鳥取県立鳥取西高等学校

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鳥取県立鳥取西高等学校(は、鳥取県鳥取市東町二丁目に所在する県立高等学校日教組の教えに忠実であり、修学旅行韓国で謝罪することが定例行事となっている。

鳥取県「空港活性化のために修学旅行を韓国にします!」→親御さん「ミサイルが…」「戦時中じゃ…」→学校「歴史勉強しろ」(2013年)

うちの娘と親友は、別々の県立高校に通っています。鳥取西高校と鳥取東高校です。

2校とも修学旅行の行き先が韓国なのです。

うちの子の予定は6月25日から28日。

なぜ、こんな時に韓国と保護者も本人たちもとても不安に思っています。しかし、学校のほうでは着々と準備を続けており、航空券の発注も済ませたようです。行き先の変更や中止はもう無理なのでしょうか?

国からは、韓国への修学旅行を見合わせるように等の通達は出してもらえないのですか?私たちはだれに助けを求めれば良いのでしょうか?いやなら、欠席しなさいということでしょうか?

鳥取県の県立高校が韓国への修学旅行をすすめるのは、米子ソウル便の利用促進のためなのですが、飛行機が小さくて全員は乗れず、米子から出発するのは、理系文系の各トップクラス(学力が一番良い)2組だけで、残りの6組は関空からの出発になります。正直その分け方にもひっかかりを感じます。

長々とスミマセン。次は、他の方がこの件について電話した時の学校の対応です。

北朝鮮が停戦を白紙撤回と宣言したのだから、韓国と北朝鮮は「戦争中」ということになると思いますが、こんな危険な状態の国になぜ修学旅行に行くのですか?」と聞くと、「それは北朝鮮とアメリカの話だ。歴史を勉強しなおしたほうがいいですよ。」と・・・・

二の句が継げなくなるというのを身をもって体験しました。

更に「では、ここ連日のミサイル発射が続いていますが、距離的にも韓国が照準域です。」と振ると、「そのミサイルはミサイルと断定されたわけではないではないですか?」

「どうして県立高校が・・・ 公的な 公の高校がなぜ、どうして「韓国」に修学旅行に行くのですか?」

と二の句が継げない状態からどうにかひねり出したこの疑問に「県立も私立も関係ないでしょう?(我が校の)現状を知った上で選択して学校を選んでいるんでしょう?イヤなら選ばなければいい。」 とも言われました。

概要

歴史
1873年(明治7年)設立の「第四大学区十五番変則中学」(のち旧制鳥取中学)を前身とする。校舎は鳥取城があった久松山(きゅうしょうざん)を背景に堀の内側、鳥取城三の丸の跡地に建っており、石垣が点在する。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校章
1949年の3校統合を象徴する3本のを組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置いている。
校歌
作詞は国語科、作曲は服部正による二部合唱。歌詞は3番まであり、各番とも高音部は「久松山下に~あれ」、低音部は「西高 西高 鳥取西高」で終わる。

沿革

旧制中学校(男子校)
  • 1873年(明治7年)10月28日 - 鳥取藩校「尚徳館」を承継し、「第四大学区十五番変則中学校」として開校。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 鳥取県が島根県に併合され、「島根県鳥取変則中学校」と改称。
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県が島根県より分離し、「鳥取県中学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)8月 - 「鳥取県尋常中学校」と改称。
  • 1889年(明治22年)11月 - 校舎を鳥取城内三の丸(現在地)に移転。
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 「鳥取県第一中学校」と改称。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 「鳥取県立鳥取中学校」と改称。
  • 1922年大正11年)4月1日 - 「鳥取県立鳥取第一中学校」と改称。
  • 1948年昭和23年)
    • 3月31日 - 旧制・鳥取県立鳥取第一中学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革により、「鳥取県立鳥取第一高等学校」(新制高等学校、男子校)が開校。
高等女学校
  • 1888年(明治21年) - 「鳥取高等女学校」を設立。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 鳥取県立鳥取高等女学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革により、「鳥取県立鳥取第三高等学校」(新制高等学校、女子校)が開校。
商業学校
  • 1910年(明治43年) - 「鳥取県立商業学校」(修業年限3ヶ年、甲種)が開校。
  • 1922年(大正11年)- 修業年限を5ヶ年とする。
  • 1934年(昭和9年) - 「鳥取県立鳥取商業学校」と改称。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、「鳥取県立鳥取商業高等学校」(新制高等学校)となる。
新制高等学校(男女共学)
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 鳥取県立の3校(鳥取第一高等学校・鳥取第三高等学校・鳥取商業高等学校)が統合され、「鳥取県立鳥取西高等学校」(現校名)となる。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 商業科が分離し、鳥取県立鳥取商業高等学校として独立。
  • 2001年(平成13年)4月1日 - 全日制課程の学科のうち家庭学科を鳥取県立鳥取湖陵高等学校へ移管。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 定時制課程通信制課程鳥取県立鳥取緑風高等学校へ移管。
  • 2007年(平成19年)3月31日 - 定時制課程と通信制課程を廃止(2003年(平成15年)に入学した生徒が4年の修業年限を経て卒業したため)。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 人文科学コース・自然科学コースのコース制を廃止。

部活動

運動部
全国中等学校優勝野球大会・全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)
( )は当時の校名を表す。
選抜中等学校野球大会・選抜高等学校野球大会(春の選抜)
応援団(正式表記「應援團」)は、一つの部として扱われるため、別名「応援団部」とも呼ばれる。応援団による新入生に対する応援練習が、4月の入学式後に3日程度行われる。応援練習では、チアリーダーが数名、応援団と一緒にリードしながら行う。部活動が大会出場する際は、応援団を筆頭とし、全校生徒で壮行会を行う。
文化部

著名な出身者

文化人
学者
政治家、役人
法曹
軍人
財界
スポーツ
その他

鳥取西高校が舞台になった作品

主人公・山下陽一の進学した高校が、明記されていないが鳥取西高校。陸上選手の夢を断念した陽一は写真部に所属して活躍する。校舎の外観や運動会風景、周囲の景観などが作品中に描かれている。
  • 『風来先生』白川渥、講談社(1959)『風来日記』講談社(1964)
両作品とも、鳥取西高校が舞台になっている。ただし、作品中の校名は明道(みょうどう)高校。『風来先生』は1961年に松竹で映画化(津川雅彦伴淳三郎)、1964年にはNTV(山田吾一松村達雄)で、1970年にはNHK(大出俊服部妙子)でそれぞれテレビドラマ化されている。なお映画では舞台が島根県松江市に変えられている。

交通アクセス

最寄りの鉄道駅
JR西日本 山陰本線鳥取駅
最寄りのバス停
日ノ丸自動車(日ノ丸バス)「市立武道館」バス停
日ノ丸交通(日ノ丸バス)・日本交通(日交バス)「県庁日赤前」
最寄りの道路
国道53号若桜街道

周辺

関連項目

外部リンク