一つ[[沙梁部]]の村長だった[[蘇伐都利]]([[崔淵源]])を始祖と称する。 ;[[慶州鄭氏]] :新羅建国時の新羅六部の一つ、本彼部の村長だった[[智伯虎]]を始祖と称する。[[儒理尼師今|儒理王]]のときに鄭姓を賜姓されたとしている。第42代子孫である[[鄭珍厚]]を中祖として本貫を慶州鄭氏とした。智伯虎を先祖とする鄭氏の本家格である。 ;[[延日鄭氏]] :[[智伯虎]]の子孫で、新羅の[[諫議大夫]]である[[鄭宗殷]]が始祖。迎日鄭氏、烏川鄭氏ともいう。知奏事公派、監務公派、良肅公派に分かれる。 ;[[東莱鄭氏]] :智伯虎の子孫で、高麗の[[安逸戸長]]である[[鄭繪文]]が始祖。(鄭繪文の先系は昔脫解王時、高句麗系の多婆那国人の説がある。) ;[[河東鄭氏]] :同じ本貫ながら、智伯虎の子孫である[[鄭道正]]を始祖とする派と、[[鄭遜位]]を始祖とする派、[[鄭膺]]を始祖とする派がある。 ;[[慶州孫氏]] :新羅建国時の新羅六部の一つ、[[漸梁部]]の村長だった[[仇礼馬]]を始祖と称する。 ;[[慶州裵氏]] :新羅建国時の新羅六部の一つ、[[韓岐部]]の村長だった[[祇沱]]を始祖と称する。中祖とする[[裵玄慶]]は高麗の開国公臣である。  == 中国の本貫 == 本来は戸籍が置かれた場所を示し、[[士大夫]]階級にとっての本拠地であり、ほぼ出身地を示していた。動乱を経た西晋以降、本貫はその人物の出身地とは乖離して始祖の出自を示す系譜上の意味となり、[[貴族 (中国)|貴族]]制社会において同一氏族集団に属することを示した。 * [[汝南袁氏]] * [[琅邪王氏]] * [[潁川陳氏]] * [[弘農楊氏]] * [[太原王氏]] * [[陳郡謝氏]] [[華僑]]・[[華人]]の間では中国における祖先の出身地を示すものとして本貫の語が用いられる(本籍・原籍とも)。 == 参考文献 == * 『朝鮮を知る事典』(平凡社、1986年)、「本貫」の項([[伊藤亜人]]執筆) * 秋月望・丹羽泉編著『韓国百科』(大修館書店、1996年)、「親族(門中)」([[丹羽泉]]執筆) == 関連項目 == *[[移貫]] *[[律令制]] *[[古代日本の戸籍制度]] *[[本姓]] *[[本籍]] *[[戸籍]] *[[一所懸命の土地]] *[[氏神]] {{DEFAULTSORT:ほんかん}} [[Category:日本の氏族|*]] [[Category:中国の氏族|*]] [[Category:朝鮮の氏族|*]] [[Category:日本の律令制]]