地鶏勝負

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地鶏勝負(じどりしょうぶ)は、愛知県名古屋市名東区にかつて存在した飲食店要出典(2001年?(2003年説あり)-2008年)要出典。本店所在地、本社所在地とも同所。2ちゃんねらー、元実業家、阪神ファン、経営コンサルタント、社会運動者、愛国者の賀治 秀俊氏(以降、店主)が経営していた。本項では2001年説を採ることにする。 店舗運営の詳細は現在保護中の賀治 秀俊を合わせて参照のこと。

概要

宮崎地鶏、のち「全国から選び抜かれた地鶏要出典を七輪とともに提供し、自分で焼かせた。串打ちが面倒とか、店主が飲食店経験がないということを意味するものではない。なお、開店時は「地鶏勝負」名古屋市内に数店あったともいわれるが、「地鶏勝負」といえば当項目で示す「地鶏勝負藤が丘店」をもっぱら示す。最後まで本店所在地、本社所在地ともに名東区であった。
メインのドリンクは芋焼酎「霧島」(通称「白霧島」)、日本酒「國盛」であった。

沿革

  • 2001年 - 脱サラをした店主が2ちゃんねるで宣言の上で満を持して開店。直ちに評判を呼び、店舗半径5km以内の飲食店の8割が廃業の憂き目にあったとも、シナジー効果で大繁盛し売り上げが倍増したともいわれる。
  • 2002年 - 開店と同時に予約は3ヶ月後まで取れない、その一方で一定数確保されていた予約なしで入れる席待ちの大行列、加えて駐車車両の問題を解決するべく5000坪の専用敷地を購入。なお、店主は自家用車を自分で運転し、店舗前に路上駐車であった。就業中にアルコールを口にすることはなかったためである。
  • 2003年 - 全都道府県に支店展開。最後の都道府県は意外にも東京都であった。孀婦岩店はアクセスが難しいものの、「船が七分で海が三分」と謳われるほどの繁盛店で、仕入れた新鮮な食材を搬入、および客のためにテクノスーパーライナーの購入も店主は検討していたとされる。また、所属市町村未定のために東京都を大いに悩ませ、「東京都孀婦岩」、「東京都地鶏勝負」で郵便や宅配便は届いた。
  • 2004年 - 世界中にチェーン展開。オマーン国際店(オマーン国マスカット市)出店を以て全世界を制覇。
  • 2008年 - 店主、突如全役職を辞任、後継者である某企業へ譲渡。

突然の辞任

2008年4月30日、店主の突然の辞任表明により、鶏肉、飼料となるトウモロコシ先物等の相場が乱れるなど、世界に少なからぬ影響を及ぼした。

誰も知り得なかった理由としては、地鶏勝負は無借金経営、またスピーディーな経営の実践を図るべく非上場であったため、役員は代表取締役の店主一人だけだったからである。 公式発表によると、「名古屋市中区の某ホテル」で「中国地方の某企業」とかねてから譲渡話を水面下で進めていたとのことであるが、「飛行機で中部国際空港で名古屋へ訪れる」のにも関わらず常滑でも金山でもなく名古屋駅近辺でもなく栄で密談が行われたり、「中国地方の某企業」が登記簿謄本の取得を試みても該当がなかったとされるが、調べ事が下手なせいである。
自分の調査能力のなさを棚に上げて、これを以て架空であると判断する悪意に満ちた邪推をする者が多く現れた。これら一連の出来事は秘密裡に行われたため、話をまとめるには東京のほうがベターとは思われるものの、意図的に栄を選んで協議を進めたからである。また「地鶏勝負」ほどの大企業を買収する「某企業」が本店所在地を国内に置くはずもなく、国内に便宜上の連絡先を書いたと思われる。
その後の「地鶏勝負」は国内においての店舗経営が確認されていない。
なお、店主は全役職を辞任後、栄光に満ちた経歴を隠して無償の経営コンサルタント、愛国者などと現在も多忙な日々を送っている。


エピソード

  • キャッチフレーズは「秒速で1億円稼ぐ店舗」。堀江貴文与沢翼は店主に私淑しているとされる。
  • 自分の裁量で仕事ができる社風であり、入社初日のアルバイトでも1日に20時間労働であったとまでいわれる。
  • 最低賃金はアルバイトの最初の待遇である時給10,000円(日本国内の場合)。
  • 従業員の平均月収は1億円であり、労働組合が結成されたら毎年賃下げ要求を含めた団体交渉を申し入れたと思われる。
  • 尾張旭市緑町緑ケ丘某所には「ご自由にお使いください」とまるでポケットティッシュのような形で札束が積まれているが、近隣住人は充分な恩恵のため、見向きもしなかった。
  • 入社試験は面接重視であるが、あまりにも志望者が多いため、やむを得ず英語中国語ブラジルポルトガル語タイ語、(勤務地所在地の)法律、数学から3科目選択の筆記試験を課した。
  • 外国語が以上4ヶ国語だった理由として「安価なブロイラーの産地」という噂があったが、宮崎地鶏に相当する鶏肉を世界中で自社生産するためである。
  • 筆記試験のうち最も簡単な科目として知られていた「法律」は、日本国内の場合は難易度と試験形式で旧司法試験と類似していた。刑法については入社後の教育でも必ず触れられる、團藤重光の『刑法綱要総論』、『刑法綱要各論』を中心に学ぶことが当然であった。しかしながら店主の母校たる愛知県立長久手高等学校及び信州大学理学部化学科では特別推薦枠があり、それを狙って志望する者が後を絶たず、信州大学理学部化学科は就職予備校として名門の名をほしいままにした。結果として、東京大学京都大学東京工業大学早稲田大学慶應義塾大学と並ぶ超難関校になった。